七騎落 伊良子清白
七 騎 落
兵衞佐賴朝(ひやうゑのすけ)は昨日
石橋山の合戰にうち負け
味方無勢(ぶぜい)にある間
主從七騎也眞鶴ケ崎より
安房國洲(す)の崎を志して落ち行きける
相模の國早川尻の沖合にて
俄かに風起り波立ちて
舟足いとど進まざりけり
先づ一番に田代殿申さるるには
この馬は稀有(けう)のものに候
五臟太(ぶと)に尾髮(をがみ)飽くまで足りたるに
聞ゆる逸物(いちもつ)
岩石をきらはず、風雨を凌ぎて
白轡をはませ、白覆輪の鞍は
連雀掛(れんじやくがけ)の鞦(しりがひ)の
銀絲を組みて乘つたるは
我君大將軍
馬は「波」といふ白月毛にて候
さて二番には新開次郞
日頃藝術(わざ)にかけては
朧氣ならず强弓(がうきゆう)の精兵(せいびやう)
矢つぎ早の手利(てきき)に候へども
この波風はさてさて恰つくき風情のものにて候かな
また三番には土屋の三郞
佐殿(すけどの)世に出で給ひて
日本國を打ち從へ
將軍の宣旨(せんじ)にあづかり給はば
今日の僻事(ひがごと)に、やつがれなんど
龍宮海底の追捕使に被(なさ)れなば
其後(そののち)、波風平らぎ候ふべし
四番には土佐坊
僧形(そうぎやう)には似氣(にげ)なく候へども
大魚我等を吞み候ふまへに
鱶魚(ふか)にてもあれ、鮫、鯨にてもあれ
手捕にして君の御感(ぎよかん)に預らん
五番には土肥の實平
樽搖れの旨さに
一定(いちぢやう)あつぱれ飮料と存じ候
せめて船底の澱(おり)にても賜はらば
海神たちまちに醉ひ痴(し)れ
航海安穩(あんのん)に候はん
六番には同じく遠平
容顏美麗の少年にて
いと幼なげに申しけるは
貴人照臨と承はるか
管絃の法樂(ほふらく)亂(らう)がはし
われ等橫笛(やうでう)の袋もて
汝の器包まばいかに
艫板には岡崎四郞
老體なれば鬚髮(しゆはつ)輝き
四時(しいじ)の果の冬なれば
海にこもごも雪降りぬ
面白や、萬箇目前(ばんこもくぜん)の境界
懸河滿々(けんがたうたう)たり、汨々(こつこつ)たり
旗を卷き劍(つるぎ)を硏(と)ぐ
海の見參と人も見よ
かくて七騎の人々口々に
僻事(ひがごと)いひて戲れける
佐殿は舶(へ)さきにおはして
一言(ひとこと)ものたまはず
八幡大菩薩を念じ給ひけるが
其の後風やみ波しづまりて
夢のやうにまぼろしの
洲(す)の崎(さき)にこそ着き給ひけれ
この詩はウーランドのカール王航海の飜案にして、盛衰記、曾我物語、謠曲七騎落より用語を擇出補用せり。卽ち創作にあらず、會合などの唱ひ物にとの試みなり。
[やぶちゃん注:以上のポイント落ちの後書きは、底本では全体が詩篇本文ポイントの一字下げとなっている。]
[やぶちゃん注:明治四〇(一九〇七)年七月日発行『文庫』初出。初出は句読点が無暗に多用されている。但し、特に有意な改変はないので初出形は示さない。「ウーランド」はドイツ後期ロマン主義のシュワーベン詩派の代表的詩人であるルートビヒ・ウーラント(Ludwig Uhland 一七八七年~一八六二年)のことか。「カール王航海」というのは不詳。
シークエンス時制は「石橋山の戦い」で頼朝が破れて遁走した、翌日(治承四年八月二四日(ユリウス暦一一八〇年九月十五日)以降の、八月下旬。「吾妻鏡」によれば、真鶴出帆は八月二十八日、実際は絶体絶命の秘密裏の脱出行であって、ごく小型の小舟で従者は土肥実平のみであったことは言うまでもない(こんなに武者がぞろぞろ乗っていたんでは目立ってしゃあない!)。翌日二十九日、安房平北(へいほく)郡獵嶋(りょうしま)に着いている(現在の安房郡鋸南町(きょなんまち)竜島(りゅうしま)(グーグル・マップ・データ))。前後の簡略な経緯は私の「北條九代記 右大將賴朝創業」を読まれたい。
本篇の登場人物は源氏方のオール・スター・キャストで華やか過ぎるのであるが、このシチュエーションは能「七騎落」(しちきおち:作者未詳。石橋山の合戦に敗れた頼朝一行は船で房総の方へ逃げ落ちようとしたが、主従の数が源氏に不吉な八騎であることから、土肥実平の子遠平を陸上に残して出る。翌日、和田義盛が遠平を助けて連れてきたので、一同は喜びの酒宴を催すという筋立て。「あさかのユーユークラブ 謡曲研究会」のこちらが解説以外に詞章も電子化されていてよい)のメンバーに基づくものである(同謡曲では当初の登場人物は源頼朝・土肥実平・土肥太郎遠平・新開次郎忠氏・土屋三郎宗達・田代冠者信綱・土佐坊昌俊・岡崎四郎義実)。彼らは実際に孰れも頼朝挙兵時の直参の兵者(つわもの)である。
「橫笛(やうでう)」現代仮名遣「ようじょう」。歴史的仮名遣では「やうぢやう」とも書く。「横笛(よこぶへ)」の音「ワウテキ」が「王敵」に通じるのを忌んで読み変えたものとされる。
「汨々(こつこつ)たり」「汨」は水が速く流れるさま、或いは、波の音のオノマトペイア。]
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