和漢三才圖會卷第三十八 獸類 狼(おほかみ) (ヨーロッパオオカミ・ニホンオオカミ・エゾオオカミ)
おほかみ 毛狗 獾【牡】
狼【牝】 獥【子】
狼
【和名於
ラン 保加美】
本綱狼處處有之豺屬也穴居形大如犬而鋭頭尖喙白
頰駢脇高前廣後脚不甚高能食雞鴨鼠物其色雜黃黒
亦有蒼灰色者其聲能大能小能作兒啼以魅人其久鳴
其膓直故鳴則後竅皆沸而糞爲烽烟直上不斜其性善
顧而食戾踐藉老則其胡如袋所以跋胡疐尾進退兩患
其象上應奎星【駢音緶聯也與骿同謂肋骨連合爲一也晉文公駢脇者是也】
肉【鹹熱】 補益五臟厚腸胃腹有冷積者宜食【味勝狐犬】
狼牙佩之辟邪惡氣 狼喉靨治噎病【日乾爲末每半錢入飯内食之妙】
狼皮暖人辟邪惡氣 狼尾繫馬胸前辟邪氣令馬不驚
月淸世の中に虎狼も何ならす人の口こそなほ增りけれ
△按狼春夏出山家竊食鳥獸及人物秋冬穴居性能知
機若欲獵則深匿不出四趾有蹯而能渉水或齅砲火
繩之氣則遠避去夜有行人跳越其首上數回人如恐
怖轉倒則噬食稱之送狼【人不怖又不敵者無害】故行山野人常
攜火繩也狼見人屍必跳超其上尿之而後食之
五雜組云江南多豺虎江北多狼狼雖猛不如虎而貪殘
過之不時入村落竊取小兒銜之而趨豺凡遇一獸遂之
雖數晝夜不舎必得而後已故虎豹常以比君子而豺狼
比小人也
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狼狽 狼前二足長後二足短狽前二足短後二足長狼
無狽不行狽亦無狼不行若相離則進退不得
△按二物相依頼者蟨與蛩蛩【見鼠部】蝦與水母【見魚部】知母
與黃栢【見木部】狼與狽亦然矣而狽未知其何物
*
おほかみ 毛狗
獾〔(くわん)〕【牡。】
狼【牝。】 獥〔(げき)〕【子。】
狼
【和名「於保加美」。】
ラン
「本綱」、狼、處處に之れ有り、豺〔(やまいぬ)〕の屬なり。穴居す。形・大いさ、犬のごとくにして、鋭き頭、尖れる喙〔(くちさき)〕、白き頰、駢(つらな)れる脇(わき)、高き前、廣き後脚〔は〕甚だ〔は〕高からず。能く雞・鴨・鼠〔の〕物を食ふ。其の色、雜す。黃黒、亦、蒼灰色の者有り。其の聲、能く大に〔成し〕、能く小に〔成し〕、〔また、〕能く兒の啼くを作〔(な)〕して、以つて人を魅(ばか)す。其れ、久しく鳴〔かば〕、其の膓(はらわた)、直(すぐ)なる故に〔長く〕鳴くときは、則ち、後(うしろ)の竅(あな)、皆、沸(わい)て[やぶちゃん注:ママ。]、糞、烽-烟〔(のろし)〕と爲〔(な)〕る。〔その烟は〕直〔ちに〕上りて斜〔(なのめ)〕ならず。其の性、善く顧(かへりみ)て、食ふときは、戾り踐〔(ふ)〕み〔て〕藉〔(しや)〕す[やぶちゃん注:踏み躙(にじ)ってから、やおら、食う。]。老するときは、則ち、其の胡(ゑぶくろ)、袋のごとし。所以〔(ゆゑ)〕に胡を跋(ふ)み、尾に疐(つまづ)く、進退、兩〔(ふた)〕つながら、患ふ。其の象(〔かた〕ち)、上(〔か〕み)〔の〕奎星〔(けいせい)〕に應ず【「駢」は音「緶〔(ベン)〕」、「聯〔(レン/つならる)〕」なり。「骿」と同じ。肋骨の連なり〔て〕合し、一に爲れるを謂ふなり。晉の文公〔の〕駢脇とは是れなり。】。
肉【鹹、熱。】 五臟を補益し、腸胃を厚くし、腹〔に〕冷積有る者、宜しく食ふべし【味、狐・犬に勝れり。】。
狼〔の〕牙〔は〕之れを佩ぶれば、邪惡の氣を辟〔(さ)〕く。 狼〔の〕喉靨[やぶちゃん注:「のどぼとけ」か。東洋文庫訳でも疑問符附きでそう割注する。]〔は〕噎-病〔(つかえ)〕を治す【日に乾し、末と爲し、每半錢[やぶちゃん注:明代の一銭は三・七五グラム。]、飯の内に入れ、之れを食へば妙なり。】。
狼〔の〕皮〔は〕人を暖め、邪惡の氣を辟く。 狼〔の〕尾〔は〕馬の胸の前に繫げ、邪氣を辟け、馬をして驚かさざらしむ。
「月淸」
世の中に虎狼も何ならず
人の口こそなほ增さりけれ
△按ずるに、狼、春夏は山家に出でて、鳥獸及び人・物を竊(ぬす)み食〔(くら)〕ふ。秋冬は穴居す。性、能く、機を知り、若〔(も)〕し、〔人、〕獵せんと欲せば、則ち、深く匿(かく)れて出でず。四つの趾〔(あし)〕、蹯〔(バン/みづかき)〕[やぶちゃん注:ここは以前に出た「蹼(みづかき)」の意である。]有りて、能く水を渉〔(わた)〕る。或いは、砲の火繩の氣(かざ)を齅(か)ぎて、則ち、遠く避け、去る。夜、行く人有れば、其の首の上を跳(と)び越(こ)えること、數回にして、人、如〔(も)〕し、恐怖して轉倒すれば、則ち、噬〔か〕み食〔(くら)〕ふ。之れを稱して「送り狼」と〔謂ふ〕【人、怖れず、又、敵せざれば、害、無し。】。故に山野を行く人、常に火繩を攜(たづさ)へしむなり。狼、人の屍〔(しかばね)〕を見ば、必ず、其の上を跳び超え、之れに尿〔(ゆばり)〕して後、之れを食ふ。
「五雜組」に云はく、『江南には、豺・虎、多く、江北には、狼、多し。狼、猛しと雖も、虎にしかずして、而〔れども〕、貪殘なること[やぶちゃん注:貪欲で残忍なところは。]、之れに過ぐ。不時に[やぶちゃん注:思いもかけない時に。]村落に入り、小兒を竊〔(ぬす)〕み取り、之れを銜〔(くは)〕へて趨〔(はし)〕る。〔また、〕豺、凡そ、一〔つの〕獸に遇へば、之れを遂ふこと、數晝夜と雖も、舎〔(す)〕てず[やぶちゃん注:決して追跡を諦めない。]、必ず、得て後に已む[やぶちゃん注:獲物を確保して初めて走るのをやめる。]。故に、虎・豹は常に以つて君子に比す。而〔れども〕豺・狼は小人に比すなり』〔と〕。
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狼狽〔(らうばい)〕 狼は、前の二足、長く、後ろの二足、短し。狽は、前の二足、短く、後ろの二足、長し。狼、狽、無ければ、行かず、狽も亦、狼、無ければ、行かず。若〔(も)〕し、相ひ離るれば、則ち、進退、得ず。
△按ずるに、二物、相ひ依頼〔する〕者は、「蟨〔(けつ)〕」と「蛩蛩〔(きようきよう)〕」【「鼠部」に見ゆ。】、「蝦(ゑび)」と「水母(くらげ)」【「魚部」に見ゆ。】、「知母〔(ちぼ)〕」と「黃栢〔(くわうはく)〕」【「木部」に見ゆ。】〔等にして、〕狼と狽も亦、然り。而〔れども〕「狽」は、未だ其の何物といふことを知らず。
[やぶちゃん注:中国に分布するものは、哺乳綱食肉目イヌ亜目イヌ科イヌ亜科イヌ属タイリクオオカミ亜種ヨーロッパオオカミCanis lupus lupus。本邦に棲息していたが、我々が絶滅させてしまったのは、同じくタイリクオオカミ亜種ニホンオオカミCanis lupus hodophilax(北海道と樺太を除く日本列島に棲息していた)と、同亜種エゾオオカミ Canis lupus hattai(樺太と北海道に棲息していた)である。ウィキの「ニホンオオカミ」を引いておく。『生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんど分かっていない』。『薄明薄暮性で、北海道に生息していたエゾオオカミと違って』、『大規模な群れを作らず』二頭・三頭から十頭『程度の群れで行動した。主にニホンジカ』(鯨偶蹄目シカ科シカ属ニホンジカ Cervus nippon)『を獲物としていたが、人里に出現し飼い犬や馬を襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどの声だったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで』三『頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろを監視する様に付いて来る習性があったとされる。また』、この習性から、『hodophilax(道を守る者)という亜種名の元となった』。『一説にはヤマイヌ』(これは現在は本ニホンオオカミと山にいる野犬とを混同したものの呼称と考えるのが主流である)『の他にオオカメ(オオカミの訛り)』『と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方』を『飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり』、オランダの動物学者コンラート・ヤコブ・テミンク(Coenraad Jacob Temminck 一七七八年~一八五八年:シーボルトの「日本動物誌」(Fauna japonica 一八四四年~一八五〇年)の編纂作業ではドイツの動物学者ヘルマン・シュレーゲル(Hermann Schlegel 一八〇四年~一八八四年)とともに脊椎動物を担当しており、日本産大型脊椎動物はテミンクとシュレーゲルによって学名が命名されたものが多い)『はオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが』、『今となっては不明である』。『日本列島では縄文時代早期から家畜としてのイヌが存在し、縄文犬と呼ばれている』。『縄文犬は縄文早期には体高』四十五『センチメートル程度、縄文後期・晩期には体高』四十『センチメートルで、猟犬として用いられていた』。『弥生時代には』、『大陸から縄文犬と形質の異なる弥生犬が導入されるが、縄文犬・弥生犬ともに東アジア地域でオオカミから家畜化されたイヌであると考えられており、日本列島内においてニホンオオカミが家畜化された可能性は』、『形態学的・遺伝学的にも否定されている』。『なお、縄文時代にはニホンオオカミの遺体を加工した装身具が存在し、千葉県の庚塚遺跡からは縄文前期の上顎犬歯製の牙製垂飾が出土している』。『日本の狼に関する記録を集成した平岩米吉の著作によると、狼が山間のみならず』、『家屋にも侵入して人を襲った記録』『がしばしば現れる。また北越地方の生活史を記した』「北越雪譜」や、『富山・飛騨地方の古文書にも狼害について具体的な記述』『が現れている』。『奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など』、『日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する』。「遠野物語」の『記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる』。『ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、おおむね狂犬病やジステンパー(明治後には西洋犬の導入に伴い流行)など』、『家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したものであると考えられている』。『江戸時代の』享保一七(一七三二)年頃には、『ニホンオオカミの間で狂犬病が流行しており、オオカミによる襲撃の増加が駆除に拍車をかけていたと考えられている。また、日本では山間部を中心に狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの加持祈祷にオオカミ頭骨などの遺骸が用いられている。江戸後期から明治初期には狼信仰が流行した時期にあたり、狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけた要因のひとつであると考えられている』。『なお』、明治二五(一八九二)年六月まで、『上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが』、『写真は残されていない。当時は、その後』十『年ほどで絶滅するとは考えられていなかった』のであった。生存説を唱える人がいるが、私はそういう連中の非生態学的な主張は絶対に信じない。ウィキには「オオカミの再導入」もあるが、ヒトはどれだけ生態系を破壊したら気が済むのかという気がするだけである。
「豺〔(やまいぬ)〕」前項「豺(やまいぬ)(ドール(アカオオカミ))」を参照されたい。
「高き前、廣き後脚〔は〕甚だ〔は〕高からず」ウィキの「オオカミ」によれば、『姿勢においては』、『頭部の位置がイヌに比べて低く、頭部から背中にかけては』、『地面に対して水平である』とあり、後半の部分は腑に落ちる。「高き前」というのは、索敵する際の伸び上がった姿勢を指しているように私には思え、これもまた腑に落ちる。
「其れ、久しく鳴〔かば〕、其の膓(はらわた)、直(すぐ)なる故に〔長く〕鳴くときは、則ち、後(うしろ)の竅(あな)、皆、沸(わい)て、糞、烽烟と爲〔(な)〕る。〔その烟は〕直〔ちに〕上りて斜〔(なのめ)〕ならず」この部分、東洋文庫訳では『沸く。』と切って、以下を人はその狼の『糞を烽烟(のろし)に使う。煙は真直ぐ上って斜めにならない』と訳しているが、「本草綱目」を見てもそうは読めないし、時珍の訓点も上記の通りである。これは、言っている科学的な意味は全く判らないけれども、
――狼の腸は捩じれることなく真っ直ぐであるため、長く吠え続けると、腸の中で食ったものが醗酵或いは熱を持ち、遂には燻り出してしまい、遂には、肛門から出た糞から煙が立ち昇り出す。その煙は真っ直ぐに立ち昇って決してぶれて斜めになったりはしない不思議な煙である(その特異性を以って、古来、人は戦時の烽火(のろし)として使用するのである)。
という意味で採る。因みに、たまたま今朝、妻が見ていた忍術絡みのドキュメントのテレビ番組で、実際にオオカミの糞を燃やす実験が行われているのを見た。普通のものを燃やすのと煙の立ち方には変化はなかった。しかし、実験者が耐えられなくなるほど「臭い」のだそうで、臭気測定器では振り切れて計測出来ないほどのものであった。その臭いは恐らく一~二キロメートル圏内でも容易に人が感知出来るだろうと実験者は述べていた。そうか! それが! それでこその「狼煙」なんだ! と一人合点したものである。
「胡(ゑぶくろ)」餌嚢。この場合は胃であろう。老成個体では甚だしい胃下垂を起こすというのである。というより、これは腸の捻転のような症状にしか見えないのだが。
「其の象(〔かた〕ち)、上(〔か〕み)〔の〕奎星〔(けいせい)〕に應ず」東洋文庫訳では、『その占いの象は天の奎星(けいせい[やぶちゃん注:ルビ。])(トカキボシ[やぶちゃん注:本文割注。])と照応する』とある。「奎」は玄武七宿の一つで、現在のアンドロメダ座西部に当たり、距星(二十八宿の各宿の基準点となる星)はアンドロメダ座ζ(ゼータ)星に相当するという。
「晉の文公〔の〕駢脇」春秋時代の晋の君主文公(紀元前六九六年~紀元前六二八年/在位:紀元前六三六年~紀元前六二八年)は諱の重耳(ちょうじ)で知られる、春秋五覇の代表格の覇者。晋の公子であったが、国内の内紛を避けて、十九年もの間、諸国を放浪した後、帰国して君主となって天下の覇権を握り、斉の桓公と並んで斉桓晋文と称された。彼は駢脇(肋骨が分かれず、総てが繋がって一枚の板のように見える骨奇形。或いは見かけ上で外見はそう見えただけのことかも知れない)であったという。これは「春秋左氏伝」の僖公二十三年(紀元前六三七年)の条の出る話で、以下。公子重耳が曹の国を訪れた時のことである。
*
及曹、曹共公聞其駢脇、慾觀其裸。浴、薄而觀之。僖負羈之妻、「吾觀晉公子之從者、皆足以相國。若以相夫子必反其國。反其國、必得志於諸侯。得志於諸侯而誅無禮、曹其首也。子盍蚤自貳焉。」乃饋盤飧寘璧焉。公子受飧反璧。
*
勝手流で訓読して見ると、
*
曹に及ぶ。曹の共公。其の駢脇(べんきよう)なるを聞きて、其の裸を觀んと慾し、浴するとき、薄(せま)りて、之れを觀る[やぶちゃん注:岩波文庫の小倉善彦氏の訳では『簾(すだれ)の外からのぞいた』とある。]。僖負羈(きふき)[やぶちゃん注:曹の大夫の名。]の妻、曰はく、「吾れ、晉の公子の從者を觀るに、皆、以つて、國に相(しやう)たるに足れり。若(も)し、以つて、夫子(ふうし)を相(たす)たけんとせば、必ず其の國に反(かへ)らん。其の國に反らば、必ず、志(こころざし)を諸侯に得ん。志を諸侯に得、而して無禮を誅(ちゆう)せんとせば、曹は其の首(はじめ)たらん。子、盍(なん)ぞ蚤(はや)く、自ら貳(そ)はざらんや[やぶちゃん注:親しく挨拶なさらないのか。]。」と。乃(すなは)ち、盤飧(はんそん)を饋(おく)り、璧(へき)を寘(お)く[やぶちゃん注:食膳を差し入れ、その膳の中に賄賂としての璧玉を包み入れておいた。]。公子、飧を受け、璧は反(かへ)したり。
*
である。歴史上は、この年終わりか、翌年には重耳は晋公の座に就いているようだ(実に六十二歳の新君主であった)から、僖負羈の妻の観察は正鵠を射ていたのである。因みに、そういう盤状肋骨の奇形があるかないかは知らないが、例えば、私の嘗つての同僚で、尊敬した生物の先輩教師は、肋骨の最下部が左右ともに一本足りない奇形であられた。
「冷積」東洋文庫訳割注によれば、『体内に慢性の硬結があって』、『胃腸の働きのにぶっている』症状を指すとある。
「噎-病〔(つかえ)〕」「膈噎(かくいつ)」が知られた症状で、胸の辺りが痞(つか)える症状を示す疾患のこと。食道狭窄症・食道癌等に相当するか。
「月淸」「世の中に虎狼も何ならず人の口こそなほ增さりけれ」既出既注の九条良経(嘉応元(一一六九)年~元久三(一二〇六)年)の家集「秋篠月清集」の「巻一 十題百首」の中の一首。「日文研」の「和歌データベース」で校合済み。
「送り狼」ウィキの「送り犬」を引いておく。『送り犬(おくりいぬ)は、日本の妖怪の一種。東北地方から九州に至るまで各地で送り犬の話は存在するが、地域によっては犬ではなく狼であったり、その行動に若干の違いがある。単に山犬(やまいぬ)、狼(おおかみ)とも呼ばれる』。『夜中に山道を歩くと』、『後ろからぴたりとついてくる犬が送り犬である。もし何かの拍子で転んでしまうと』、『たちまち食い殺されてしまうが、転んでも「どっこいしょ」と座ったように見せかけたり、「しんどいわ」と』、『ため息交じりに座り』、『転んだのではなく』、『少し休憩をとる振りをすれば』、『襲いかかってこない。ここまでは各地とも共通だが、犬が体当たりをして突き倒そうとする、転んでしまうと』、『どこからともなく犬の群れが現れ襲いかかってくる等』、『地域によって犬の行動には違いがある』。『また、無事に山道を抜けた後の話がある地域もある。例えば、もし無事に山道を抜けることが出来たら』、『「さよなら」とか「お見送りありがとう」と一言声をかけてやると』、『犬は後を追ってくることがなくなるという話や、家に帰ったら』、『まず』、『足を洗い』、『帰路の無事を感謝して』、『何か一品送り犬に捧げてやると』、『送り犬は帰っていくという話がある』。『昭和初期の文献である「小県郡民譚集」(小山眞夫著)には『以下のような話がある。長野県の塩田(現・上田市)に住む女が、出産のために夫のもとを離れて実家に戻る途中、山道で産気づき、その場で子供を産み落とした。夜になって何匹もの送り犬が集まり、女は恐れつつ「食うなら食ってくれ」と言ったが、送り犬は襲いかかるどころか、山中の狼から母子を守っていた。やがて送り犬の』一『匹が、夫を引っぱって来た。夫は妻と子に再会し、送り犬に赤飯を振舞ったという。長野の南佐久郡小海町では、山犬は送り犬と迎え犬に分けられ、送り犬はこの塩田の事例のように人を守るが、迎え犬は人を襲うといわれる』。関東地方から近畿地方にかけての地域と、高知県には「送り狼」が伝わるという。『送り犬同様、夜の山道や峠道を行く人の後をついてくるとして恐れられる妖怪であり、転んだ人を食い殺すなどといわれるが、正しく対処すると』、『逆に周囲からその人を守ってくれるともいう』「本朝食鑑」に『よれば、送り狼に歯向かわずに命乞いをすれば、山中の獣の害から守ってくれるとある』(ここに本「和漢三才図会」の梗概が載るが、略す)。『他にも、声をかけたり、落ち着いて煙草をふかしたりすると』、『襲われずに家まで送り届けてくれ、お礼に好物の食べ物や草履の片方などをあげると、満足して帰って行くともいう』。『伊豆半島や埼玉県戸田市には、送り犬の仲間とされる送り鼬(おくりいたち)の伝承がある。同様に夜道を歩く人を追って来る妖怪で、草履を投げつけてやると、それを咥えて帰って行くという』。なお、ニホンオオカミには人間を監視する目的で、人についてくる習性があったとされ、妖怪研究家の村上健司は「送り狼は、実際にはニホンオオカミそのものを指しており、怪異を起こしたり、人を守ったりといった妖怪としての伝承は、ニホンオオカミの行動や習性を人間が都合の良いように解釈したに過ぎない」という主旨の仮説を主張している、とある。因みに、『好意を装いつつも害心を抱く者や、女の後をつけ狙う男のことを「送り狼」と呼ぶのは、この送り狼の妖怪伝承が由来である』ともある。
「五雜組」既出既注。
「狼狽〔(らうばい)〕」以下の、アラ松ちゃん出臍が宙返りするほどの仰天の記載に思わず狼狽する人が多いのではないかと思うのだが、大修館書店「廣漢和辭典」の「狽」にはその通りのことがちゃんと記されてある(後に『一説に、生まれながらに一本足または二本の足がなく、互いに助けあわねば行けぬことをいう』とあってここに書かれたことが、「集韻」「正字通」に書かれていることが示されてある)のである。それを知ってまた狼狽する人も多かろう。しかしまあ、比翼鳥の例もありますさかい。
「蟨〔(けつ)〕」思うに実在するモデル獣がいるとは思われるのであるが、大修館書店「廣漢和辭典」には「ねずみ」とした後に、『前足が短くて走ることができず、常に蛩蛩(キョウキョウ)巨虚という獣と同居して、そのために食を取り、危難が迫るとその背に負われて逃げるという』『獣の名』とする。
「蛩蛩〔(きようきよう)〕」北海に住むとされた馬に似た想像上の動物。
『「鼠部」に見ゆ』次の巻第三十九の「鼠類」の中の「蟨鼠」の項。そこで以上の生物も、また、考証することとする。
『「蝦(えび)」と「水母(くらげ)」【「魚部」に見ゆ。】』「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「䖳(くらげ)」で、『「本綱」に、海䖳〔(くらげ)〕は、形ち、渾然として凝結し、其の色、紅紫、口・眼、無く、腹の下に、物、有り。絮〔(しよ)[やぶちゃん注:綿。]〕を懸〔けたるが〕ごとし。羣蝦〔(むれえび)〕、之れに附きて、其の涎沫〔(よだれ)〕を咂(す)[やぶちゃん注:「吸」に同じ。]ふ』(以下略)とあるのを指す。その「羣蝦、之に附きて」に私は以下のように注した。『まず浮かぶのはエビの方ではなくて、鉢虫綱根口クラゲ目イボクラゲ科エビクラゲ Netrostoma setouchianaだ。ここで共生するエビは、特定種のエビではないようである(ただ研究されていないだけで特定種かも知れない)が、好んで鉢虫・ヒドロ虫類及びクシクラゲ類・サルパ類に寄生するエビとなれば、節足動物門大顎亜門甲殻綱エビ亜綱エビ下綱フクロエビ上目端脚目(ヨコエビ目)クラゲノミ亜目 Hyperiideaに属するクラゲノミHyperiame medusarumやオオタルマワシPhronima stebbingi、ウミノミ類辺りが挙げられよう』とやらかしている。なお、それとは別に「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「海鏡(うみかゞみ)(私は斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目マルスダレガイ科カガミガイカガミガイDosinia japonica(リンク先の注の Phacosoma japonicum はシノニム)に同定した)の「本草綱目」の引用の中に、『海鏡は、南海に生ず。兩片相合して形を成す。殻圓く鏡のごとし。中、甚だ瑩滑、日光に映ずるに雲母(きらゝ)のごとし。内に少しの肉有り。蚌胎のごとく、腹に寄居蟲(がうな)有り。大いさ、豆のごとし。状、蟹のごとし。海鏡飢うれば、則ち出でて食らい[やぶちゃん字注:ママ。]、入れば、則ち、海鏡も亦、飽(あ)く。郭璞が所謂〔(いはゆ)〕る『瑣※が腹には蟹、水母(くらげ)の目には鰕(えび)』と云ふは、卽ち、此れなり』(「※」=「王」+「吉」)ともある(この「瑣※」は「瑣蛣」と同じで「寄居蟹」を指す古語であるが、この場合は勿論、ヤドカリ類ではなく、ピンノ類などの短尾下目(カニ類)のカクレガニ科 Pinnotheridae の寄生性のカクレガニ類を示している)。あぁ、懐かしいな……もう、十一年以上も前だ……あの頃は、なんとまあ、無心に無邪気に、楽しくやっていたことだろう……
『「知母〔(ちぼ)〕」と「黃栢〔(くわうはく)〕」【「木部」に見ゆ。】』これは巻第八十三の「喬木類」の巻頭にある「黃蘗(わうへき/きはだ)」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版「和漢三才図会」の当該解説部分。画像を視認右側端の一行)。そこには訓読すると、
*
黃蘗、知母〔(ちも)〕、無ければ、猶ほ水母(くらげ)の蝦(ゑび)無きがごとし。
*
とある。「黃檗(きはだ)」はムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense で、「知母」は単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科リュウゼツラン亜科ハナスゲ属ハナスゲ Anemarrhena asphodeloides を指す。但し、この部分、リンク先のその後を見ると、漢方としての作用を述べていることが判り、植物体としてのキハダとハナスゲがともに植生しないと共に生存出来ないという意味ではないことが判明する。そもそもが「知母」というのは現行ではハナスゲの根茎の生薬名である(消炎・解熱・鎮静・利尿作用を有する)。キハダの方も樹皮の乾燥させたものを「黄檗(オウバク)」と呼び強い抗菌作用を持つとされ、他に健胃整腸・眠気覚まし・湿布薬として使用される。二種のその効果を塩梅してこそ漢方では薬となると言っているのを、「黄蘗に知母がなければ、それは丁度、水母に海老がいないのと同じである」と言い換えているのである。東洋文庫訳では『水母に蝦』の訳に後注して、『水母と蝦は共生し、蝦は水母の涎(よだれ)を飲んで生き、その代り水母の眼の役割をして水母の移動に力を貸しているいるという。また黄柏は腎経血分の薬、知母は腎経気分の薬で、相俟って効力を発揮する』とある。但し、言っておくと、前に示したクラゲ類とエビ及び甲殻類は共生などしていない。あれは寄生(或いは私が否定したい用語で言えばクラゲに益の全くない(害は必ずあると私は考えるので否定したいのである)「片利共生」)クラゲにとって迷惑千万な「寄生」に過ぎない。
『「狽」は、未だ其の何物といふことを知らず』儂も知らんとですばい、良安先生。]
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