太平百物語卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事
○十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事
山城の國に緖方勝次郞といふ侍あり。
或時、あふみの國彥根に行くとて、㙒州川(やすがは)を通りけるが、折ふし、秋の末つ方、冬のけしきをあらはして、落葉ちりしく水の面(おも)、見るに、こゝろもすみわたりければ、旅のこゝろをよみはべりける。
やす川といかでか名にはながしけん
くるしきせのみありとおもふに
かく口ずさみつゝ行く所に、むかふの方に、小舩(こぶね)一艘こぎ來る者あり。
見れば、みめうつくしき童子なりしが、身には木の葉・もくづなどをかづきてゐたり。
勝次郞、あやしくおもひて、
「いかなる人ぞ。」
と尋(たづね)ければ、
「これは此あたりに住(すむ)者なり。御身も此舟に乘(のり)給へかし。共に逍遙して樂しまん。」
といふ。
勝次郞、其體(てい)を能(よく)々みるに、
『これ、人間にあらず。』
と思惟(しゆひ[やぶちゃん注:ママ。])して、やがて嶲(たづさ)へたりし弓矢おつ取、引しぼりてぞ、
「ひやう。」
ど、はなつ。
あやまたず、此童子が胸にあたるに、忽ち、獺となりて、卽座に死(しゝ)たりしが、舟とおぼしきも、皆、木の葉にてぞ有(あり)ける。
『さればこそ。』
とおもふ所へ、又、壱人、陸(くが)の方より、老女、きたり、勝次郞をまねきて申さく、
「おこと、只今、童子の舟に乘りたるを見玉はずや。」
と。
勝次郞、荅(こた)へて、
「それは、はや、とく行き過ぎたり。」
といひて、向ふの方へやり過(すご)し、又、弓を引堅め、
「はた。」
と、ゐければ[やぶちゃん注:ママ。]、頭(かうべ)にあたると見へし。
頓(やが)て、老たる獺となりて、一聲(ひとこゑ)、
「あつ。」
と、さけびて、死しけり。
勝次郞、二疋のかはうそを取て、所の人々にみせければ、皆々、大きによろこび、云(いひ)けるは、
「此年比(このとしごろ)、かやうに美童・美女に化(け)して、おほく旅人(りよじん)をたばかり、喰殺(くひころ)し侍りしに、今よりしては、此あはれをみる事あるまじければ、有がたくこそさふらへ。」
とて、打よりて、勝次郞を拜みけるとかや。
[やぶちゃん注:「獺」日本人が滅ぼしてしまった哺乳綱食肉(ネコ)目イタチ科カワウソ亜科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon は古くより怪異を起こす動物として信ぜられた。中国でも例外ではなく、それは私「柴田宵曲 續妖異博物館 獺」にも取り上げられてある(リンク先は私の電子化注)。ウィキの「カウウソ」の「伝承の中のカワウソ」によれば、『日本や中国の伝承では、キツネやタヌキ同様に人を化かすとされていた。石川県能都地方で』、二十『歳くらいの美女や碁盤縞の着物姿の子供に化け、誰かと声をかけられると、人間なら「オラヤ」と答えるところを「アラヤ」と答え、どこの者か尋ねられると「カワイ」などと意味不明な答を返すといったものから』、『加賀』『で、城の堀に住むカワウソが女に化けて、寄って来た男を食い殺したような恐ろしい話もある』。江戸時代には「裏見寒話」「太平百物語」「四不語録」などの『怪談、随筆、物語でもカワウソの怪異が語られており、前述のように美女に化けたカワウソが男を殺す話がある』。『広島県安佐郡沼田町(現・広島市)の伝説では「伴(とも)のカワウソ」「阿戸(あと)のカワウソ」といって、カワウソが坊主に化けて通行人のもとに現れ、相手が近づいたり』、『上を見上げたりすると、どんどん背が伸びて見上げるような大坊主になったという』。『青森県津軽地方では人間に憑くものともいわれ、カワウソに憑かれた者は精魂が抜けたようで元気がなくなるといわれた』。『また、生首に化けて』、『川の漁の網にかかって化かすともいわれた』。『石川県鹿島郡や羽咋郡では』、「かぶそ」又は「かわそ」の『名で妖怪視され、夜道を歩く人の提灯の火を消したり、人間の言葉を話したり』、十八、九歳の『美女に化けて人をたぶらかしたり、人を化かして』は『石や木の根と相撲をとらせたりといった悪戯をしたという』。『人の言葉も話し、道行く人を呼び止めることもあったという』。『石川や高知県などでは河童の一種ともいわれ、カワウソと相撲をとったなどの話が伝わっている』。『北陸地方、紀州、四国などではカワウソ自体が河童の一種として妖怪視された』。室町時代の国語辞典の一種である「下学集」には、『河童について最古のものと見られる記述があり、「獺(かわうそ)老いて河童(かはらふ)に成る」と述べられている』。『アイヌの昔話では、ウラシベツ(北海道網走市浦士別)で、カワウソの魔物が人間に化け、美しい娘のいる家に現れ、その娘を殺して魂を奪って妻にしようとする話がある』。『中国では、日本同様に美女に化けるカワウソの話が、「捜神記」・「甄異志(しんいし)」などの『古書にある』(先の私の柴田宵曲のそれを参照されたい)。『朝鮮半島にはカワウソとの異類婚姻譚が伝わっている。李座首(イ・ザス)という土豪には娘がいたが、未婚のまま妊娠したので李座首が娘を問い詰めると、毎晩』、『四つ足の動物が通ってくるという。そこで娘に絹の糸玉を渡し、獣の足に結びつけるよう命じた。翌朝糸を辿ってみると』、『糸は池の中に向かっている。そこで村人に池の水を汲出させると』、『糸はカワウソの足に結びついていたので』、『それを殺した。やがて娘が生んだ子供は黄色(または赤)い髪の男の子で武勇と泳ぎに優れ』、三『人の子をもうけたが』、『末の子が後の清朝太祖ヌルハチである』とする。『ベトナムにもカワウソとの異類婚姻譚が伝わっている。丁朝を建てた丁部領(ディン・ボ・リン)は、母親が水浴びをしているときにかわうそと交わって出来た子であり、父の丁公著はそれを知らずに育てたという伝承がある』とある。ここにあるように、河童との親和性が強く、人間に化けるところは、狐狸の類いとの古来からの共通性が認められるが、生物としての彼らを滅亡させてしまった以上、最早、彼らは化けようがなくなったのだと考えるとき、私は一抹の寂しさを感じざるを得ない。
「㙒州川(やすがは)」野洲川は琵琶湖へ流入する河川では最長で、「近江太郎」の通称を持つ。鈴鹿山脈の御在所山(標高千二百十メートル)に発し、甲賀(こうか)市を西に流れ、湖南市南東と甲賀市の境界付近で杣川(そまがわ)が合流する。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「野洲川」に拠った。
「もくづ」「藻屑」。ここはロケーションから、淡水産の水草類や藻類の類い。]