太平百物語卷二 十九 狐人たがへして付し事
○十九 狐(きつね)人たがへして付(つき)し事
京堀川に佛具屋宗兵衞(そうびやうへ[やぶちゃん注:ママ。])といふ人、有り。
一日(あるひ)、召つかひの小者を、用の事ありて使(つかひ)にやられけるが、因幡藥師(いなばやくし)の門前を通りけるに、此小者、俄(にはか)に肩の上に物ある樣(やう)にて、殊(こと)なふ[やぶちゃん注:ママ。]、おもくなると覚へて[やぶちゃん注:ママ。]、宿に歸りけるが、其儘、裏の口にいでゝ、大きにわらふほどに、宗兵衞、あやしくおもひ、其ゆへをとへば、小者がいふやう、
「われは、因幡やくしのほとりに年月(としつき)住(すむ)者なりしが、昨日、藥師の藪の内に、心よく臥居(ふしゐ)たるを、おどろかしたる者、あり。其者を恨めしくおもふ折節、此小者、門前を通りしを、昨日おどせし小者と心得、其儘、取り付きたりしに、能(よく)々みれば、人違ひなり。それがおかしさに、わらふぞ。」
といふて、又、大きにわらひけるほどに、
「扨は。きつねの付きたるなり。」
とて、宗兵衞をはじめ、家内(かない)の人々、おそれながらも、おかしかりしが[やぶちゃん注:ママ。]、頓(やが)て有驗(うげん)の山伏を請(しやう)じ、右の次第をかたり、
「如何(いかゞ)せん。」
と申しければ、法印[やぶちゃん注:山伏のことをかく俗称した。]、やがて水晶の珠數(じゆず)、おつ取り、
「さらさら。」
と、おしもみいのられければ、小者、俄にくるしみて、
「やれ、免(ゆる)してたび候へ。もとより、此人に恨みなければ、明日(あす)は、はやく、歸るべし。こよひ一夜(ひとよ)を待(まち)玉へ。」
と、さめざめとかきくどき、わびければ、法印、大きにゐかり、
「汝、人をたがへて苦しむるのみならず、今宵の宿をかれが胎中(たいちう)にからんとは、甚だ、きつくわひ[やぶちゃん注:「奇怪(きくわい)」の誇張発言表記であろう。]、至極なり。只今そこを除(のか)ずんば、明王(みやうおう[やぶちゃん注:ママ。])の功力(くりき)にかけて、いのり殺さん。」
と、のゝしりければ、これにいよいよおそれをなし、
「然(しか)らば、只今、退(のき)申すなり。ゆるし玉へ。」
と、いふ、とおもへば、やがて表に走り出(いで)、戸口を、
「ぐはらり。」
と開くぞと見へし、其儘、小者は倒れしを、人々、助け、いざなひ入(いれ)、能(よく)、ふさしめ置(おき)ければ、翌(あけ)の日、終日(ひねもす)臥(ふし)けるが、暮方(くれかた)より本心となりて、其後(そののち)は何の災(わざはひ)もなかりしとぞ。
「まことに麁忽(そこつ)のきつね殿や。」
と、聞(きく)人、笑ひ合(あひ)けるとなん。
[やぶちゃん注:能狂言を見るような陽性の滑稽(小者にはとんだ災難なわけだが)怪談である。
「京堀川」この場合、後の「因幡藥師」との位置関係から、現在の京都府京都市中京区四坊堀川町(しぼうほりかわちょう)(グーグル・マップ・データ)の堀川通沿い附近と比定しておく。本能寺跡の南西直近。
「因幡藥師(いなばやくし)」現在の京都府京都市下京区烏丸(からすま)通松原上る因幡堂町(ちょう)の因幡薬師(グーグル・マップ・データ)。先の堀川町とは実測距離で一・三キロメートルほどである。因幡薬師は正式には福聚山平等寺(びょうどうじ)真言宗。本尊は薬師如来で、昨今は癌封じの寺として知られる。
「麁忽(そこつ)」思慮の不十分なこと。そそっかしくて不注意なこと。軽はずみで失礼なこと。「粗忽」「楚忽」とも書く。]
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