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2019/04/20

淨瑠璃姬 清白(伊良子清白) (附・初出形)

 

淨瑠璃姬

 

 

   

 

矢矧(やはぎ)の長(ちやう)の愛娘(まなむすめ)

淨瑠璃姬と諢名(あだな)せし

巫女(みこ)の一人はこのうちに

最(い)と年若の少女なり

 

姉君たちの體(てい)たらく

鳩に交(まじ)りて殿(でん)に飛び

燃ゆるが如き緋の袴

古き簾(すだれ)の裾に曳く

 

巫女年壯(さう)に心冷え

陰陽(をんめう)の術(じゆつ)授かりて

巫覡(いちこ)の窟(いは)の木伊乃(みいら)かな

髮は骨より生ひいでて

 

痛みや也縣珠肉に生(わ)く

千尋(ちひろ)の底も泥あかく

紅藻(べにも)色づき丈(たけ)伸びて

神しろしめす春はあり

 

見よ美しの巫女(かんなぎ)が

男の胸の火に觸れて

燒けずば燒けん焦(こが)れんと

物の誘はばいかならん

 

淨きは淨く業(ごふ)に墮(お)ち

人を蠱(まど)はす蝙蝠(かはほり)の

老巫(いちこ)の谷に投げられて

立つ期(ご)もあらぬ不具者(かたはもの)

 

しかずわれらは黑髮の

長きを市の女(め)に結(ゆ)はせ

丹塗(にぬり)の鈴の柄は折りて

杉の木叢(こむら)をのがれんか

 

火桶圍みてしとやかに

坐せし三人(みたり)のをとめごは

彼が激しき熱情に

破船(はせん)に遭ひしここちしつ

 

   

 

女怪(によくわい)の君か蛇性(じやしやう)の淫か

美しきもの怪ならば

黑髮長く角生ふる

女餓鬼(めがき)の口にくらはれん

 

牛若丸とよばれたる

美少は佐保の川添柳

雲を帶びたる朝姿

腰にさしたる小刀(さすが)かな

 

蓼(たで)に親しむ鮎鮓(あゆずし)の

淨瑠璃姬を戀ひ慕ひ

顏もほてるや若盛り

親の許さぬ文(ふみ)千束(ちづか)

 

幽鬼(すだま)の如く家を出で

春日(かすが)の森に來て見れば

馬醉木(あしび)花咲く朝明けの

岡には鹿の啼きにけり

 

雪消(ゆきげ)の澤に袖長の

眉紫の山姬が

十五の鏡たて列ね

姿うつすを目に見たり

 

肩にかけたる藤娘

地に曳く程の花房を

霧のまぎれに曳きすてて

朱(あけ)は御垣(みかき)にのこりけり

 

今は心も恍惚(ほれぼれ)と

海山こえて里こえて

神樂(かぐら)のひびき舞殿(まひどの)の

階(きざはし)近く來りけり

 

若紫の元結(もとゆひ)や

髮もほどけて面(おもて)にかかり

その中空の蜻蛉蟲(あきつむし)

千々にみだるる身のうつつなや

 

[やぶちゃん注:初出は明治三五(一九〇二)年十二月発行の『文庫』であるが、初出では総標題「霜柱」のもとに、既に電子化した「野衾」と本「淨瑠璃姫」及び「秋和の里」の三篇を掲げてある。署名は「清白」。初出形は全一段(上記のような上下二段構成をとらない)で、それを激しく書き変えている。以下に初出を示す。

   *

 

淨瑠璃姬

 

矢矧(やはぎ)の長(ちやう)の愛娘(まなむすめ)

淨瑠璃姬とあだ名せし

巫女(みこ)の一人はこのうちに

最も年若の少女なり

 

浮世を知らぬ巫女なれば

胸はきよしといふ勿れ

花は少女の物なれば

折らでかなはぬ時あらん

 

姉君たちのていたらく

鳩にまじりて殿(でん)に飛び

燃ゆるが如き緋の袴

靑き簾の裾に牽く

 

巫女年壯(さう)に、心冷え

陰陽(をんめう)の術(じゆつ)授かりて

巫覡(いちこ)の窟(くつ)の木伊乃(みいら)かな

我等の末は皆かくぞ

 

痛みや、胸(こゝ)を撫でさすり

童女(どうによ)の昔たらちねと

祭、見に來し夢を迫ひ

乍ち神に驚きつ

 

見よ、美しの巫女(かんなぎ)が

男の胸の火に觸れて

燒けずば燒けん焦(こが)れんと

物の誘はゞいかにせん

 

淨きは淨く業(ごふ)に墮(お)ち

人を蠱(まど)はすうそつきの

老巫(いちこ)の谷に投げられて

立つ期(ご)も知らぬ不具者(かたはもの)

 

しかずや、われ等黑髮の

長きを市の女(め)に結(ゆ)はせ

丹塗(にぬり)のあしだなげうちて

杉の木叢(こむら)をのがれんか

 

火桶圍みてしとやかに

坐せし三人(みたり)の少女子は

彼が激しき熱情に

破船(はせん)にあひし心地しつ

 

外面(そとも)は竹の玉霰

冬の威こゝにあらはれて

燈火白く氷るらし

少女も終に默したり

 

さばれ三人の持つ鍵は

早鏽び朽ちて役立たず

盲ひたりける悲しさよ―

我身の歌を火の中に―

 

女怪(によくわい)の君といふ勿れ

美しきもの怪ならば

小說多き少女子の

命は正(しやう)の化物ぞ

 

牛若丸とよばれたる

美少は奇良の若葉陰

雲を帶びたる佐保川の

淸(きよ)けき岸に生まれたり

 

蓼(たで)に親しむ鮎鮓(あゆずし)の

淨瑠璃姬と戀慕ひ

顏もほてるや若盛り

親の許さぬ文(ふみ)千束(ちづか)

 

五條の橋に辨慶と

鎬削りし御曹司

其正眞の我ならば

ひらりとこゝの垣越えて

 

さてもお通(つう)の物語り

假名(かりな)の姬の主ならば

十二の鏡並み立てゝ

優しの姿うつすもの

 

巫女に召されて家を出で

春日の森に來て見れば

雪消(ゆきげ)の澤に袖長の

あなあやにくの者ありき

 

あなあやにくの者ありき

髮や、若衆の立姿

掟ぞ、彼は戰きて

少女の群にかききえつ

 

咒詛(のろひ)はこの子拙かり

大熱鐡を鎔(とろ)ろかすを

劫(こう)經て知るは聖(せい)の業(わざ)

さもなく知るは可憐の子

 

その時よりぞ少女子の

胸はいたくもみだれしか

淨瑠璃姬のゆゑよしを

知る人絕えてあらざりき

 

   *

初出のダッシュ一字分表記はママ。「奇良」というのは分らない。「奇良」で形容詞の語幹への当て字と考えたり、地名として調べたりしてみたが、判らない。しかしこれは現在の奈良県北部の奈良市及び大和郡山市を流れる佐保川の近くの景であり、そこに生まれた牛若丸、源義経を語る段である。私はてっきり義経の生地は京都とばかり思っていたが、調べてみると、現在の奈良県奈良市大柳生町説(リンクはグーグル・マップ・データ)があることを知った(個人ブログ「義経伝説を追う」の「牛若丸誕生の地(奈良県)」を見よ。但し、この大柳生町には佐保川は流れていない。佐保川はずっと南西である)。してみると、これは或いは初出誌の「奈良」の誤植なのではあるまいか? 大方の御叱正を俟つ。

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