避暑の歌 清白(伊良子清白)
避暑の歌
新しき蚊帳の靑きに
蓮の花開くがごとく
美しき夢は破れぬ
麗らかに空は晴れたり
淡き星なにを私語(ささや)く
濃き朝日なにをもたらす
わがために衣桁(いかう)は冷えて
薄ごろも肩にかけよき
雲の峰東に涌きて
靑あらし西に吹きたち
山や水や綠迫りて
人の眉染めなんとする
夏の日の白日(まひる)の炎(ほのほ)
白く太くのぼる彼方の
森越えて鳥の行方(ゆくへ)を
伏して見る竹の小筵(こむしろ)
巖間なる淸水(しみづ)酌(く)ませて
水うるり桶に冷せり
湯上りの肌の熱きに
ここちよく玉の汗わく
盃の底の澱(おり)なる
山里の夕べの景色
朝貌の凋(しぼ)むが如く
凋みつつ色增すごとく
浮舟(うきふね)の枕の上に
洗髮苫(とま)とみだれて
宿近き山の社(やしろ)に
灯(ひ)を運ぶ人幽(かす)かなり
[やぶちゃん注:以下、昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」に所収された詩篇の内、「孔雀船」に所収されたものを除いたものの電子化に入る。本「避暑の歌」は同集の大パート「五月野」(後述)の次の大パート「鷗の歌」の第一に掲げられ、「山家冬景」まで、全四十篇が「鷗の歌」に含まれる。因みに前の「五月野」は詩集「孔雀船」から、以下の九篇を敢えて選び、その詩集「孔雀船」内での順列を敢えて変更して、「五月野」・「鬼の語」・「初陣」・「安乘の稚兒」・「月光日光」・「秋和の里」・「不開の間」・「漂泊」・「華燭賦」の順に並べ変えたものであり(この並べ変えには明らかに何らかの意図があるものと考えねばならぬが、全く不詳である)、詩篇自体への手入れは行われていない模様である(底本に校異が存在しない。但し、当該大パート本文は表題のみで詩篇九篇自体を全く載せていない)。
本篇の初出は明治三四(一九〇一)年九月発行の『文庫』。署名は単に「清白」。満二十三歳。この前年に上京、内科医となって日本赤十字病院(医員候補)・横浜海港検疫所(検疫医)・横浜慈恵病院勤務を兼務する一方、鳳晶子(一歳歳下)に会い(上京直前)、与謝野鉄幹(四歳年上)とも親しく交流して『明星』へも寄稿したのであったが、この詩篇の発表の少し後、この年の三月に起こった、とある事件(こちらで略述)を契機としてとして投稿は途絶えた。初出形は以下。
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避暑の歌
新しき蚊帳の靑きに
蓮の花開くがごとく
美しき夢は破れぬ
麗らかに空は晴れたり
淡き星なにを私語(ささや)く
濃き朝日なにを齎す
わがために衣桁(いかう)は冷えて
薄衣肩にかけよき
雲の峰東に涌きて
靑嵐西にくづれぬ
山や水や綠迫りて
人の眉染めなんとする
夏の日の白日(まひる)の柱
太く立つや彼方の
森越えて鳥の行方(ゆくへ)を
伏して見る竹の小席
巖間なる淸水(しみづ)酌(く)ませて
菓物は桶に冷せり
湯上りの肌の熱きに
心地よく玉の汗わく
盃の底の澱(おり)なる
山里の夕の景色
朝貌の凋(しぼ)むがごとく
凋みつつ色增すごとく
浮舟(うきふね)の枕の上に
洗髮苫(とま)と亂れて
宿近き山の社(やしろ)に
灯(ひ)を運ぶ人幽(かす)かなり
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向後は有意な違いを私が認めないものは初出形を掲げない。
「水うるり」「西瓜」或いは「白瓜」。私は後者の色を採りたい。]
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