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2019/04/04

海の聲山の聲 清白(伊良子清白)

 

海の聲山の聲

 

  序歌の一

 

鞠つく女の兒手をやめて

虹よ虹よといふ聲に

窓を開けば西日さす

山に錦はかゝりけり

 

家ことごとく虹ならば

歌ことごとく玉ならん

かく口ずさむ折からに

虹のかゝやきいひしらず

 

もとより家は埴生にて

名もなき賤の物狂

破れたる窓にうづくまり

破れたる歌の作者なり

 

たまたま虹の現はれて

さびしき家を照らせども

なにとこしへにわが歌は

掃きて捨つべきあくたのみ

 

  序歌の二

 

無賴(むらい)乍らもこの歌を

君にさゝげんかたみにと

祝ひの歌にあらざりと

いふ人あるも妨げじ

 

山の博士(はかせ)と渾名して

行者(ぎやうじや)となのる君なれば

とにもかくにもこの歌の

山の條(くだり)をよみたまへ

 

蓬萊(よもぎ)が島に漕ぎたみて

いたくな醉ひそ盃に

若し夫れ女神現はれて

われは不二なり月の夜を

[やぶちゃん注:「巡・廻(た)む」であろう。]

 

君の門邊に訪れぬ

日頃親しむめぐしごの

額を胸に押しあてむ

來れといはゞいかにせん

[やぶちゃん注:「愛(めぐ)し子の」。]

 

われはこのめる綿津見の

海の卷をもかき加へ

伊賀の旅路の雪ごもり

はじめて成りぬわが歌は

 

花の和子(わくご)を娶る夜は

君も美少に若がへれ

若がへるともわが歌を

老いしれたりといふ勿れ

 

こは醉興ぞ旅に病み

われは枯れたる老なれば

せめては人の物笑ひ

さびしきひげをほこらんか

 

 

  上 の 卷

 

   

 

いさゝむら竹打戰ぐ

丘の徑の果にして

くねり可笑しくつらつらに

しげるいそべの磯馴松

 

花も紅葉もなけれども

千鳥あそべるいさごぢの

渚に近く下り立てば

沈みて靑き海の石

 

貝や拾はん莫告藻(なのりそ)や

摘まんといひしそのかみの

歌をうたひて眞玉なす

いさごのうへをあゆみけり

[やぶちゃん注:不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科 Sargassaceae の海藻類を指す万葉以来の古語。ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum とする説の他に、ホンダワラ属アカモク Sargassum horneri に当てる説もある。私の寺島良安の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の「莫鳴菜(なのりそ/ほだはら)」や、ブログの「大和本草卷之八 草之四 海藻(ナノリソ/ホタハラ)(ホンダワラ)」の私の注を見られたい。]

 

波と波とのかさなりて

砂と砂とのうちふれて

流れさゞらぐ聲きくに

いせをの蜑が耳馴れし

音としもこそおぼえざれ

 

社をよぎり寺をすぎ

鈴振り鳴らし鐘をつき

海の小琴にあはするに

澄みてかなしき簫(ふえ)となる

 

御座(ござ)の灣(いりうみ)西の方

和具(わぐ)の細門(ほそど)に船泛けて

布施田(ふせた)の里や隱海(かくれみ)の

潮を渡る蜑の兒等

[やぶちゃん注:「孔雀船」で「泛(う)けて」(「泛(うか)べて」の意)と読んでいる。]

 

われその船を泛べばや

われその水を渡らばや

しかず纜解き放ち

今日は和子(わくご)が伴たらん

[やぶちゃん注:「纜」「ともづな」。]

 

見ずやとも邊に越賀(こが)の松

見ずやへさきに靑(あを)の峯

ゆたのたゆたのたゆたびに

潮の和(なご)みぞはかられぬ

 

和(なご)みは潮のそれのみか

日は麗らかに志摩の國

空に黃金や集ふらん

風は長閑に英虞(あご)の山

花や都をよぎるらん

 

よしそれとても海士の子が

歌うたはずば詮ぞなき

歌ひてすぐる入海の

さし出の岩もほゝゑまん

 

言葉すくなき入海の

波こそ君の友ならめ

大海原に男のこらは

あまの少女は江の水に

 

さても縑(かとり)の衣ならで

船路間近き藻の被衣(かつぎ)

女だてらに水底の

黃泉國(よもつぐに)にも通ふらむ

[やぶちゃん注:「縑」「固織(かたをり)」の転訛。織り目を密に固く織った絹布のこと。]

 

黃泉(よみ)の醜女(しこめ)は嫉妬(ねたみ)あり

阿古屋(あこや)の貝を敷き列ね

顏美き子等を誘ひて

岩の柩もつくるらん

 

さばれ海(わた)なる底ひには

父も沈みぬちゝのみの

母も伏(こや)しぬ柞葉の

生れ乍らに水潛る

歌のふしもやさとるらん

[やぶちゃん注:「伏(こや)しぬ」「こやす」は「臥(こ)やす」で動詞「臥(こ)ゆ」に上代の尊敬の助動詞「す」が附いて転訛したもの。「横たわっておられる」、ここは「そこで亡くなられた」の意。

「柞葉(ははそは)」。「母」の枕詞。]

 

櫛も捨てたり砂濱に

簪も折りぬ岩角に

黑く沈める眼のうちに

映るは海の泥(こひぢ)のみ

[やぶちゃん注:「簪」「かざし」と読みたい。]

 

若きが膚も潮沫(うたかた)の

觸るゝに早く任せけむ

いは間にくつる捨錨

それだに里の懷しき

 

哀歌(あいか)をあげぬ海なれば

花草船を流れすぎ

をとめの群も船の子が

袖にかくるゝ秋の夢

 

夢なればこそ千尋なす

海のそこひも見ゆるなれ

それその石の圓くして

白きは星の果ならん

 

いまし蜑の子艪拍子の

など亂聲(らんざう)にきこゆるや

われ今海をうかがふに

とくなが顏は蒼みたり

 

ゆるさせたまへ都人

きみのまなこは朗らかに

いかなる海も射貫くらん

傳へきくらく此海に

男のかげのさすときは

かへらず消えず潛女(かつぎめ)の

深き業(ごふ)とぞ怖れたる

 

われ微笑(ほゝゑみ)にたへやらず

肩を叩いて童形の

神に翼を疑ひし

それもゆめとやいふべけん

 

島こそ浮べくろぐろと

この入海の島なれば

いつ羽衣の落ち沈み

飛ばず翔らず成りぬらむ

 

見れば紫日を帶びて

陽炎ひわたる玉のつや

つやつやわれはうけひかず

あまりに輕き姿かな

 

白き松原小貝濱

泊つるや小舟船越(ふなごし)の

昔は汐も通ひけむ

これや年月の破壞(はゑ)ならじ

 

潮のひきたる鏡砂

うみの子ならで誰かまた

かゝる汀に仄白き

鏡ありとや思ふべき

 

大海原と入海と

こゝに迫りて海神が

こゝろなぐさや手ずさびや

陸(くが)を細めし鑿の業

 

步をかへせ海(わだ)の神

きみのかひなにのせられて

堪へんやわれは、しかりとて

あゝ其景の美しき

 

   

 

道は古びぬ二名島(ふたなじま)

土佐の沖より流れきて

紀路に渦卷く日の岬

潮の岬にさわぎては

底に破れし浮城の

鋼鐡(はがね)の板も碎くらむ

五月雨降れば荒れまさる

那智の御瀑の末にして

泥(どろ)を二つに分つ時

黃ばめる海を衝き進み

香(かぐ)の木の實を積み載せて

大冬海を直走(ひたばし)る

牟婁(むろ)の大人(おとな)の耳朶(ほだれ)にも

頻吹(しぶき)をかけて嘲笑(あざわら)ふ

海の流の黑潮は

今霜月の波頭

科戶(しなど)の風も吹き止みて

晴れわたりたる海の門を

玉藻流るゝ日もすがら

顏赤黑きいさり男が

沖の海幸卜はん

河の面は輝きて

志摩の岬を藍染の

緩き流と成りぬかな

[やぶちゃん注:「耳朶(ほだれ)」調べてみると、「耳たぶ」のことを「ほだれ」と呼ぶのは栃木県に確認された。但し、伊良子清白と栃木は縁がなさそうなので、他の地域でもこの方言があるものと思われる。識者の御教授を乞うものである。「科戶」「しなと」とも読み、「し」は「風」の意、「な」は連体格を示す格助詞で「の」の意、「と」は「場所」の意)風の起こる所。「日本書紀」の「神代上」に見える風神に「級長戸辺命(しなとべのみこと)」の名がある。]

 

加賀の白山(しらやま)黑百合の

咲き絕ゆる間の長冬を

時じく空の惡くして

波路險はしき時化(しけ)つゞき

雪持つ風に吹き閉る

海の一村うづもれて

橇も通はずなりぬれば

磯に幽鬼(すだま)の走るぞと

泣く子をおどす三越路の

北の雪國荒るゝ時

暗をはなれて光ある

秋津島根の表國

榕樹(あこう)繁れる屋久島の

南の果の海所(うみが)より

親潮ぬるむ陸奥(みちのく)や

黃金花咲く山根まで

伊豆の七島海境(うなざか)の

道の傘隈大灘に

音も騷がぬ常世波

船は百日を漂ひて

梶緖もとらぬ物ぐさの

蹲居(うづゐ)の膝やゆるぶらむ

[やぶちゃん注:「榕樹(あこう)」温暖域に植生する半常緑高木の、バラ目クワ科イチジク属アコウ変種アコウ Ficus superba var. japonica

「道の傘隈」意味不明。識者の御教授を乞う。

 

登れば高き石階(きざはし)の

寺院(じゐん)の柱午(ご)にせまる

圍き光の輪を帶びて

誰荒彫の龍頭

海に向ひて氣を吹くも

弱き炎のいかにして

下に沈める靑波の

凝れる膏を熔き得べき

 

見渡す限りわだつみは

凪ぎかへりたる秋日和

いはゞ淨めしちりひぢの

波の化生の鳥ならで

白きをかへす羽もなし

[やぶちゃん注:「塵泥(ちりひぢ)」。]

 

鐘樓(しゆろう)に上ぼり杵をとり

力の限り撞く時に

白き壁より白き壁

波切(なきり)一村分限者(ぶげんじや)の

家の榎に傳はれば

共鳴したる大木(たいぼく)の

うめきは海にひろがりて

波の寐魂(ねだま)と成りにけり

 

此(この)樓(ろう)にして空(そら)を見る

西七ケ國雲の影

東五ケ國雪の花

南は靑き海にして

羽繕ひせし白鶴(はつかく)の

翅(つばさ)かへさん方もなし

 

わが羽(はね)見ずやことごとく

白羽の征矢といひたげに

雲を望んで羽を持ち

吁(な)いて御空に入りにけん

驕慢(けうまん)の鳥いつの世か

地(つち)なる人の寵を得ん

 

國誌傳へていひけらく

此寺巖の頂に

雲を帶びたる一つ星

危くかゝる風情にて

夏の黑はえ冬の朔風(きた)

雨と風とにざれにけり

 

秋更け渡る此頃を

美童の沙彌の現はれて

さと開きたる諸扉

海の粧花なれば

錆びたる鋲もうごめきて

瞽ひたる身を悶ゆめり

[やぶちゃん注:「瞽ひたる」「めしひたる」。]

 

師の坊いでゝ慇懃の

禮をつくすも嬉しきに

引いて山艶蕗(つはぶき)黃(き)を潑(ち)らす

趣味ある庭を前にして

語る雄々しき物語

 

客人(まれびと)知るや海士の子が

十三歲になりぬれば

はじめていづる海の上に

腕は鋼鐡(はがね)の弓にして

それ一葉(いちえふ)の船なれば

足は鐙を踏まへたり

阿呍の息の出入も

引く櫓押す櫓の右左

左に押せば翼あり

右にかへせば車あり

海の獲物を積み載せて

水を蹴立つる直走(ひたばせ)や

空の景色の變はる時

海の備へは成りにけり

こは甲斐ありし初陣ぞ

疾く陣立をとゝのへよ

風雨も起れ波も立て

わが胸板にぐさと立つ

一矢もあらば興ならん

生れしまゝの柔肌(やははだ)に

些(ちと)の疵だにあらざれば

兄者人にや氣壓(けお)されん

來れといひて聲高に

どつと笑へば海原の

果にあたりて貝鉦(かひがね)や

軍鼓(いくさつゞみ)のどよめきに

旗さし物の白曇(しらぐもり)

曇りはてたるいくさ場の

流を亂る船の脚

いかり易きは件(ともがら)の

嵐高浪手を擴げ

鷲づかみとぞきほひ來る

くゞりぬけたる少年(せうねん)の

頸(うなじ)は母が手に撫でし

產毛の痕やそれならぬ

岬の岩を漕ぎ繞り

舷うちてあそびけむ

幼き折にくらぶれば

ひとゝなりたるわが兒よと

流石に父はあらし男の

雄き心も鈍るらん

其時浪は捲き立ちて

うしろにかへる闇打に

艫(とも)に立ちたるいたいけの

背(そびら)をうてばよろめきて

のめり伏したる板のうへ

また起きあがり海を見て

さてもきたなき眷族(けんぞく)の

ほこる手並はそれしきか

初手合(はつであはせ)の見參(げんざん)に

耻なきものゝ哀さよ

退(まか)れといひて勇ましく

艪のかけ聲にかけ合はす

幼き聲を侮りて

しかみ面(づら)なるはやて雲

脚空ざまに下ろし來て

たちまち船をとり卷けば

黑白(あやめ)もわかぬ槍襖

篠つく雨のしきりなり

これにおそれぬ海の男の

船は天路(あまぢ)の彗星(はうきぼし)

直指(たゞさ)す方を衝き進み

波に泡立つ尾を曳きぬ

しばし程經て波すざり

風片陰に成りぬれば

かけ並べたる楯板の

苫に亂るゝ玉霰

あたれば落ちて消えにけり

矢種盡きたる痴者(しれもの)の

今は苦しき敗軍(まけいくさ)

投げてつぶての目つぶしに

虛勢を張るか事可笑し

行けと叫びて押しきれば

家路は近し艪の力

安乘岬(あのりみさき)の燈臺(とうだい)は

美しき眼をしばたゝき

人戀ふらしき風情なり

今は海路も暮れはてゝ

里のいそべに着きぬれば

濡れたる衣も干しあヘず

おどりて運ぶ海の幸

[やぶちゃん注:「おどりて」はママ。]

 

聞きねと語るわが僧の

炭(す)びつの炭をつぐ時よ

魚見の小屋の貝がねに

海士の囀かしましく

かごを戴き女のこらも

網引(あびき)に急ぐ聲すなり


 

  下 の 卷

 

   

 

時雨るゝ頃の空なれば

雲の色こそ定らね

虹に夕日にもみぢ葉に

刷毛持つ神ぞ忙しき

 

岩切り通し行水の

岸は花崗(みかげ)の波がしら

たまたま淸水滲(にじ)みては

根芹生ひたり苔まじり

 

鹿(しゝ)追ふ子等が行き艱む

流の石は圓くして

蹄の痕もとゞまらぬ

時雨の雨ぞ新なる

[やぶちゃん注:「艱む」「なやむ」。]

 

波越す岩に羽うちて

鶺鴒かける谷の上

流れ葉嘴(はし)を掠め去る

瀧津早瀨の水は疾し

 

   

 

鉾杉立てる宮川(みやがは)の

源近く分け入れば

昨日の夢のわだつみは

八重立つ雲にきえにけり

 

草分衣霜白く

故鄕こふる旅人が

枕に通ふ山の聲

海の聲とやきこゆらん

 

白日(まひる)の落葉小夜の風

秋は暮こそ詫しけれ

深山の奧に菴して

誰かきくらん山の聲

 

海の子われは荻葺きて

あみ干す家をこのめばか

眞梶しゝぬぎ帆綱くむ

海士の業こそこひしけれ

[やぶちゃん注:「眞梶しゝぬぎ」これは「しゞぬき」の誤用であろう。万葉語の動詞で「繁貫く」(カ行四段活用)で「しじ」は「繁く」、「ぬく」は「貫く」の意で、橈(かい)(=「梶」)を舷(ふなばた)にぎっしりと取り付けることを言う。]

 

海の子われはわだつみの

廣き景色をこのめばか

汐汲車汲み囃す

海の歌こそこひしけれ

 

今海遠く船見えず

何を思はむ渡會(わたらひ)の

南熊野の空にして

雲の徂徠や眺むべき

[やぶちゃん注:「徂徠」(そらい)は「行き来すること・往来」。後の部分抽出による改作を見ると「ゆきき」とルビしているから、ここもそう読んでいるとすべきかも知れない。]

 

熊野の浦の島根には

浪こそ來よれ深綠

うみの綠に比ぶれば

檜は黑し杉は濃し

森の下草秋花に

せめてはしのぶ海の色

 

熊野の浦のしまねには

鯨潮吹く其潮の

漂ふ限り泡立ちて

鶚(みさご)も下りぬ海原の

荒き景色を目に見ては

細谷川の八十隈に

かゝれる瀑も何かせん

 

   

 

今朝立ちいでゝ宮川の

水のほとりに佇むに

流れて落つる河浪の

岩に轟き瀨に叫び

岸の木魂と伴ひて

秋の悲曲を奏しけり

 

木々の落葉に葬りし

虫の骸だに朽ちぬれば

凡をおそるゝ鵯鳥の

胸を貫く聲ならで

生きたる者の音もなし

 

見れば河床荒れだちて

拳を固め肩を張り

人に鎧はあるものを

これは素肌の爭ひに

かたみにひるむ氣色なし

 

蛤仔(あさり)蟶(まて)貝蛤の

白くざれたる濱にして

花の籠(かたみ)に拾ふらん

海の樂數盡きず

何とて山の峽間には

秋の笹栗ゑみわれて

空しく水に沈むらん

[やぶちゃん注:「蟶(まて)貝」斧足(二枚貝)綱異歯亜綱 マルスダレガイ目マテガイ超科マテガイ科 マテガイ属マテガイ Solen strictus

「籠(かたみ)」筐(かたみ)。目を細かく編んだ竹籠。堅間(かたま)・勝間 (かつま)。

「峽間」「はざま」。]

 

   

 

岩ほをつたひ攀ぢ上ぼり

靑垣淵(あをがきぶち)をうかがふに

獺も返さん斷崖(きりぎし)の

高さをくだる蔦蘿

下に漂ふ靑波の

澱みに浮ぶ泡もなし

[やぶちゃん注:「獺」「をそ」(おそ)と読みたい。日本人が絶滅させてしまった哺乳綱食肉(ネコ)目イタチ科カワウソ亜科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon

「蔦蘿」「つたかづら」。]

 

生命の影のさすごとに

渦卷きたちぬ廣がりぬ

波色增しぬ漲りぬ

底ひに人を誘ふなる

常世の關はなかなかに

物も祕(ひそ)めず岩床の

隈に隱るゝ鰭(はた)の物

陰行く群もさやかなり

 

知らずや月の夜半の秋

柝(たく)擊つ老が白髮(しらかみ)も

氷り果つらん置霜の

寒き細路折れ下り

渡しの舟の艪を操りて

疲せたる影やきえぎえに

浮ぶ彼方の水の末

[やぶちゃん注:「柝」拍子木。

「疲せたる」「やせある」。「瘦(や)せたる」に同じい。]

 

知らずや木々も雪の朝

六つの花片飛び散れば

氷柱かゝれる岩廂

棹もすべりて三吉野の

故鄕思ふ筏師が

蓑や拂はんかげもなき

狹き峽間の淵のうへ

 

   

 

仰げばすでに空晴れて

霧たち迷ふ山の襞(ひだ)

秋の錦の紅葉は

あらゆる山を染め成して

とはの沈默(しゞま)のゐずまひを

くづせと着せしごとくなり

 

山走りして白雲の

黃雲にまじる境より

きらめきいづる日の光

山の眞額かゞやくも

海のごとくにけしきだち

わらひどよめき脚をあげ

よろこび躍るさまもなし

 

さてもあたりの山々は

或は頭を擡げつゝ

あるは頸(うなじ)を屈めつゝ

雲の脇息(ひぢつき)脇にして

眠ると見ゆる姿かな

 

   

 

今日栗谷(くりだに)の里に入り

櫛田(くしだ)の河も川上の

七日市(なのかのいち)を志す

草鞋のひものとけ易き

 

蕎麥は苅りたる山畑の

あぜに折れ伏す枯尾花

返り咲する丹つゞしの

色褪せたるも寂しかり

[やぶちゃん注:「丹つゞしの」不詳。後の抄出改作では「丹つつじ」としてあり、これなら「丹躑躅」で腑に落ちる。]

 

登りて原と成る所

高きに處りて眺むれば

行水低し谷の底

巖を穿ち石を蹴る

白斑も見えず征矢の羽

岸に轟き瀨に叫ぶ

鍛工(かぬち)も打たず石の砧(とこ)

長き磐船方(けた)にして

盛るか水銀(みづがね)きらゝかに

重みに底ひ窪むらん

[やぶちゃん注:「鍛工(かぬち)」は「鍛冶(かぬち)」で「金打(かなう)ち」の転訛。鍛冶屋。]

 

それ輝くは光のみ

流れず行かず下に凝り

身を縮めたる鳥自物

海の鷗のていたらく

石に嵌めたる象眼の

工を誰か爭はむ

あゝ水煙湧き返る

水の勢いかなれば

山の尾上を行きかへる

人の眼に淀むらん

[やぶちゃん注:「鳥自物」は「とりじもの」で万葉語。「じもの」は「そのようなもの」の意を表わす接尾語で「鳥のようなもの」。但し、副詞的に「鳥のように」の意で用いるのが普通。]

 

   

 

そも此川の源は

圖の境の岩襖

名も大臺(おほだい)の麓なる

眞冬の領を流れいで

涼石(すゞし)の洞にぬけ通ふ

大和の風におはれつゝ

七里七村領内の

紙篩く子等が皹(あかぎれ)の

手をだにこえて注ぐめり

栗谷川(くりだにがは)と落ち合ひて

夜たゞねぶらぬ物語

一葉(ひとは)の水を潛るにも

千々のよろこび籠るらん

片陰篠生(すゞふ)春ざれば

花の女神の杯の

椿葉隱れ咲きいでゝ

春雨重る川添の

稚樹の枝の淺綠

下を流るゝ大河の

胸に綴れる瓔珞も

花ゆるやかに流れては

渦卷き入るゝ淵もなし

若し夫れ翼紀伊の國

一たび海をあふりなば

伊勢の國土は(くぬち)は潮煙

千年の曆飜る

野後(のじり)の宮の杉の木に

かゝりみだるゝ秋の雲

多氣(たき)の谷には火を擦りて

燃ゆる檜の林かな

神領(じんりやう)東足引の

山田の原に駈け下る

水の諸脛(もろはぎ)健やかに

岸をどよもす風神(ふうじん)の

短き臑(すね)も何かせん

[やぶちゃん注:「紙篩く」「かみすく」(紙漉く)と読んでいよう。

「夜たゞ」「よただ」一語で副詞。「夜直(よただ)」。夜の間中ずっと。夜通し。一晩中。

「篠生」細い筍が生えることであろう。「春ざる」は「春去る」で「春が来る」の意。

「瓔珞」は「やうらく(ようらく)で珠玉を連ねた首飾りや腕輪。仏像の荘厳(しょうごん)。ここは「花の女神」に応じた比喩。]

 

   

 

杉の林の木下闇

雨もあらしも常(とこ)にして

晴るゝ間もなき窈冥門(かくろど)の

神の荒びを誰か知る

[やぶちゃん注:「窈冥門(かくろど)」は「奥深くほの暗い」の意で「荘子」の「外篇」の「在宥」には、「窈冥門」を、仙人が立ち至るところの「地下の冥界の門」とする。]

 

石に生命を刻みては

月を見ぬ國の流れ星

名も無き花の紫に

瘦せたる莖をたふしたり

 

岨の細道幾廻り

嶮はしき坂をとめくれば

小霧の奧に幻の

動くを見たり氣疎くも

 

それか深山の山賊が

育つ巖屋の石疊

霧の毛皮被ぎては

靈(ぐし)ふる夢も多からん

[やぶちゃん注:「靈(ぐし)ふる」は不審であるが、「靈・奇(くし)ぶ」(バ行上二段活用)で「霊妙な働きをする」の意があるから、それであろう。]

 

羅犇とかけ結ぶ

不斷の封の固ければ

焚火の煙しらじらと

立ちものぼらずいはの上

[やぶちゃん注:「羅犇」と「うすぎぬ」/「ひしと」では何だかおかしい。後の抄出改作では「蘿(かづら)犇(ひし)と」とあるので納得はした。]

 

冬は小蓑欲しげなる

猿は面をあらはせど

馴れては殊に山人の

絕えてそれとも覺らざり

 

こゝをよぎれば山めぐり

そがひになりて朗らかに

林もつきぬ久方の

雲の滿干の澪標

尾上の巖を仰ぐかな

[やぶちゃん注:「そがひ」「背向」で「背後・後ろの方角・後方」の意。]

 

   

 

今頂上(いたゞき)に登り立ち

嚴に倚りて眺むれば

太初(はじめ)よ未だ剖れざる

混沌(おぼろ)の形現はして

早く成りたる人の子の

不具(かたは)を嘲(あざ)む形姿(なりすがた)

高山續き大臺(おほだい)の

鰾膠(にべ)なき峯を見渡せば

うつる時世の蠱物(まじもの)の

雲も及ばず聳ゆめり

西高見山(たかみやま)二ケ國の

境の山を隨へて

天津御國の號令(がうれい)の

あらば起たんの身構へも

千年をあまた過ぎにけり

池木屋山(いけぎややま)の頂上(いたゞき)は

大和國原打ち渡し

あなときのまに積りぬと

古き都に降りしきる

錆に眼をさらすらん

[やぶちゃん注:「剖れざる」「わかれざる」と読んでおく。

「鰾膠(にべ)なき」そこに取りつくことも不可能な。

「蠱物(まじもの)」人を惑わす魔性の物の怪。]

 

北の方なる白星(しらぼし)は

八十年(やそとせ)過ぎて人の世に

はじめて影を落すとか

はてなき空にうつ伏して

身じろきもせぬ山なれど

天(てん)の齡(よはひ)に比ぶれば

またゝく隙を飛びすぐる

日影の身にも似たらずや

ありと名のりて宇宙(よのなか)の

いたるところに顯はるゝ

時より時の燭火(ともしび)の

ひかりを點(とも)すそのものよ

今も昔も雄叫(をたけ)びて

こはあらずてふ燒金を

かれの額に捺しえたる

不仁身(ふじみ)の猛者(もさ)のあらざるよ

[やぶちゃん注:「白星(しらぼし)」「こいぬ座」のα星、こいぬ座で最も明るいプロキオン(Procyon)のことか。「おおいぬ座」のシリウス(Sirius)、「オリオン座」のベテルギウス(Betelgeuse)ともに、「冬の大三角形」を形成する。]

 

見ればいつしか黃を帶びて

とくかはりたる山の色

人の眼の鈍くして

そのけぢめだにわかねども

かつては白き濤を上げ

かつては紅き火を飛ばし

一つの命過ぎぬれば

一つの命あらはれて

今は凝りたる其姿

たゞ束の間の光にも

直指(たゞさ)す方よひしめきて

完全(またき)を得んと色に出で

音(ね)にいで物を思ふかな

 

人は健氣(けなげ)に戰ひぬ

血に塗れたる其衣

白き柩に代ふるには

あまりにやすき商(あきなひ)よ

聖(ひじり)の書を高あげて

渇きは堪へぬ唇に

濃き一と雫かゝりなば

死(こ)ろすも絕えてうらみじに

學術(まなび)よ詩歌(うた)よ教法(をしへ)さへ

たゞ一と時の榮にて

朽つるに人の得堪へんや

 

櫟林(くぬぎばやし)の捨沓(すてぐつ)に

巢ぐふは山の鶯か

求食(あさ)り後れてうゑ死ぬも

心臟(こゝろ)は霜に消えもせで

落葉の下(した)に殘るらん

わが居る岩は白草(しろぐさ)の

九十九(つくも)の髮をはゝらかし

物を怨ずるさまにして

もしはすてたる山姥の

化(な)りいでたるとおどろきて

坂を下ればあわたゞし

われはあまりに空想(ゆめ)の兒(こ)と

眼を拭ひうち仰ぎ

またとゞまりし山路かな

甕(かめ)を碎きて悲しめる

童女(どうによ)をわれの妻として

こもらばいかにうれしきと

おもひし谷は底にして

いまだ山脈(やまなみ)驚かず

四つの界に寂寥(さびしさ)の

漂ふ限り雲なれば

止んぬるかなや名も戀も

快樂(けらく)も醉も一にぎり

すてゝ立ちけり冷えし足蹠(あうら)に

[やぶちゃん注:「巢ぐふ」の濁音はママ。

「はゝらかし」荒々しく髪を後ろに捌いて、の意か。]

 

[やぶちゃん注:この「序歌の一」「序歌の二」「上の卷」(内で「一」及び「二」に分かれる)「下の卷」(内で「一」から「九」に分かれる)の大パート四篇から成る長詩は、明治三七(一九〇四)年一月一日発行『文庫』に発表されたもの(署名は「清白」)であるが、この内の「上の卷」内の「一」を独立させたものが、詩集「孔雀船」所収の「海の聲」である。前回の長詩「海の歌」とは異なり、幸いにして、本初出に関しては、底本では「未収録詩篇」に初出を元に校訂されて全篇本文が載るので、それを電子化した。幾つか私が躓いた語句に特異的に当該語句を含む連の最後に注を附した。紀伊半島を中心とした地名についてはエンドレスになるので(私は、無論、総ての地名を認知しているわけではない)、注は略した。悪しからず。なお、底本全集年譜によれば、この前年の明治三十六年(満二十六歳)、歩合制嘱託医として三重県一帯を巡ったが(父政治が負債で窮し、その補填のため)、その時の旅が本作が生まれた、とある。

 作成にはかなり疲れたが、詩篇自体は非常に興味深いものであった。この詩篇全体が、今まで、殆どの人に読まれてこなかったことを私は残念に思う。

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