和漢三才圖會卷第三十八 獸類 水豹(あざらし) (アザラシ)
あさらし
【和名 阿左良之】
水豹
本綱豹有水陸二種而海中豹名水豹文選西京賦謂搤
水豹者是也
△按蝦夷海中有水豹大四五尺灰白色有豹文剥皮販
于松前其皮薄毛短而不堪用
*
あざらし
【和名「阿左良之」。】
水豹
「本綱」、豹に水陸の二種有りて、海中の豹を「水豹」と名づく。「文選〔(もんぜん)〕」の「西京の賦」に『水豹を搤〔(とら)〕ふ』と謂ふは、是れなり。
△按ずるに、蝦夷(ゑぞ)の海中に水豹有り。大いさ、四、五尺。灰白色にして、豹の文、有り。皮を剥ぎて松前に販〔(う)〕る〔も〕、其の皮、薄く、毛、短くして用ふるに堪へず。
[やぶちゃん注:食肉目イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類。十属十九種から成る。ウィキの「アザラシ」によれば、『北海道ではアイヌ語より「トッカリ」とも呼ばれている』。『アザラシには』成獣でも体重五十キログラム程度にしかならない、ワモンアザラシ(アザラシ科 Pusa 属ワモンアザラシ Pusa hispida):輪紋海豹。背中側に灰色の地に灰褐色から黒色の斑紋があり、斑紋は明灰色が縁取りされており、この点でゴマフアザラシ(後出)の模様とは異なる)から、三・七トンにも『及ぶミナミゾウアザラシ』(ゾウアザラシ属ミナミゾウアザラシ Mirounga leonina)『までおりその体は変化に富む。体格については多くの種で雌雄にそれほど顕著な差は無いが、ミナミゾウアザラシではオスの体重はメスの』十倍にもなる甚だしい性的二型として知られるが、『逆にモンクアザラシ』(アザラシ科モンクアザラシ属Monachus)『やヒョウアザラシ』(一属一種。ヒョウアザラシ属ヒョウアザラシ Hydrurga leptonyx)『ではメスのほうがオスより大きい』。『首は短く、四肢には』五『本指があり』、『指の間には水かきが』あって、鰭に『変化している。アザラシの前』鰭『のうち』、『空気中に露出している部分はヒトの手首より先の部分にあたる』。『アザラシは優れた潜水能力をもつことで知られている。キタゾウアザラシ』は実に千五百メートルの超深海にまで『潜水した記録がある。鼻腔を閉じることができ、肺の中の空気をほとんどすべて吐き出すことで』、『高い水圧に耐えられるなど、潜水に適応した特徴をもつ』。『かつて、アザラシはイタチ』(イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属 Mustela)『との共通祖先から分岐し、アシカ』(イヌ亜目鰭脚下目アシカ科アシカ亜科 Otariinae)『はクマ』(イヌ亜目クマ下目クマ小目クマ科 Ursidae)『との共通祖先から分岐し、収斂進化によって類似した形態を獲得したとする』二『系統説が主流であったが、近年は分子系統学的研究により、いずれもクマに近い共通の祖先をもつという単系統説が主流になっている』。『北極圏から熱帯、南極まで幅広い海域に生息』し、『頭蓋骨や四肢骨の特徴からモンクアザラシ亜科』Monachinae『とアザラシ亜科』Phocinae『に分けられる。モンクアザラシ亜科に属する種は主に南半球に、アザラシ亜科に分類される種は北半球に生息する』。『アザラシはホッキョクグマ』(クマ科クマ亜科クマ属ホッキョクグマ Ursus maritimus)『の主食となっており、その食料の』実に九『割をアザラシが占める』。『ホッキョクグマの嗅覚は優れており』、十キロメートル程度『離れた場所からでも』、『アザラシの匂いを嗅ぎつけることができるとする説もある』。『日本近海では北海道を中心にゴマフアザラシ』(ゴマフアザラシ属ゴマフアザラシ Phoca largha:胡麻斑海豹。背面が灰色の地に黒い斑(まだら)模様が散らばる)・ワモンアザラシ(前掲)・『ゼニガタアザラシ』(ゴマフアザラシ属ゼニガタアザラシ Phoca vitulina:和名は黒地に白い穴あき銭のような斑紋を持つことに由来する))・『クラカケアザラシ』(ゴマフアザラシ属クラカケアザラシ Phoca fasciata:成獣の♂には、暗褐色から黒色の地に首・前肢・腰を取り巻く白い有意に太い帯があり、これが、馬具の鞍を掛けたように見えるので「鞍掛海豹」の和名がついた)・『アゴヒゲアザラシの』(アゴヒゲアザラシ属アゴヒゲアザラシ Erignathus barbatus:名の通り、他のアザラシに比べ、ヒゲがよく発達しているが、このヒゲは実は顎からではなく、上唇付近から生えている)五『種のアザラシが見られる』(太字は私が附した。以下同じ)。なお、『日本近海』の『彼らは「すみわけ」をしているように見える。大雑把に言うと』、『ワモンアザラシは氷や流氷の多い地域に多く、大型プランクトンと小型魚類を食べている。アゴヒゲアザラシは流氷の移動する浅い海域を好み底性の魚類やカニ・貝を食べている。ゴマフアザラシとクラカケアザラシはこれらより南に分布し、冬から春にかけては』、『流氷上で出産する。流氷期が終わると』、『ゴマフアザラシは分散して沿岸で生活するが』、『クラカケアザラシは外洋で回遊する。ゼニガタアザラシはその南に分布し』、『流氷のあまり来ない北海道から千島列島の』、『結氷しない地域で暮らす。以上が日本近海のアザラシの分布の定説であるが』、二〇〇二『年に東京都の多摩川に出現し』て『日本を騒がせたアゴヒゲアザラシのタマちゃんのように』、『定説どおりに動かないアザラシの個体も少数おり、日本各地に出現するケースも稀にある』。『アザラシの夫婦形式は一雄一雌型のゴマフアザラシのような種もいる一方、ミナミゾウアザラシは一夫多妻型、ハーレムを作る種もおり』、『多様である』。『アザラシは陸上』若しくは『海氷上で出産する。一産一仔で妊娠期間はほとんどの種で一年である。新生児の産毛は保護色になっている種も多い。すなわち』、『海氷上で出産する種(ゴマフアザラシ・ワモンアザラシなど)は白色の産毛を持って産まれてくる』。『アザラシは一般的に魚やイカなどを食べている』が、『種によって食物に偏りがある』。『アザラシを含む鰭脚類の眼球は陸生の食肉類に比べて大きい。南半球ではロスアザラシ』(ロスアザラシ属ロスアザラシ Ommatophoca rossii)が、『北半球ではクラカケアザラシが特に大きい。網膜には色を識別する錐体はなく』、『明るさを感じる桿体だけなので』、『彼らに色の概念は無い。なお』、『陸上にアザラシがいる際、目の下が濡れて泣いているように見えるときがあるが、これは涙を鼻腔に流す鼻涙管が無いためで』、『ヒトのように泣いているわけではない』。『両極地方の暗い水の中で魚を取らなければならない種もおり、視覚以外の感覚も鋭い。アザラシには耳たぶは無いが』、『目の横に耳の穴がある。ゴマフアザラシなどのいくつかの種では』、『水中でクリック音を発してエコロケーション』(echolocation:反響定位)『を行っている。また』、『飼育下のアザラシでも』、『周囲の物音に敏感に反応する様子を観察する事ができる』。『アザラシの母親が自分の子供を見分けるための重要な情報』は『匂いであると言われている。なお』、『アザラシと近縁のアシカ科でも親が子を確認するのに嗅覚が使われている』。『アシカとは外見がよく似ているが、いくつか明確な相違点が見られる』。まず、『アシカには耳たぶがあるが、アザラシの耳は穴が開いているだけである』。次に、『アシカは後肢に比較して前肢が発達している。泳ぐ際の主たる推進力は前肢から得て左右の後肢を同調させて泳ぐ。逆に、アザラシは後肢が発達しており、泳ぐ際には前肢は体側に添えるのみで、左右の後肢を交互に動かして推進力を得る』。第三に、『陸上における移動を見ても異なっている。アシカは後肢を前方に折り曲げ、主に前肢を使って陸上を『歩く』ことができる。一方、アザラシは後肢を前方に折り曲げることはできず、前肢もあまり発達していないので『歩く』ことはできない。前肢を補助的に使いながら全身を蠕動させ、イモムシのように移動する』のである。『このような差異もあって、かつてアザラシ類とアシカ・セイウチ類は異なる祖先からそれぞれ独自に進化したとみられていたが、研究が進んだことで』、鰭脚類は古第三紀(漸新世前期:六千六百万年前から二千三百三万年前まで)から中新世(二千三百万年前から約五百万年前)前期に棲息していた『アンフィキオン類』(食肉目アンフィキオン科†Amphicyon)『(クマに近い化石種の系統)から進化した共通の祖先を持ったグループであることがわかっている』。『日本では古くからアザラシ猟が行われてきた。北海道の先住民であるアイヌ民族や開拓期の入植者も利用した。皮は水濡れに強く、馬の手綱やかんじきの紐に好んで使われた。また脂肪は照明用に燃やされた』。『昭和以降になると』、『皮が』スキー・シール(ski seal:スキーによる登行時、スキー板の底面に貼り付け、後方に滑らないようにする毛羽だったテープ状の物。クライミングスキン(climbing skin)とも呼ぶ)や鞄の『材料になったり、脂肪から石鹸が作られたりした。昭和』三十『年代以降は』土産物の『革製品の材料として多く捕獲された。この頃になると』、『猟も大規模になり』、『北海道近海からサハリン沖にまで及んだ。最盛期の年間捕獲頭数は』二千五百『頭ほどと推定されている。その後、環境保護の流れが盛んになり』、『ファッションの材料としての需要の低迷、ソ連の』二百『海里水域経済水域宣言、輸入アザラシ皮の流入等の理由により』、『昭和』五十『年代には商業的なアザラシ猟は終わりを迎えた』。『現在では北海道の限られた地域で有害獣駆除を目的としてわずかな数が捕獲されているのみである』とある。
「文選」六朝時代の梁の昭明太子の編になる詩文選集。全六十巻。五三〇年頃成立。周から梁に到る約一千年間の詩文の選集で、収録された作者は百三十名、作品は七百六十編に上ぼる。「賦」・「詩」・「騒」(韻文体の一種。社会や政治に対する憂憤を述べたもの。屈原の「離騒」に由来する呼称)に始まり、弔文・祭文に到る、三十九の文体に分類し、各文体内では作者の年代順に配列されている。編集方針は、編者の序によれば。道徳的実用的観点よりも、芸術的観点から文学を評価して選んだもので、その結果として賦五十六編・詩四百三十五首が選ばれ,この二群だけで全体の六割以上を占める。本書はその後、文学を志す人の必読の書として広く流布し、唐の李善の注を始め、多くの注釈が出て、「文選」学が出来たほどで、日本にも早く伝わり、王朝文学に大きな影響を与えた(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「西京の賦」後漢代の政治家で科学者でもあった張衡(七八年~一三九年)の作品。全文はこれ(中文ウィキソース)。
「搤〔(とら)〕ふ」この漢字は「摑む」「捕える」「押さえる」の意。]
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