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2019/04/23

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)

Kawauso 

かはうそ 水狗

水獺

     【和名宇曽

      今云川宇

      曾別有海

      曾宇山宇

      曾故以

シユイタ  別之】

[やぶちゃん注:良安は「獺」の(つくり)を総て「頼」とするが、総て正字で表記した。] 

本綱水獺江湖多有之狀似小狐而毛色青黒若故紫帛

似狗膚如伏翼長尾四足俱短頭與身尾皆褊大者身與

尾長三尺餘水居食魚能知水信爲穴鄕人以占潦旱如

鵲巢知風也正月十月獺兩祭魚知報本反始也熊食鹽

死獺飮酒而斃是物之性也今漁舟徃徃馴畜使之捕魚

獱獺 卽獺之大者頸如馬身似蝙蝠或云獱獺無雌以

 猨爲雌故云猨鳴而獺候

獺肉【甘鹹寒】 治疫氣溫病及牛馬時行病女子經脉不通

 大小便秘【但熱症宜冷症不佳】

獺肝【甘溫有毒但肉寒肝溫】 諸畜肝葉皆有定數惟獺肝一月一葉

 十二月十二葉其間又有退葉用之者須驗治虛勞咳

 嗽傳尸病【以肝一具陰乾爲末水服方寸匕日三以瘥爲度】

獺膽【苦寒】 治眼翳黒花飛蠅上下視物不明入㸃藥中也

 又以獺膽塗盃唇使酒稍髙于盞靣

△按獺溪澗池河之淵灣或巖石間爲穴出食魚游水上

 時以砲擊取之性捷勁牙堅故闘犬却喫殺犬或云老

 鰡變成獺故獺胸下亦有肉臼又鮎變成獺但鰡變者

 口圓鮎變者口扁也【人有見其半分變者】鰡則海魚若謂江海獺

 乃鰡之變溪湖獺乃鮎變則可矣乎恐俗說也

獺皮 作褥及履屧産母帶之易産【毛甚柔軟微似獵虎而毛短形小不堪用】 

 

かはうそ 水狗〔(すいく)〕

水獺

     【和名「宇曽〔(うそ)」。今、

      云ふ、「川宇曾」。別に

      「海宇曾」・「山宇曾」有り。

シユイタ  故に以つて之れを別〔(わか)〕つ。】 

「本綱」、水獺、江湖、多く之れ有り。狀、小狐に似て、毛色、青黒。故〔(ふる)〕き紫の帛(きぬ)のごとし。狗〔(いぬ)〕の膚〔(はだへ)〕に似て、伏翼(かはもり)[やぶちゃん注:「蝙蝠(こうもり)」に同じ。]のごとし。長き尾、四足俱に短く、頭と身と尾、皆、褊〔(せま)〕し。大なる者は、身と尾と、長さ三尺餘り。水居して魚を食ふ。能く水信[やぶちゃん注:水の変化の予兆。]を知り、穴を爲〔(つく)〕る。鄕人〔(さとびと)〕、〔それを見て〕以つて潦〔(にはわづみ)〕[やぶちゃん注:大雨。]・旱〔(ひでり)〕を占ふ。鵲〔(かささぎ)〕の巢の風を知るごときなり。正月・十月、獺、兩〔(ふた)〕たび[やぶちゃん注:年に二度の意。]、魚を祭る。知、本〔(ほん)〕を報い、始めに反〔(かへ)〕るを知るなり。熊は鹽を食ひて死し、獺は酒を飮みて斃〔(たふ)〕る。是れ、物の性〔(しやう)〕なり。今、漁舟、徃徃〔にして〕馴(な)れ畜(か)ひて之れをして魚を捕へしむ。

獱獺〔(ひんだつ)〕 卽ち、獺の大なる者。頸、馬のごとく、身、蝙蝠(かはもり)に似たり。或いは云ふ、「獱獺、雌、無く、猨〔(さる)〕[やぶちゃん注:猿。]を以つて雌と爲す。故に云ふ、『猨、鳴きて、獺、候〔(うかが)ふ〕』〔と〕」〔と〕。

獺の肉【甘、鹹。寒。】 疫氣・溫病[やぶちゃん注:発熱性の急性伝染病の総称。]及び牛馬の時行(はやり)病ひ、女子の經脉不通、大小便の秘〔せる〕[やぶちゃん注:便秘。]を治す【但し熱症に〔は〕宜しく〔も〕、冷症〔には〕佳ならず。】。

獺〔の〕肝【甘、溫。毒、有り。但し、肉は寒、肝は溫〔なり〕。】 諸畜の肝葉は、皆、定數、有り。惟だ、獺の肝、一月一葉〔にして〕、十二月には十二葉あり。其の間、又、退葉、有り。之れを用ふる者〔は〕須らく驗(こゝろ)むべし。虛勞[やぶちゃん注:過労による衰弱。]・咳嗽〔(がいさう)〕[やぶちゃん注:咳や痰。]・傳尸病〔(でんしびやう)〕[やぶちゃん注:伝染性である結核性の諸疾患。]を治す【肝一具を以つて陰乾し、末と爲し、水〔にて〕服す。方寸〔の〕匕〔(さじ)〕、日に三たび、瘥〔(い)〕ゆを以つて度と爲す[やぶちゃん注:服用を止める。]。】。

獺の膽(ゐ[やぶちゃん注:ママ。])【苦。寒。】 眼〔の〕翳〔(かす)みて〕黒〔き〕花飛ぶ蠅〔のごときものの〕上り下り、物を視ること明ならざるを、㸃藥の中に入るるべし。又、獺の膽を以つて、盃〔(さかづき)〕の唇(くち)に塗り、酒をして、稍〔(やや)〕盞〔(さかづき)〕の靣より髙からしむ。

△按ずるに、獺、溪澗・池河の淵〔や〕灣、或いは巖石の間〔に〕穴を爲〔(つく)〕り、出でて、魚を食ふ。水上を游(をよ)ぐ[やぶちゃん注:ママ。]時、砲を以つて、之れを擊ち取る。性、捷勁〔(せふけい)〕[やぶちゃん注:動きが敏捷でしかも体力強靭であること。]にして、牙、堅し。故に犬と闘へば、却つて、犬を喫(か)み殺す。或いは云はく、老鰡(しくちぼら)、變じて、獺と成る。故に獺の胸の下に亦、肉〔の〕臼〔(うす)〕、有り。又、鮎(なまづ)變じて、獺と成る。但し、鰡〔(ぼら)〕の變じたる者は、口、圓〔(まろ)〕く、鮎の變じたるは、口、扁(ひらた)しとなり【人、其れ、半分、變じたる者を見たる有り〔と〕。】。鰡は則ち、海魚なり。若〔(も)〕し、江海の獺は乃〔(すなは)〕ち、鰡の變、溪湖の獺は、乃ち、鮎の變、と謂はゞ、則ち、可ならんか。恐らくは〔これ〕俗說なり。

獺(うそ)の皮 褥(しとね)及び履屧〔(くつのしきもの)〕[やぶちゃん注:靴の中の敷き物。]に作る。産母、之れを帶びて、産、易し【毛〔は〕甚だ柔軟にして微〔(かす)かにて〕、獵虎〔(らつこ)〕に似れども、毛、短く、形、小にして、用に堪へず。】。

[やぶちゃん注:「本草綱目」のそれは、食肉目イタチ科カワウソ属ユーラシアカワウソ Lutra lutra、本邦のそれは日本人が滅ぼしたユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nipponウィキの「ニホンカワウソ」を引く。『明治時代までは礼文島、北海道、本州、四国、九州、壱岐島、対馬、五島列島まで日本中の陸地から島々に至るまで広く棲息していたが、乱獲や開発によって棲息数が激減』、昭和三(一九二八)年には、『狩猟の対象外となった。しかしその後も棲息数は減少を続け』、一九三〇年代から昭和二五(一九五〇)年にかけて、『棲息が確認された地域は北海道、青森県東津軽郡油川町、秋田県仙北郡角館町檜木内川、山形県朝日山地、栃木県大田原市箒川および日光市西ノ湖、埼玉県、山梨県中巨摩郡宮本村荒川、長野県、奈良県吉野郡下北山村、和歌山県、兵庫県神崎郡川辺村、揖保郡越部村栗栖川および淡路島、四国地方、大分県のみとなった。しかし、本州及び九州本土の個体群はいずれも孤立した個体群であったため』、昭和二九(一九五四)年『頃までに絶滅したとみられ』る。『本州最後の個体群は、和歌山県和歌山市友ヶ島で』昭和二九(一九五四)年に『確認された個体群であったが、特に保護されることなく』、『絶滅した』、『北海道産亜種』であるLutra lutra whileleyi(和名がつけられる前に我々が絶滅させてしまった。「エゾカワウソ」と呼ばわってやりたい)も、昭和三〇(一九五五)年に『斜里郡斜里川で捕獲されたのが最後の捕獲例であ』った。『そのため』、『ニホンカワウソの分布域は、四国地方の愛媛県および高知県のみとな』ってしまい、『最後の捕獲例は』、昭和五〇(一九七五)年四月八日、『愛媛県宇和島市九島で保護されたもので、その後は捕獲されていない。ニホンカワウソが生きた姿で最後に発見されたのは高知県須崎市の新荘川におけるもので』、昭和五四(一九七九)年六月の目撃で、この新荘川では昭和六一(一九八六)年十月に、『ニホンカワウソの死体が発見されているが、これ以降』、『棲息の確認は得られていない』。なお、『樺太(サハリン)南端部の能登呂半島には』、二〇一七年『現在でもカワウソが棲息しているが』、これを絶滅した『北海道産亜種(Lutra lutra whileleyi)と同一種であると分類する専門家も』いる。体長は六十四.五~八十二センチメートル、尾長三十五~五十六センチメートル、体重五~十一キログラムで、『外部計測値は韓国産のユーラシアカワウソとほぼ同じだが、頭骨形状に特徴があ』り、『眼を水面から出して警戒できるよう、眼と鼻孔が顔の上方にあった』、また、『鼻孔は水中で閉じることができ』、『毛皮は二層からなり、外側に見える部分は粗い差毛、内側は細かい綿毛であった。差毛は水中で水に濡れて綿毛を覆い、綿毛に水が浸入するのを防いだ。このことにより』、『水中での体温消耗を防ぐ効果があった。この良質な毛皮を目的とした乱獲が、絶滅の要因となった』。『河川の中下流域、砂浜や磯などの沿岸部に単独で棲息し』、『主に夜行性で、魚類、テナガエビ、カニ、カエルなどを食べていた』。一『頭の行動域は十数』キロメートル『にもおよび、この中に「泊まり場」と呼ばれる生活の拠点(岸辺近くの大木の根元の穴や岩の割れ目、茂みなど)を』三、四箇所持っており、『縄張り宣言のために、定期的に岩や草むらの上など目立つ位置に糞をする習性があった』。『春から初夏にかけて水中で交尾を行い』、六十一~六十三『日の妊娠期間を経て』、二~五『頭の仔を産んでいたと考えられている。仔は生後』五十六日ほどで『巣から出るようになり、親が来年に新たな繁殖を開始するころに独立していたと推定される』。『人間にとって身近な存在であり、河童伝説の原型になったと考えられているほか、カワウソそのものも伝承に登場する。また、アイヌ語では「エサマン」と呼ばれ、アイヌの伝承にもしばしば登場している。七十二候の一つ(雨水初候)で獺祭魚(春になり』、『カワウソが漁を』始め、『魚を捕らえること)とある』。『江戸時代の料理書』「料理物語」には『「獣の部」において「川うそ」の名が記載されており、かつては食用となっていたとみられる』。『ニホンカワウソは保温力に優れている毛皮や肺結核の薬となる』とされた『肝臓を目的として、明治から昭和初期にかけて乱獲が進んだ』(本文にも結核の特効薬とするそれが出る)。『そのため北海道では』、明治三九(一九〇六)年『当時』、『年間』八百九十一『頭のカワウソが捕獲されていたが』、たった十二年後の大正七(一九一八)年には、『年間』七『頭にまで減少した』。『このような乱獲が日本全国で行われたため』、昭和三(一九二八)年、遅まきながら、『ニホンカワウソは日本全国で狩猟禁止となっ』た。而して昭和二九(一九五四)年『時点で、ニホンカワウソは北海道、紀伊半島と愛媛県の瀬戸内海から宇和海にかけての沿岸部、高知県南西部の沿岸部および室戸岬周辺にわずかに棲息域を残すのみとなったが、農薬や排水による水質悪化、高度経済成長期における周辺地域の開発、河川の護岸工事等により、棲息数の減少に更なる拍車がかかった。さらに、漁具による溺死や生簀の食害を防ぐための駆除も大きな打撃となった』。『最後の個体群は当初』、『猟師だけが知っていたもので』、結局それも『密猟されていた』のであった、とある。妖怪としての妖獣「かわおそ」については、本日、私が公開した「太平百物語卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事」の私の注を参照されたい。

 因みに、「獺」は「をそ(おそ)」とも呼ばれるが、小学館「日本国語大辞典」によれば、これは「かはをそ」「かわうそ」の略で、その語源説には「うををす」「ををす」(魚食)の略(「大言海」)、「おそる」(畏懼)と同根(「和句解」・「東雅」)、獣のくせに水中に入って魚を捕える獣にあるまじき「偽」(うそ)の存在の義(「名言通」)、妖獣譚でよく人を襲(おそ)うところから(「紫門和語類集」)、水底を住居とすることからの「こ」の反切(「名語記」)が示されてある。しかしどれも信じ難い。原形に獣・幻獣の「をそ」を探索すべきであろう。

「鵲〔(かささぎ)〕の巢の風を知るごときなり」東洋文庫注によれば、「淮南子」の「繆稱訓(びょうしょうくん)」に、

   *

鵲巢知風之所起、獺穴知水之高下。暈目知晏。陰階知雨。

   *

とあるとする。

「知、本〔(ほん)〕を報い、始めに反〔(かへ)〕るを知るなり」魚を殺生して生きている自分の存在を自覚し、天にその生贄を捧げて獺祭を行い、自己の無惨な生き方を自覚し、その在り方を原型に戻すことをちゃんと弁えているのである。

「熊は鹽を食ひて死し」先行する「熊(くま)」に記載があった。

「今、漁舟、徃徃〔にして〕馴(な)れ畜(か)ひて之れをして魚を捕へしむ」俄かに示せないが、カウワソを飼養して、鵜飼のように川魚を捕獲していたとする古記録を確かに読んだ。発見し次第、追記する。

「獱獺〔(ひんだつ)〕」変異個体か、幻獣であろう。同定する気になれない。

「候〔(うかが)ふ〕」東洋文庫訳は「やってくる」と訳す。採らない。

「之れを用ふる者〔は〕須らく驗(こゝろ)むべし」は以下の「治虛勞・咳嗽〔(がいさう)〕・傳尸病〔(でんしびやう)〕を治す」に係ると読んでおく。但し、中文本草書でこういう形の構文はあまりないようには思われ、或いは、前の肝臓が毎月一枚増加するが、時に、それが、減ることもある、ということを獺の肝臓を薬として、解剖して得る本草家は、剖検時にしっかりとその現象を確かめて見よと言っていると採る方が自然ではある。

「眼〔の〕翳〔(かす)みて〕黒〔き〕花飛ぶ蠅〔のごときものの〕上り下り、物を視ること明ならざる」典型的な眼疾患である飛蚊(ひぶん)症である。尋常性のそれも多いが(私も幼少期から馴染みである)、突然、多量に五月蠅く感ずるほどに発生する場合は、網膜剥離の前兆であるから、早急な治療が必要である。

「稍〔(やや)〕盞〔(さかづき)〕の靣より髙からしむ」表面張力で酒が盃から有意に盛り上がるぐらいに入れることを指す。

「老鰡(しくちぼら)」これはボラ(条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus)ではなく、ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheilus である。完全生育個体では体長が一メートルに及び大型で、背面は青色、腹面は銀白色。同属の近縁種との違いとしては、上唇が下方に曲がっていて、口を閉じると外部に露出してみえること、脂瞼(しけん)と呼ばれるコンタクト・レンズ状の器官が発達していないことがボラとの識別点として挙げられる。東洋文庫はこの「老鰡」の「鰡」にのみ『ぼら』とルビしており、老成したボラと採っていて、少なくとも個々の部分での訳としては致命的な誤りである。

「故に獺の胸の下に亦、肉〔の〕臼〔(うす)〕、有り」ボラ属 Mugil の多くの成魚は、胃が発達しており、胃の幽門部(ヒトの十二指腸に繋がる胃の部分)が体表から見ても、あたかも「出臍(でべそ)」のように突き出ている。現在も市場ではこれを「うす(臼)」と称したり、或いは、それを切り出した形が算盤の珠(たま)に似ていることから、「そろばんだま」と呼んだりする。一般的には焼くか揚げて食べる。食ったことがあるが、ホルモンの「ミノ」のような食感で私は好きだ。

「鮎(なまづ)」言わずもがな、中国語の「鮎」はナマズしか指さない。アユは「香魚」である。

「獵虎〔(らつこ)〕」食肉目イタチ科カワウソ亜科ラッコ属ラッコ Enhydra lutris。独立項として本巻の最後に出るので、そこで詳述する。]

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