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2019/04/03

カテゴリ「伊良子清白」始動 / 「漂泊」初出形

 

[やぶちゃん注:医師で詩人であった伊良子淸白(いらこせいはく 明治一〇(一八七七)年~昭和二一(一九四六)年:本名暉造(てるぞう)。鳥取県生まれ。父政治(まさはる)・母ツネの次男として生まれた。もとの筆名「すずしろのや」。後に「淸白」と改めたが、旧筆名から「すずしろ」と訓ずることもあり、私は常に一貫して「すずしろ」と訓じている)は、河井酔茗・横瀬夜雨と並ぶ『文庫』派(『文庫』は投書文芸雑誌。明治二八(一八九五)年八月から明治四三(一九一〇)年八月まで刊行。通巻二百四十四冊。『少年文集』の後身で、発行は、初めは「少年園」、後に「内外出版協会」。記者として河井酔茗・小島烏水らが在社し、青少年のための詩歌・俳句・漢詩・小説などの投書を中心とした。特に詩に特色を持ち、酔茗・夜雨・清白らの質朴な詩風が『文庫』派と称されるに至った。ほかに烏水の文芸評論・山水紀行も特記される。寄稿家としては窪田空穂・三木露風・北原白秋と数多い。最晩期は俳句雑誌に変貌した)の代表的詩人である。鳥取県八上(やかみ)郡曳田(ひけた)村(現在の鳥取市河原(かわはら)町)に生まれ、京都府立医学校に学んだ。雑誌『少年園』『青年文』の投書家として詩文に頭角を現わし、『文庫』にあっては、詩「巖間(いはま)の白百合」(『詩美誘韻』明治三三(一九〇〇)年七月発行所収。生前の詩集「孔雀船(くじゃくぶね)」や作品集には未収録)・「夏日孔雀賦」(『文庫』明治三五(一九〇二)年七月初出。詩集「孔雀船」に再録所収)・「海の聲山の聲」(『文庫』明治三七(一九〇四)年一月初出。昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」に再録所収)などの秀作を発表し、〈漂泊の詩人〉として明治三十年代の詩壇に重きを成した。明治三九(一九〇六)年五月、その絶唱をストイックに厳選した唯一の詩集「孔雀船」を刊行、『文庫』派解体後は詩壇を決然として去り、医師として横浜・浜田(島根県)・台湾その他の各地に転住し、大正一一(一九二二)年九月に移った三重県志摩郡鳥羽町大字小浜で、村医としてようやく腰を落ち着けることが出来た(昭和期には『女性時代』『白鳥』への短歌や詩篇の寄稿がある)。昭和二十一年一月、疎開先の三重県度会(わたらい)郡七保村(現在の大紀(たいき)町)で、急患往診の途上、脳溢血で倒れ、自宅へ運ばれる途次、逝去した(以上は割注も含め、主文を小学館「日本大百科全書」に拠った)。

 私は十代の終りに彼の詩に出逢い、特に「漂泊」と「安乘(あのり)の稚兒」(孰れも「孔雀船」所収)に心打たれた。拙サイトでは、既にサイト開設二年目の十二年前の二〇〇七年七月七日(もう思い出せぬが、恐らくは「漂泊」の詩中の「圓(まろ)き肩(かた)銀河(ぎんが)を渡(わた)る」に合わせたものと思う)に、サイトで彼の唯一の単行詩集「孔雀船」初版(復刻本底本)を電子化している。

 今回は、まず、現在知られた彼の詩篇の全電子化を目指す。底本は所持する二〇〇三年岩波書店刊平出隆編集「伊良子清白全集」第一巻を用いる(正字正仮名表記)。既に電子化している「孔雀船」所収の各篇については、それらの初出形(底本の校異に従って再現したが、底本校異は初出のルビの有無を総ては挙げていないものと推察するので初出のままではなく、初出に近いものを「初出形」と称することを言い添えておく)を示す形で掲げる。但し、初出形が誤植等で不全なもの、初出が不明なものは「孔雀船」版(或いはそれに準拠した形)を掲げておいた。【二〇一九年四月三日始動 藪野直史】]

 

 

漂 泊(へうはく)

 

蓆戶(むしろど)に

秋風(あきかぜ)吹(ふ)いて

河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし

哀(あは)れなる旅(たび)の男(をとこ)は

夕暮(ゆふぐれ)の空(そら)を眺(なが)めて

いと低(ひく)く歌(うた)ひはじめぬ

 

亡母(なきはゝ)は

處女(をとめ)と成(な)りて

白(しろ)き額(ぬか)月(つき)に現(あら)はれ

亡父(なきちゝ)は

童子(わらは)と成(な)りて

圓(まろ)き肩(かた)銀河(ぎんか)を渡(わた)る

 

柳(やなぎ)洩(も)る

夜(よ)の河(かは)白(しろ)く

河(かは)越(こ)えて煙(けぶり)の小野(をの)に

かすかなる笛(ふえ)の音(ね)ありて

旅人(たびびと)の胸(むね)に觸(ふ)れたり

 

故鄕(ふるさと)の

谷間(たにま)の歌(うた)は

續(つゞ)きつゝ斷(た)えつつ哀(かな)し

大空(おほぞら)の返響(こだま)の音(をと)と

地(ち)の底(そこ)のうめきの聲(こゑ)と

交(まじは)りて調(しらべ)は深(ふか)し

 

旅人(たびびと)に

母(はゝ)はやどりぬ

若人(わかびと)に

父(ちゝ)は降(くだ)れり

小野(をの)の笛(ふえ)煙(けぶり)の中(なか)に

かすかなる節(ふし)は殘(のこ)れり

旅人(たびびと)は

歌(うた)ひ續(つゞ)けぬ

嬰子(みどりご)の昔(むかし)にかへり

微笑(ほゝゑ)みて歌(うた)ひつゝあり

 

[やぶちゃん注:初出は明治三八(一九〇五)年一月発行『文庫』であるが、初出では総標題「冬の夜」のもとに、「月光日光」(「孔雀船」所収)と本「漂泊」及び「無題」(昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」に再録所収)の三篇を掲げてある。署名は単に「清白」である。

初出との大きな違いは、「孔雀船」版が全六連構成であるのに対し、初出はその最後の二連を一連にしている点である。私のサイト版詩集「孔雀船」初版(復刻本底本)で確認されたい。

「圓(まろ)き肩(かた)銀河(ぎんか)を渡(わた)る」の「圓(まろ)き」は、初出(底本校異の記載から推定)や「孔雀船」初版でも「わろ」と振るが、底本及び後の諸作品集に基づき、特異的に「まろ」に訂した。

「銀河(ぎんか)」は初出のママ。底本及び現行諸本は総て「ぎんが」。]

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