北のはて 清白(伊良子清白)
北のはて
北のはて千島の國土(くぬち)
濃き霧の去來(いざよふ)ふあたり
夏七月(ふづき)雪厚肥えて
赤熱の目も力なし
父母(たらちね)の古巢をいでて
水くむと通ふ細路
夕づつの照らせる下に
夷曲(えぞぶり)を悲しくうたふ
深沼(ふけぬま)の水のおもてに
くろぐろとうかぶ唐松
山祇(やまづみ)の棲める谿間(たにま)に
木魂して震ふ響よ
丈(たけ)低き落葉松林(からまつばやし)
一刷毛の雲と連なり
深碧(ふかみどり)湖遠く
さかしまに樹立をうつす
常春(とこはる)の國の幻影(まぼろし)
南(みんなみ)の海の白帆は
夕雲の中に漂泊(たゞよ)ひ
珊瑚珠の柱ぞ見ゆる
[やぶちゃん注:初出は明治三八(一九〇五)年九月発行の『文庫』であるが、初出では総標題「小詩二篇」のもとに、本「北のはて」と次に電子化する「君の眼をみるごとに」の原詩「無題」を収める。署名は「清白」。初出形の第二連以降を連の順列変更を含めて大幅に書き変えている。
「父母(たらちね)」はママ。「父母」二字に対して「たらちね」とルビする。古語には「たらちね」で「父母・両親」の意がある。
以下が初出形。
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北のはて
北のはて千島の國土(くぬち)
濃き霧の去來(いざよふ)ふあたり
夏七月(ふづき)雪厚肥えて
赤熱の目も力なし
丈低き落葉松(からまつ)林
一刷毛の雲と連り
深碧湖遠く
さかしまに樹立を映(うつ)す
此土に處女(をとめ)と生れ
南に船を見る目は
常春(とこはる)の國を慕ひて
大海(おほうみ)に淚を落す
父母(たらちね)の古巢をいでゝ
水くみに通ふ細路
夕つゞの照らせる下に
夷曲(えぞぶり)を悲しくうたふ
古沼の水の面に
くろぐろとうかぶ唐松
山祇の棲める谿間に
こだまして冴ゆる響よ
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