和漢三才圖會卷第三十八 獸類 檮杌(たうこつ)・獌(ばん)・猾(かつ) (総て幻獣)
たうこつ 倒壽
檮杌
【頑凶而無疇匹
曰檮杌此獸然
タ◦ウキユイ 故名之乎】
三才圖會云檮杌【一名倒壽】獸之至惡者好闘至死不却西荒
中獸也狀如虎毛長三尺餘人靣虎爪口牙一丈八尺獲
人食之獸闘終不退却惟而已
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獌【音萬】
[やぶちゃん注:以下は原典では項目名の下に三行で記されてある。]
三才圖會云獌獸之長者【一名獌狿】以其長故从曼
从延大獸而似狸長百尋
字彙云貙似貍而大立秋日祭獸一名獌
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猾【音滑】
[やぶちゃん注:同前。但し、四行目の良安の評言は頭から。]
本綱曰海中有獸名曰猾其髓入油中油卽活
水不可救止以酒噴之卽滅不可于屋下收故
曰水中生火非猾髓而莫能也【樟腦亦能水中生火】
△按猾不載形狀蓋檮杌獌之類本朝未曽有之物
*
たうこつ 倒壽〔(たうじゆ)〕
檮杌
【頑凶にして、疇匹〔(ちうひつ〕)
無きを、檮杌と曰ひ、此の獸、
タ◦ウキユイ 然り。故に之れを名づくか。】
[やぶちゃん注:「疇匹」とは「自分と同じ類いの仲間・輩(ともがら)」の意で、仲間がいない孤独な獣だというのである。何だか……淋しそうだな……。]
「三才圖會」に云はく、『檮杌【一名「倒壽」。】、獸の至惡なる者なり。好〔んで〕闘〔ひ〕、死に至るも、却〔(さ)〕らず。西荒〔(せいこう)〕[やぶちゃん注:中国西方の未開地。]
〔の〕中の獸なり。狀、虎のごとく、毛の長さ三尺餘。人靣にして、虎の爪・口なり。牙、一丈八尺。人を獲り、之れを食〔(くら)〕ふ。獸の闘ひて終(つひ)に退き却らざるは、惟〔(こ)〕れのみ』〔と〕。
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獌〔(ばん)〕【音「萬」。】
「三才圖會」に云はく、『獌、獸の長者〔なり〕【一名「獌狿〔(ばんえん)〕」。】。其の長きを以つて、故に「曼」に从〔(したが)〕ひ、「延」に从ふ。大獸にして、狸に似たり。長さ、百尋(ひろ)あり。
「字彙」に云はく、『貙は貍に似て、大なり。立秋の日、獸を祭る。一名「獌」』〔と〕。
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猾【音「滑」。】
「本綱」に曰はく、『海中に、獸、有り。名づけて「猾」と曰ふ。其の髓、油の中に入るれば、油、卽ち、水を活〔(わか)〕し、救ふべからず。止(たゞ)酒を以つて之れを噴(ふ)くときは、卽ち、滅す。屋の下に收むべからず。故に曰ふ、「水中に火を生ずること、猾の髓に非ざれば、能〔(よ)〕くすること莫し」と【樟腦も亦、能く水中に火を生ず。】』〔と〕。
△按ずるに、猾〔は〕形狀を載せず。蓋し、檮杌・獌の類ひ〔ならん〕。本朝には未曽有〔(みぞう)〕の物なるべし。
[やぶちゃん注:三種ともに幻獣でモデル動物は、なしとしておく。ウィキの「檮杌」には、『中国神話に登場する怪物の一つ。四凶』(聖王舜によって中原の四方に流された四柱の悪神とされる存在。ウィキの「四凶」によれば、「書経」と「春秋左氏伝」に『記されているが、内容は各々異なる。四罪と同一視されることが多いが』、「春秋左氏伝」の文公十八年(紀元前六〇九年)に『記されているものが一般的で』、そこでは、『大きな犬の姿をした「渾沌」(こんとん)』、『羊身人面で目がわきの下にある「饕餮」(とうてつ)』、『翼の生えた虎「窮奇」(きゅうき)』、『人面虎足で猪の牙を持つ「檮杌(とうこつ)」』を挙げる)『虎に似た体に人の頭を持っており、猪のような長い牙と、長い尻尾を持って』おり、『尊大かつ頑固な性格で、荒野の中を好き勝手に暴れ回り、戦う時は退却することを知らずに死ぬまで戦う』。『常に天下の平和を乱そうと考えて』おり、『「難訓(なんくん。「教え難い」の意)」という別名がある』。前漢の東方朔の作とされる「神異経」には、「西方荒中有焉、其狀如虎而犬毛、長二尺、人面虎足、猪口牙、尾長一丈八尺、攪亂荒中、名檮杌、一名傲狠、一名難訓」とある、とする。
『「三才圖會」に云はく……』檮杌のそれはこの左頁(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。
「獌」音の「バン」は大修館書店「廣漢和辭典」の当該字の、大きな獣とする部分の「獌狿(バンエン)」の読みに従った(同辞書にはその前で「狼の一種」及び「狸の一種」とはある)中文サイトの解説では伝説上の獣で、狼の一種とするが、「百尋」(「三才図会」の成立したのは明代であるが、「尋」は中国では古代(戦国頃まで)に使用されたきりで後には使用されなかった。使用された当時の一尋は八尺で一メートル八十センチとされるから、体長百八十メートルの狼や狸は同定することこれ能はずである。
『「三才圖會」に云はく……』獌のそれはこの左頁(同前)。
「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は、清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。
「立秋の日、獸を祭る」老婆心乍ら、獣の獌が生贄を供えて天に祭りするのである。
「猾」海棲哺乳類という設定だが、その「髓」(骨髄と採っておく)を、「油の中に」投ずると、その油(水は液体としての油のことか)を沸騰させて、手におえない状態になると言い、そうなった時には酒をそれに吹きかけると沸騰がやむ、だから昔から、「水中で火を起こさせようとすれば、猾の骨髄を用いる以外にはよい方法は他にない」というのだが、これ、何だか、言っている意味が今一つ腑に落ちない。しかし、ともかくも、その「猾の骨髄」なる物質が、油或いは水と激しい化学反応を起こすというのであろう。想起したのは水と爆発的熱反応を示す消石灰(水酸化カルシウム)や金属ナトリウム、及び、海というところからはメタンハイドレート(methane hydrate)である(私は中学生の時、理科部(海塩粒子班)で、理科教師が戸棚の奥を整理する内、古い試料の中に少量の金属ナトリウムを発見し、処分するのを見学させて貰ったことがある。小指の頭ほどで既に劣化していたようであったが、シャーレの中で少量の水に浮かべると、激しい炎を上げながら、くるくると回るのに息を呑んだのを今も忘れない)。但し、大修館書店「廣漢和辭典」の「猾」を見ると、海獣の名とし、「正字通」を引き、そこには「猾には骨がなく、虎の口に入っても、虎は噛み砕くことが出来ない。そのまま猾はやすやすと虎の消化器官の中に入り込み、その虎の内側から噛みつく」という、とんでもないことが書いてあるのである。しかし、この海獣を虎が食うというのも、ちと不自然ではなかろうかとは思う。
「樟腦」クスノキ目クスノキ科ニッケイ属クスノキ Cinnamomum camphoraの精油の主成分である分子式 C10H16Oで表される二環性モノテルペンケトン(monoterpene ketone)の一種。「能く水中に火を生ず」ることは残念ながらないけれど、思い出すよね、小さな時にやった「樟脳舟(しょうのうぶね)」。「協和界面科学株式会社」公式サイト内のこちらから引用しておくよ。『小さな模型舟の船尾にショウノウの塊を付けておくと、舟を水に浮かべたときに勝手に走り回る現象』だ。『「ショウノウ」というと防虫剤の匂いを思い出す方もいらっしゃるでしょうが、最近ではp(パラ)−ジクロロベンゼンなどにその役目を奪われてしまいましたので、入手しにくいかもしれません』。『(なお、いずれも口に入れると有害ですので、食べないように。)』『こショウノウの分子は、水をはじく疎水基と、水になじむ親水基を持っています。舟の船尾に取り付けられたショウノウの塊が分解して、分子が水面に移ると、疎水基を上にして単分子の膜を形成します。舟の後方ではショウノウの単分子膜ができ、舟の前方には水面があります。物質は表面張力により、その面積を少なくしようとします。この場合、水の表面張力はショウノウよりも高いため、水面の面積の方がより小さくなろうとする力が強いのです。したがって、ショウノウと水の境目は水のほうへ引き寄せられます。そして、その境目にある舟も、一緒に引っ張られてしまうため動きます。また船尾のショウノウはどんどん溶け出していきますから、ますますショウノウの表面は広げられてしまいます』。『ショウノウにはじかれて動いているように見えますが、実際は水の表面張力によって引っ張られているわけです。しかしこの舟も、水面が完全にショウノウ分子で覆われてしまうと、動かなくなります』。
「本朝には未曽有〔(みぞう)〕の物なるべし」本朝には未だ嘗つて存在したことがない動物と言ってよい。良安先生、謙虚やねぇ。そうそう、偉そうな麻生先生、「みぞう」でっせ、「みぞゆう」じゃあ、ありまへんで。]