淡路にて 清白(伊良子清白) (初出形)
淡路(あはぢ)にて
古翁(ふるおきな)しま國(くに)の
野にまじり覆盆子(いちご)摘(つ)み
門(かど)に來(き)て生鈴(いくすゞ)の
百層(もゝさか)を驕(おご)りよぶ
白晶(はくしやう)の皿(さら)をうけ
鮮(あざら)けき乳(ち)を灑(そゝ)ぐ
六月(ぐわつ)の飮食(おんじき)に
けたゝまし虹(にじ)走(はし)る
淸凉(せいろう)の里(さと)いでゝ
松(まつ)に行(ゆ)き松(まつ)に去(さ)る
大海(おほうみ)のすなどりは
ちぎれたり繪卷物(ゑまきもの)
鳴門(なると)の子(こ)海(うみ)の幸(さち)
魚(な)の腹(はら)を胸肉(むなじゝ)に
おしあてゝ見(み)よ十人(とたり)
同音(どうおん)にのぼり來(く)る
[やぶちゃん注:初出は明治三八(一九〇五)年九月発行『文庫』であるが、初出では総標題「夕蘭集」のもとに、本「淡路にて」と「戲れに」「花柑子」(孰れも「孔雀船」再録)及び「かくれ沼」(「孔雀船」所収の際に「五月野」に改題)及び「安乘の稚兒」(「孔雀船」再録)の五篇を掲げてある。署名は「清白」。では「六月(ろんぐわつ)」であるが、「ろくぐわつ」の誤植と思われ、「孔雀船」では「六月(ぐわつ)」と「六」にルビを振らない(当時、総ルビでも数字にルビを振らないケースは普通に見られる)から、ここは特異的にそれを採った。
「生鈴(いくすゞ)の」は鈴生りの反転で、摘んだ沢山の野苺の山を指す。
「百層(もゝさか)を驕(おご)りよぶ」いやさかを祝して御馳走しようというのである。
最終連は豊漁の若人の意気揚揚と帰帆するシークエンスであろう。]