太平百物語卷一 二 馬士八九郞狐におどされし事
○二 馬士(むまかた)八九郞狐におどされし事
大坂久寶寺町(きうほうじまち)に八九郞といふ馬士あり。或る日、牧方(ひらかた)まで馬に荷付けて行しが、歸るさ、守口(もりぐち)より日暮けり。時は霜月下旬の事なれば、寒風、面(おもて)を打(うち)て、いとさむかりしかば、茶店(さてん)によりて、茶椀酒をかたぶけ、醉ひきげんに寒氣(かんき)をわすれ、小歌(こうた)つぶやきて歸りける所に、年比六十斗(ばかり)の禪門、八九郞をよびかけ、
「いかに馬士(まご)殿、われは、今宵、大坂へ行(ゆく)者なり。老足、甚(はなはだ)道に倦(うみ)たり。其馬かして乘せ玉へ。」
といふ。八九郞聞きて、
「價(あたひ)はいかほど出(いだ)さるゝや。酒手あらば、のせん。」
といふ。禪門がいふ、
「御覽の通り、貧僧なり。心安くして、乘(のせ)給へ。」
といへば、
「さらば、乘り候へ。」
と彼(かの)馬にうち乘せ、四、五丁斗、行く所に、うしろの方より、大勢の聲として、
「其馬、まて。」
とぞ、どよめきける。
八九郞、『何事やらん』と顧りみれば、武具(ものゝぐ)せし者、四、五人かけ來り、此馬に追付(おひつく)といなや、彼(かの)禪門を馬より取つて引(ひき)おろし、
「扨々、にくき坊主めかな。」
とて、引縛りければ、八九郞、仰天し、馬を馳(はせ)て逃げけるに、
「其馬とまれ。」
と、口々にいふ聲、しきりなれば、『南無三寶(なむさんぼう)』とおもひ、やがて、馬にとび乘(のり)、息をばかりに追(おつ)たつれば、跡より追ひ來るこゑ、次第次第に遠ざかりしまゝ、やうやうに心をやすんじ、片町(かたまち)まできたりて、しるべの方(かた)にかけ入(いり)、大汗をながして、しかじかのよしを語れば、亭主もおどろき、いぶかりしが、後(のち)に能(よく)々きけば、狐どもが八九郞をばかしけるとぞ。
[やぶちゃん注:「馬」は総て「むま」と読んでいるので、そのように読まれたい。
「大坂久寶寺町(きうほうじまち)」現在、大阪府大阪市中央区に内久宝寺町・北久宝寺町・南久宝寺町があるから、この附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ。北と南のそれは中央附近に現認出来る)である。大阪城の南西の町屋である。
「牧方(ひらかた)」ママ。「徳川文芸類聚」版では「枚方」と訂するが、「江戸文庫」(国立国会図書館蔵本を親本とする)も「牧方」である。怪談話では虚構性を暗示させるためにしばしばこうした意識的仕儀が行われることがある。大阪府枚方市。直線でも二十キロメートルはあるから、荷駄で往復では日も暮れよう。
「守口(もりぐち)」大阪府守口市は丁度、中間点に当たる。
「心安くして」親切なる志しを以って。
「さらば、乘り候へ」禅僧であるから、布施のつもりでただで乗せたのである。酒に酔った心地よさも手伝ってはいるが、八九郎はこだわりを見せておらず、すんなりと引き受けており、優しい市井の民の一人なのである。こうした設定は前の金目当ての藪医者松岡同雪なんどとは異なり、読む庶民も八九郎に親和性を抱いて読み、主人公とともに狐に化かされることを「能狂言」の登場人物のように一緒に気持ちよく楽しむのである。
「四、五丁」約四百三十七~五百四十五メートル。
「片町」大阪府大阪市都島区片町であろう。大阪城北詰である。]
« 和漢三才圖會卷第三十八 獸類 狼(おほかみ) (ヨーロッパオオカミ・ニホンオオカミ・エゾオオカミ) | トップページ | 生物室の髑髏 »