大蟹小蟹 伊良子清白
大蟹小蟹
大蟹小蟹
谷の小川におりてきて
甲はぬがれず
ぬがねばならず
橫に這うたが
落度(おちど)で御座る
をしへて下され
すぐな道
どうせうぞいな
泡もふかれず
めもたてられず
瀧は千丈
壺は藍
岸の椰子の木
ねいろとすれば
波が洗うて
ゆりおこす
ゆりおこす
おこすのが
とんと面白う御座る
椰子ぢやなし
口に善惡(さが)ない
大蟹小蟹
發矢(はつし)とあたる
椰子の實で
大事な甲を
わつたげな
われたと思うたら
ぬげたげな
大きな甲は石になれ
小さな甲は貝になれ
[やぶちゃん注:初出は明治三三(一九〇〇)年七月内外出版協会刊の、河井酔茗編になる『文庫』派のアンソロジー「詩美幽韻」初出であるが、本篇は同書巻頭に配されてある長篇詩「巖間の白百合」(署名「すゞしろのや」)の中の、三分の二ほど進行したところに出る、本文が「大蟹小蟹」で始まるパート(当該部は前後一行空けとなっている)を独立させて題を附し、一部表記を変えた作品である。次で、「巖間の白百合」全篇を現物画像を元にオリジナルに電子化する(但し、恐ろしく長い詩篇なので時間がかかる。悪しからず)。
なお、本篇に登場する蟹は、初出「巖間の白百合」を読むに、ロケーションは想像された南洋の島と思しいのだが、伊良子清白は実際には既に述べた通り、台湾には一時期住み、その後にボルネオ行きを希望はしたものの、叶わず、狭義の意味での南洋には行っていない。さすれば、伊良子清白がモデルとして考えた本邦産の実在種を考えると、私は高い確率で、
甲殻亜門軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目イワガニ上科ベンケイガニ科アカテガニ属アカテガニ Chiromantes haematocheir
であると思う。それは本種が本邦では嘗ては普通に見られ、海岸から遠く離れた、しかも高所(時に人家にさえ)にまで登る、乾燥に強い性質を持つこと、成体個体は甲幅三センチメートル前後にまで達し、性的二型で♂の方が♀より大きいこと、伊良子清白に縁の深い紀伊半島にも多く見られ、私自身、十年ほど前、新宮市熊野速玉大社の摂社で、巨石ゴトビキ岩を御神体とする神倉神社(グーグル・マップ・データ)へ行った折り、標高百二十メートルの急勾配の道すがら(海や川は近い。彼らの幼生は海水がないと生育出来ない)、大小の彼らを沢山見て興奮した記憶があるからである。]
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