小さい風景 伊良子清白
小さい風景
帆を張つて春風の筋を――
片手で櫓を握り
片手で一本釣をあやしてゐる
皺くちやの手の側(はた)を通る
「おい、何が釣れるかい」
「赤遍羅(あかべら)さ」
「またいものをつるな」
蔑(さげす)むのか慰むのか
船頭の聲も風景に成つて了ふ
だまつて顏をあげた老漁夫――
無數の浪が
べちやくちやべちやくちや
春の海は
じつに賑やかい
[やぶちゃん注:「船は進む」の私の冒頭注を必ず参照されたい。
「赤遍羅(あかべら)」条鰭綱棘鰭上目スズキ目ベラ亜目ベラ科カンムリベラ亜科キュウセン(求仙)属キュウセン Parajulis poecilopterus の異名。若い頃、父とよく鱚釣りに行ったが、キュウセンは外道としてしょっちゅう掛かってきて、嫌われた者ではあった。関東ではまず食用にしないが(華やかな多色混じりの体色が却って気持ちが悪いと嫌われるのかも知れない)、関西では好まれて高値で取引されており、個人的にも私は美味いと感じる。
「またいものをつるな」検索を掛けると、四日市市西部で「無難だ」という意味で「またい」を使うとあった。小学館「日本国語大辞典」の「またい」(全い)を引くと、意味の中に「馬鹿げているさま・愚鈍であるさま」とあり、方言欄を見ると、尾張・三重県尾鷲で「確実である」とあり(これは前の「無難だ」と強く親和する表現と言える)、三重県松阪で「人の好い」、三重県名賀郡で「きびきびしない・気が弱い・おとなしく愚鈍である」等とある。キュウセンは磯の根つきの個体群も多く、海岸端の普通の釣りでもかなり容易に釣ることが出来る。さすれば、船頭が茶化して「こりゃまた、無難な(阿呆くさい)雑魚を釣ってるんだな」と揶揄した感じを含むとすれば、腑に落ちる。]