太平百物語卷二 十二 小僧天狗につかまれし事
○十二 小僧天狗につかまれし事
さぬきの國に、照本寺といへる日蓮宗の寺あり。
ある時、「うたづ」といふ所へ、用の事ありて、眞可(しんが)といふ小僧を使(つかひ)にやりけるが、其歸へるさ、「ばくち谷」といふ所を通りしに、俄に、風一頻(ひとしき)りして、何者ともしらず、眞可を虛空につかみ行(ゆき)ぬ。
眞可、いとおそろしくおもひて、「法花經」の「普門品(ふもんぼん)」を高らかに唱へしに、後(うしろ)よりも同じくこれを唱へしまゝ、眞可、さかしく心得て、終りより始へ讀(よみ)もどしけるに、障碍(しやうげ)の者、これを讀(よむ)事、あたはず。
無念の事にやおもひけん、此眞可が上帶(うはおび)にしける繻巾(しゆきん)をほどきて、おもふ樣に引しばり、かの照本寺の椽(ゑん)[やぶちゃん注:漢字・読みともにママ。後も同じ。]にすてゝ歸りしが、眞可は猶も高らかに、「普門品」を唱へけるに、寺中(じちう)、これを聞(きゝ)つけて、やがて、椽にかけ出(いで)みれば、眞可なり。
人々、おどろき、上人に「かく」と告げしらせければ、上人、やがて立出(たちいで)、つくづくと見定め、しづかに、眞可が聲に合はせて、同じく「普門品」を讀誦ありければ、ふしぎや、此繻巾、忽ち、ぬけて、眞可、別義なく本心(ほんしん)なりければ、上人、其ゆへを尋(たづね)給ふに、眞可、しかじかのよしをかたれば、上人もいぶかしくおぼして、かの繻巾を取上げ見給ふに、さまざまにむすぼふれて、紐の端(はし)、いかに求むれども、見へず。
あたりの人々、これをみて、きゐ[やぶちゃん注:ママ。「奇異」。]のおもひをなしけるが、今に此寺にありて、世の人、これを「天狗の繩(なは)」と稱(しやう)じて[やぶちゃん注:ママ。]、もてはやしけるとぞ。
[やぶちゃん注:「さぬきの國」「照本寺」現在の香川県丸亀市南条町(まち)に法華宗本門流(日蓮系宗派の一つ。日蓮宗も江戸時代までは正式は法華宗と名乗っていた)の本照寺があるが(グーグル・マップ・データ。以下同じ)、「香川県立図書館」公式サイト内の「地域の本棚」の「三 丸亀を行く」(「香川の文学散歩」(平成四(一九九二)年香川県高等学校国語教育研究会刊)の電子化)では、『塩飽町交差点を西に進んで』、『すぐの四差路を北に進むと右側に本照寺がある。菅生堂人惠忠の『怪異』の舞台となった寺である』と断定している。
「うたづ」香川県綾歌(あやうた)郡宇多津町(ちょう)。本照寺からは直線で二、三キロ圏内で近い。
「ばくち谷」不詳であるが、宇多津町の南西の町境部分に「青ノ山」という小さな山塊(標高二百二十四メートル)があり、その西の山腹を国土地理院図で見ると、三本の谷川が現在も流れていることが確認出来る。本照寺からのルートを考えると、「谷」を形成し得る地形はここ以外にはまず認められないから(他は現行ではほとんどが平地である。但し、宇田津町東北境には二つの丘陵部があるから、そこである可能性もないとは言えない)、私はこの辺りと考えてよいのではないかと思う。
『「法花經」の「普門品(ふもんぼん)」』「法華経」第二十五品「観世音菩薩普門品」の略称。別出して一巻とした「観音経」に同じ。「法華経」ではこれだけを読誦することが多い。鳩摩羅什(くまらじゅう:六朝期の中央アジア亀玆(きじ)国の僧)が散文を、闍那崛多(じゃなくった:北インドのガンダーラの訳経僧。北周から隋の時代に来朝して仏典を漢訳した)が韻文を漢訳したものを合せたものが、中国・日本で広く読誦されてきた。観世音菩薩が神通力をもって教えを示し、種々に身を変えて人々を救済することを説く。観音を心に念じ、その名を称えれば、いかなる苦難からも逃れることが出来ることを説いて、観音を信仰すべきことを勧めている(主に「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「さかしく心得て」知恵を働かせて思い至り。
「終りより始へ讀(よみ)もどしけるに」「法華経」を逆に音読したのである。常に読誦している経で、同経は漢字を音で読むので、それを逆に読むことは必ずしも困難なことではない。一種の呪法である。
「障碍(しやうげ)の者」仏法を侮る魔の存在。逆読はそうした存在にとっては呪的な効力を発揮し、魅入られてしまうことから逃れられると真可は考えたのであろう。この時点で、真可は脅かしている物の怪が何者であるかは認識していないから、かく言ったのである。というか、それが果たして「天狗」であったかどうかは実は分らぬのである。その他の魔性のもの、妖怪であったのかも知れない。
「上帶(うはおび)にしける繻巾(しゆきん)」「繻」は絹の端布(はしぎれ)で、「巾」は、この場合、同じく布(きれ)であり、余り絹を用いた紐のようにも思われるが、一方で、これは「繻子」(しゅす:繻子織り(縦糸と横糸とが、交差する箇所が連続することなく、縦糸又は横糸だけが表に現れるような織り方。一般に縦糸の浮きが多く、斜文織りよりさらに光沢がある)のことを指しているのかも知れない。繻子は女帯や羽織裏などに用いるもので、修行僧が使うには贅沢ではあるが。
「椽(ゑん)」本字は本来は「垂木(たるき)」(家の棟から軒に渡して屋根を支える材木)を指すが、古くから「縁」の代字として慣用され、近代作家なども頻りに「縁側」の意で用いることが多い。
「さまざまにむすぼふれて、紐の端(はし)、いかに求むれども、見へず」『世の人、これを「天狗の繩(なは)」と稱(しやう)じて、もてはやしける』変化(へんげ)の物が癇癪を起してやらかした呪的な緊縛法なのであろうが、先に述べた通り、その変化を「天狗」としたのは巷の人々の憶測に過ぎない。まあ、知恵がなければ、そんな複雑な縛り方は出来ぬし、真可を虚空に投げ、本寺に投げ込むというのも如何にも天狗らしくはある。]