和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)
じやかう 射父 香麞
莫訶婆伽【梵書】
麝
【其香氣遠射
故字从射】
本綱麝似麞而小黒色故名香麞【陝西益州雍州秦州文州諸蠻中尤多有】出西
北者香佳出東南者次之山谷在之常食栢葉及蛇其香
正在陰莖前皮内別有膜袋裹之夏月食蛇蟲多至寒則
香滿入春臍内急痛自以爪剔出着屎溺中覆之常在一
處不移人以是獲之其性絕愛其臍爲人逐急卽投巖舉
爪剔裂其香就縶而死猶拱四足保其臍其自剔出者極
難得價同明珠其香聚處遠近草木不生或焦黃也帶香
過園林則瓜果皆不實今人以皮膜裹之多僞凡眞香一
子分作三四子刮取血膜雜以餘物以四足膝皮而貨之
但破看一片毛共在聚中者爲勝今人以蛇蛻皮裹香彌
香是相使也
麝香【辛溫】 辟惡氣邪鬼温瘧驚癇心腹暴痛痞滿佩之或
置枕間辟惡夢鎭心安神【麝香不可近鼻有白蟲入腦患癩久帶其香透關令人成
異疾又忌大蒜】
△按三才圖會云麝如小鹿有虎豹之文今商汝山中多
群也字彙亦曰有虎豹文葢黒色有豹文者乎文禄三
年七月泉州堺商賣納屋助左衞門到呂宋國還得麝
二匹獻之關白秀吉公
象退牙犀退角麝退臍皆輒藏覆知自珍也今所渡麝香
雲南者爲上東京者爲次福州南京又次之有眞僞數品
難明大抵臍麝香爲最上有皮膜裹之一箇重自五錢可
八錢一種無皮膜如煉粉者名曰傳染麝香共赤黒色而
有乾者有濕者其香亦有異同相傳鯨屎或朽木爲末同
麝臍盛噐置陰處經歳月拔取臍令香傳染最下品也臍
揉碎與木粉和合者爲中品眞臍揉碎者名臍傳染是爲
上品試法燒火無灰其香不變者眞也
谷響集云忌佛前焚麝香見于攝眞實經
*
じやかう 射父 香麞〔(かうしやう)〕
莫訶婆伽〔(ばくかばか)〕【梵書。】
麝
【其の香氣、遠く射る。故に、字、
「射」に从〔(したが)〕ふ。】
「本綱」、麝は麞〔(くじか)〕に似て、小さく、黒色。故に「香麞」と名づく[やぶちゃん注:これでは「香」が説明されず、不全である。「本草綱目」の「麝」の「正誤」の部分には「麞無香、有香者麝也。俗稱土麞呼爲香麞是矣」とあるのを良安は見落としている。]【陝西・益州・雍州・秦州・文州。諸蠻〔の〕中に尤も多く有り。】西北に出づる者、香、佳し。東南に出づる者、之れに次ぐ。山谷、之れ、在り、常に栢〔(はく)の〕葉及び蛇を食ふ。其の香、正に陰莖の前の皮〔の〕内に在り。別に膜〔の〕袋有りて之れを裹〔(つつ)〕む。夏月、蛇・蟲を食ひ、多く、寒に至れば、則ち、香、滿つ。春に入り、臍の内、急に痛み、自ら爪を以つて剔(か)き出だし、屎(くそ)・溺(ゆばり)[やぶちゃん注:尿。]の中に着け、之れを覆ふ。〔麝は〕常に一つ處に在りて移らず。人、是れを以つて[やぶちゃん注:この習性を利用して、いるところを探し当て。]之れを獲る。其の性、絕(た)へて[やぶちゃん注:ママ。]其の臍〔(へそ)〕[やぶちゃん注:麝香嚢(麝香腺はその中に開口している)。]を愛す。人〔の〕爲めに逐〔(お)〕はれて急なれば、卽ち、巖〔(いはほ)〕に投じ、爪を舉げて剔(か)き裂(さ)き、其の香〔(かう)を〕就-縶〔(もろとも)に〕して死す。猶ほ、四足を拱〔(こまね)きて〕其の臍を保つがごとし。其の自ら剔き出だす者、極めて得難し。價〔(あたひ)〕、明珠[やぶちゃん注:透明で曇りのない宝玉。]に同じ。其の香〔の〕聚〔(あつ)む〕る處〔の〕遠近〔(をちこち)〕、草木、生ぜず、或いは、焦げ、黃ばむなり。香を帶して園林[やぶちゃん注:農地や果樹園。]を過ぐるときは、則ち、瓜果〔(さうくわ)〕[やぶちゃん注:瓜や果物の果実。]、皆、實(みの)らず。今〔の〕人、皮膜を以つて之れを裹み、多く僞る。凡そ眞の香一子を分ちて、三、四子を作る。血膜を刮(こそ)げ取り、雜〔(まづ)〕るに餘物を以つてし、四足〔獸〕の膝〔の〕皮を以つて〔裹み〕、之れを貨〔(う)〕る。但し、破〔り〕て看るに、一片、毛共〔に〕聚〔れる〕中に在る者を勝〔(すぐれるもの)〕と爲す。今の人、蛇の蛻〔(ぬけがら)〕の皮を以つて香を裹む。〔さすれば、〕彌〔(いよいよ)〕香〔り〕して〔→せば〕、是れ〔を、よく〕相ひ使ふなり。
麝香【辛、溫。】 惡氣・邪鬼を辟〔(さ)〕く。温瘧〔(をんぎやく)〕・驚癇・心腹〔の〕暴痛・痞滿〔(ひまん)〕に、之れを佩ぶ。或いは枕の間に置けば、惡夢を辟け、心を鎭め、神を安んず【麝香は鼻に近づくべからず。〔極小さき〕白〔き〕蟲有りて、腦に入り、癩〔(らい)〕を患ふ。久しく其の香を帶〔ぶれば〕、關〔節〕を透して、人をして異疾を成さしむ。又、〔麝香は〕大蒜〔(にんにく)〕を忌む。】。
△按ずるに、「三才圖會」に云はく、『麝は小鹿のごとくにして、虎・豹の文〔(もん)〕有り。今、商・汝の山中、多く群るるなり』〔と〕。「字彙」にも亦、曰はく、『虎・豹の文有り』〔と〕。葢し、黒色にして豹の文有る者か。文禄三年[やぶちゃん注:一五九四年。]七月、泉州堺の商賣(あきびと)納屋助左衞門、呂宋(ルスン)國に到り、還りて〔→到りて還るに〕、麝二匹を得て、之れを關白秀吉公に獻ず。
象は牙を退〔(しりぞ)〕き[やぶちゃん注:捕られぬようにし。]、犀は角を退き、麝は臍を退く。皆、輒〔(すなは)〕ち、藏(かく)し覆ふ。自ら珍といふことを知るなり。今、渡る所の麝香〔は〕、雲南の者を上と爲し、東京(トンキン)[やぶちゃん注:現在のベトナムのハノイの旧称。或いはベトナム北部の中国語での広域呼称。]の者を次と爲す。福州・南京、又、之れに次ぐ。眞・僞、數品、有り。明〔(あきら)〕め難し。大抵、「臍(へそ)麝香」を最上と爲す。皮膜有りて之れを裹む。一箇〔の〕重さ五錢より八錢ばかり[やぶちゃん注:一銭は一匁で江戸時代は三・七四グラムほどであるから、十八・七から約三十グラム。]。一種、皮膜無くして煉りたる粉のととくなる者、名づけて「傳-染(うつし)麝香」と曰ふ。共に赤黒色にして、乾く者有り、濕(しめ)る者有り、其の香〔り〕にも亦、異同有り。相ひ傳ふ、鯨の屎〔(くそ)〕或いは朽木〔(くちき)〕を末と爲し、麝の臍と同じく[やぶちゃん注:一緒に。]噐に盛り、陰處に置き、歳月を經て、臍を拔き取り、香をして傳-染(うつ)らしむ。〔これ、〕最も下品なり。臍、揉み碎きて、木の粉と和(ま)ぜ合はせたる者を中品と爲す。眞の臍、揉み碎く者を「臍傳染(〔へそ〕うつし)」と名づく。是れ、上品と爲す。〔真贋を〕試みる法〔は〕、火に燒きて灰無く、其の香、變らざる者、眞なり〔と〕。
「谷響集〔(こくきやうしふ)〕」に云はく、『佛前に麝香を焚うことを忌むこと、「攝眞實經〔(せふしんじつきやう)〕」に見えたり』〔と〕。
[やぶちゃん注:鯨偶蹄目反芻亜目真反芻亜目ジャコウジカ科ジャコウジカ亜科ジャコウジカ属 Moschus に以下の七種が現生する(以前は五種であったが、内の二亜種が分離された)。
ヤマジャコウジカ Moschus chrysogaster(以下の二亜種がいる。Moschus chrysogaster chrysogaster(チベット南部に分布)・Moschus chrysogaster sifanicus(青海省・甘粛省・四川省・雲南省・寧夏回族自治区などに分布))
シベリアジャコウジカ Moschus moschiferus
コビトジャコウジカ Moschus berezovskii(中国やベトナムなどに分布。以下の四亜種がいる。Moschus berezovskii berezovskii・Moschus berezovskii bijiangensis・Moschus berezovskii caobangis・Moschus berezovskii yanguiensis)
カッショクジャコウジカ Moschus fuscus
アンフィジャコウジカ Moschus anhuiensis(和名は限定棲息地であるの安徽省に因む)
カシミールジャコウジカ Moschus cupreus
ヒマラヤジャコウジカ Moschus leucogaster
ジャコウジカは、角を持たないこと、胆嚢を持つことなどから、一般のシカ類とは異なる種群である。また、♂には長大な上顎犬歯があるだけでなく、他のシカ類にみられる眼下腺や足の腺がなく、代りに尾腺と下腹部の大きな麝香腺を持つ。名はこの麝香腺に由来し、ここから発情期に約三十グラムの麝香が採取されることから、古来より捕獲され続け、頭数は減少傾向にある(ワシントン条約などによる取引制限はなされている)。七種の内、シベリアジャコウジカが体高六十~七十センチメートルで、最も大きく、分布も最も広い(シベリア東部・西モンゴル・中国北部・朝鮮半島などで、山林に棲息し、大群は成さず、一~三頭ほどで暮らし、朝夕に草や木の葉などを採食する。夜行性)。ヤマジャコウジカは中国中部・ヒマラヤ地方に、コビトジャコウジカは中国北西部の森林に(ここまでは解説の主文を小学館「日本大百科全書」に主に拠った)、カッショクジャコウジカは中国・インド・ブータン・ミャンマー・ネパールに、カシミールジャコウジカはインド・パキスタンのカシミール地方やアフガニスタンに、ヒマラヤジャコウジカはアフガニスタン・チベット・ブータン・インド・ネパールの標高二千五百メートル近辺の高地に棲息している(種学名その他データでは、サイト「いちらん屋」の「ジャコウジカ(麝香鹿・じゃこうじか)の種類一覧」を参考にした)。ウィキの「ジャコウジカ」によれば、『ジャコウジカ科には十数属が含まれるが、現生するのはジャコウジカ属のみである』。嘗つては『シカよりも原始的と考えられたが、実際にはそのような系統位置にはない』ことが判明している。『枝角や顔腺を有さず、乳頭は』一『対のみ、胆嚢、尾腺、一対の牙状の歯、そして人間にとって経済的価値のある麝香を分泌する麝香腺を有する。主に南アジア山岳の森または潅木地帯に』棲息する。『小さくてがっしりとした体格のシカに似ており、後肢は前肢よりも長い。全長』は八十~一メートル、肩高五十~七十センチメートル、体重七~十七キログラム。『荒地を登るのに適した脚を有す。シカ科のキバノロの様に角を持たないが、雄は上の犬歯が大きく発達して、サーベル状の牙となる』『歯式は』『シカと類似する』。『麝香腺は成獣の』♂のみに見られる器官で、『麝香腺は陰部と臍の間にある嚢』の中にあり、♀を『引き付けるために麝香を分泌する』。『草食性で、(通常』『人里離れた)丘の多い森林環境に生息する。シカと同様に主に葉、花および草を食べ、更に苔や地衣類も食べる。単独性の動物であり、縄張りがはっきりとしており、尾腺で匂い付けを行う。臆病な性格が多く、夜行性または薄明活動性』。『発情期になると雄は縄張りを出て、牙を武器にして雌争いをする。雌は』百五十~百八十『日で子を一匹産む。新生仔は非常に小さく、生後』一『ヶ月になるまでは基本的にあまり動かない。これによって捕食者から見つかりにくくなる』。『現在、ワシントン条約によって国際取引が禁止されているが、麝香採取のための密猟は絶えない。中国では』一九五八年『より飼育研究が開始され、四川省都江堰市のほか』、『数か所で飼育されている』とある。なお、荒俣宏氏の「世界博物大図鑑」の第五巻「哺乳類」(一九八八年平凡社刊)の「ジャコウジカ」の項によれば、属名の「Moschus」(モスクス)は確かにギリシャ語の「麝香(じゃこう)」であるが、この語は実はサンスクリット語の「睾丸」を意味する語が由来であるとある。また、ウィキの「麝香」も引いておくと、『ムスク (musk) とも呼ばれ』、『主な用途は香料と薬の原料としてであった。 麝香の産地であるインドや中国では有史以前から薫香や香油、薬などに用いられていたと考えられている』。『アラビアでもクルアーンにすでに記載があることから』、『それ以前に伝来していたと考えられる。 ヨーロッパにも』六『世紀には情報が伝わっており』、十二『世紀にはアラビアから実物が伝来した記録が残っている』。『甘く粉っぽい香りを持ち、香水の香りを長く持続させる効果があるため、香水の素材として極めて重要であった。また、興奮作用や強心作用、男性ホルモン様作用といった薬理作用を持つとされ、六神丸、奇応丸、宇津救命丸、救心などの日本の伝統薬・家庭薬にも使用されているが、日本においても中国においても』。『漢方の煎じ薬の原料として用いられることはない』。『中医学では生薬として、専ら天然の麝香が使用されるが、輸出用、または安価な生薬として合成品が使われることもある』。『麝香はかつては雄のジャコウジカを殺し』、『その腹部の香嚢を切り取って乾燥して得ていた。 香嚢の内部にはアンモニア様の強い不快臭を持つ赤いゼリー状の麝香が入っており、一つの香嚢からはこれが』三十『グラム程度得られる。これを乾燥すると』、『アンモニア様の臭いが薄れ』、『暗褐色の顆粒状となり、薬としてはこれをそのまま、香水などにはこれをエタノールに溶解させて不溶物を濾過で除いたチンキとして使用していた。ロシア、チベット、ネパール、インド、中国などが主要な産地であるが、特にチベット、ネパール、モンゴル産のものが品質が良いとされていた。これらの最高級品はトンキンから輸出されていたため、トンキン・ムスクがムスクの最上級品を指す語として残っている』。『麝香の採取のために殺されたジャコウジカはかつては年間』一『万から』五『万頭もいたとされている。そのためジャコウジカは絶滅の危機に瀕し、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)によりジャコウの商業目的の国際取引は原則として禁止された』。『現在では中国においてジャコウジカの飼育と飼育したジャコウジカを殺すことなく継続的に麝香を採取すること(麻酔で眠らせる』『などの方法がある)が行なわれるようになっているが、商業的な需要を満たすには遠く及ばない。六神丸、奇応丸、宇津救命丸などは条約発効前のストックを用いているという』。『そのため、香料用途としては合成香料である合成ムスクが用いられるのが普通であり、麝香の使用は現在ではほとんどない』。『麝香の甘く粉っぽい香気成分の主成分は』『ムスコン』で、『そのほかに微量成分としてムスコピリジン (muscopyridine) などの』『化合物が多数発見されている』。『有機溶媒に可溶な成分のうちで最大』二十%『程度含まれている。この他に男性ホルモン関連物質であるC19-ステロイドのアンドロスタン骨格を持つアンドロステロンやエピアンドロステロン (epiandrosterone) などの化合物が含まれている』。『ムスコンが』二%『以上、C19-ステロイドが』〇・五%『以上のものが良品とされる』。『麝香の大部分はタンパク質等である。麝香のうちの約』十%『程度が有機溶媒に可溶な成分で、その大部分はコレステロールなどの脂肪酸エステル、すなわち』、『動物性油脂で』しかない。『麝香の麝の字は鹿と射を組み合わせたものであり』、「本草綱目」に『よると、射は麝香の香りが極めて遠方まで広がる拡散性を持つことを表しているとされる』。『ジャコウジカは一頭ごとに別々の縄張りを作って生活しており、繁殖の時期だけ』、『つがいを作る。そのため』、『麝香は雄が遠くにいる雌に自分の位置を知らせるために産生しているのではないかと考えられており、性フェロモンの一種ではないかとの説がある一方』で、『分泌量は季節に関係ないとの説もある』。『一方、英語のムスクはサンスクリット語の睾丸を意味する語に由来するとされる。これは麝香の香嚢の外観が睾丸を思わせたためと思われるが、実際には香嚢は包皮腺の変化したものであり』、『睾丸ではない』とある。
「其の香氣、遠く射る。故に、字、「射」に从〔(したが)〕ふ」この解説は目から鱗! 流石は中国! フェロモン(pheromone)を遠の昔に名指して漢字としていたのだ!!(但し、上に飲用したように、ジャコウジカの麝香腺の分泌量は季節的変化がないという主張もあるところからは、性フェロモンではなく、テリトリーを示すためのマーキング或いは警告用とはなろうか。にしても遠く相手を「射」ることに変わりはない) 脱帽!!!
「麞〔(くじか)〕」既に私は何度もシカ科オジロジカ亜科ノロジカ族キバノロ属キバノロ Hydropotes inermis に推定比定している。
「陝西」現在の陝西省(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「益州」四川省。
「秦州」「文州」ともに同じく甘粛省内相当。
「諸蠻」中国国境外の諸地域。前の注の分布域から見ても正当な表現である。
「栢〔(はく)〕」東洋文庫訳割注は『香木の一種』とするが、どこにそんな意義が載るのか甚だ不審である。中国語でこの「栢」は「柏」の旧字で、ヒノキ(球果植物門マツ綱マツ亜綱マツ目ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ Chamaecyparis obtusa )・サワラ((椹:ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera )・コノテガシワ(ヒノキ科コノテガシワ属コノテガシワ Platycladus orientalis )などの常緑樹を指し(因みに、漢文学の諸注釈では圧倒的に「柏・栢」を「このてがしわ」と限定するが、私は植物学的に本当にそれに限定していいのかどうかは大学時分からかなり疑っている)、特殊な香木を指すというのは聴いたことがない。【2019年4月19日追記】いつも情報を戴くT氏から、寺島良安が本「和漢三才図会」の「巻第八十二」の「香木類」の冒頭で「柏」(標題下割注で『「栢」同』とする)を挙げていることを指摘して下さった。原文は、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここと次の頁である。さて、その冒頭で白檀とか言ってはいるが、東洋文庫訳の当該項を見ると、訳者は本文内の「柏」の割注で『ヒノキ科コノテガシワ、またはシダレイトスギ』としているのを見出せた。後者はヒノキ科イトスギ属シダレイトスギ Cupressus funebris である。さすれば、やはりこれは狭義の「香木」ではなく、時珍も良安も、その珠果が芳香を放ち、また、それらを伐り出した用材も良い香りがする(狭義の「香木」とは違う意味でである)から「香木」としているのだ、と私は読んだ。T氏はさらに、長岡美佐氏の論文『「柏(ハク)」と「カシハ」にみる中日文化』を紹介して下さった。これはまさに私の積年の疑問が明らかにされていて、まことにまさに清々しい木の香を嗅いだ如き気持ちになれた。そうそう! 漢文ではしばしば「栢」を棺桶の材料として出すのだったなあ! 必読!!!
「夏月、蛇・蟲を食ひ、多く、寒に至れば、則ち、香、滿つ」「本草綱目」(厳密には陶弘景の引用)は、この麝香の成分が蛇や虫由来と暗に示していることが判る。これは所謂、道教系のブラック・マジックである蠱毒(こどく)との親和性を感じさせる。
「温瘧〔(をんぎやく)〕」平脈のように観察され、寒気もないが、ただ熱が出て、関節が疼痛を起こし、時に嘔吐する症状を指す語。
「驚癇」癲癇。
「心腹〔の〕暴痛」胸部や腹部の激しい痛み。東洋文庫訳は「心腹」だけで『胸腹部の疼痛』とするが、採らない。
「痞滿〔(ひまん)〕」東洋文庫訳割注に『腹がつかえてふくれあがること』とある。
「〔極小さき〕白〔き〕蟲有りて、腦に入り、癩〔(らい)〕を患ふ」これは先行する「鹿」の角の解説部で『鹿茸〔は〕鼻を以つて齅〔(か)〕ぐべからず。此の中に、小さき白き蟲、有り。之れ、視れども見えず、人の鼻に入〔れば〕、必ず、蟲顙〔(ちゆうさう)〕[やぶちゃん注:病名。後注する。]と爲り、藥も及ばざるなり』と割注があったのと頗る親和性のある注意書きである。そこで私は不詳の疾患名「蟲顙」を、異常プリオン蛋白の増加による中枢神経の感染性疾患である伝達性海綿状脳症(Transmissible spongiform encephalopathy:TSE:別名:伝播性海綿状脳症:プリオン(prion)病)に推定比定したが、ここではしっかり脳に侵入すると出たぜ! 「クロイツフェルト・ヤコブ病」だ! なお、この場合の「癩」はハンセン病ではなく、激しい皮膚や組織の変性を示す病態を言っている。
「久しく其の香を帶〔ぶれば〕、關〔節〕を透して、人をして異疾を成さしむ」長期間、麝香を身に携帯していると、その強力な成分が、知らぬうちに関節から過剰に浸潤してしまい、普通は見られないような異常な症状を生じさせる、という警告である。
『「三才圖會」に云はく……』原典は図がこちらの左頁、解説がこちらの左頁(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。前に出た人に追われると自ら投身自殺して、全き麝香囊を与えないという話が、ここにもしっかり載っているので、是非、見られたい。
「商」現在の陝西省。
「汝」河南省。
「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は、清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。
「納屋助左衞門」戦国時代の和泉国堺の伝説的貿易商人呂宋助左衛門(るそんすけざえもん 永禄八(一五六五)年?~?)。本姓は納屋(なや)。堺の貿易商納屋才助の子で豪商となり、文禄二(一五九三)年に小琉球(呂宋・現在のフィリピン諸島)に渡航、珍奇な物品を仕入れ、翌年、帰国。堺代官石田政澄を介して豊臣秀吉に唐傘や壺などを献上した。特に壺は公家・武将間に茶の湯が隆昌を極めていたことから珍重され、かつ高価な茶器として、秀吉に愛蔵され、呂宋壺の名で諸大名や家臣にも分配された。競って買い求められるようにもなり、助左衛門は呂宋壺を主とした貿易により、巨利を独占したと伝えられる。慶長一二(一六〇七)年にカンボジア(東埔塞)に渡航し、国王に信任され、かの地で没したとされる(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。
「福州」福建省。
「鯨の屎〔(くそ)〕」抹香鯨(鯨偶蹄目Whippomorpha亜目Cetacea下目ハクジラ小目マッコウクジラ科マッコウクジラ属マッコウクジラ Physeter macrocephalus)の腸内に発生する結石で香料の一種である「龍涎香(りゅうぜんこう)」のことであろう。ウィキの「龍涎香」を参照されたい。
「谷響集〔(こくきやうしふ)〕」東洋文庫訳の「書名注」に元の釈善住撰の全三巻とある。
「攝眞實經〔(せふしんじつきやう)〕」東洋文庫訳の「書名注」に『『諸物境界摂真実経』三巻。唐、般若訳』とある。]