一よぐさ 伊良子清白
一よぐさ
○
しのびあるきの君なれば
いかで知るべき國君と
旗ひるがへる城の戶を
ひとりやいでゝきましたる
葡萄の岡と小流れと
あばらぶきなるやどの外
見給ふものもなきものを
しばしばきみはきましたる
あしきやからのおほかるを
あはれ貴きわがきみよ
あすより絕えてその門を
訪れたまふことなかれ
葡萄の房は年々に
いやうつくしくみのるべし
われはさびしきあばらやに
常少女にてをはらなむ
○
おぼしたてたるいくもとの
菊につきたる秋の蟲
いかりにたヘず火をとりて
のこるくまなくやきにけり
もとより菊はかれぬれど
今は心のやすくして
暮れ行く秋のさびしさを
ながめ空しくくらすなり
○
をのこの中にたゞひとり
はしき少女ぞまじるなる
沙漠の上に一ひらの
草生ひしげる風情あり
破れし城よりすくひしは
椰子の木生ふる國なりき
そのをりまでも手離さで
持ちしはかれの琴なりき
獅子色なせるその髮に
野營の月のてりそひて
熱きくになるをとめこは
こよひも琴をならすなり
○
そびらにおへる御佛に
西日かゞやく坂みちや
鉦の響に木の葉ちり
御厨のなかにおちつもる
身に御佛を負ふことの
こがねのはすをふみわけて
熱なき池に入ることも
すなはち今日の境なり
驗もたえや觀世音
木の間にとまる山鳩の
厨子にこのはを啄みて
高きみ空に翔り舞ふ
[やぶちゃん注:明治三四(一九〇一)年十一月発行の『文庫』に「S」のイニシャル署名(特異点)で発表した全十二連四パート構成から成る物語詩。既に電子化した「背に負へる」・「おほきたてたる」・「しのびあるきの」の三篇は、どれも皆、本篇の部分を独立させて改変・改題したものである。それぞれと比較されたい。]