冬が來たとて 伊良子清白 [やぶちゃん注:詩篇内時制を推理して年を限定してみた。]
冬が來たとて
冬が來たとて
若い衆の夜學
竹刀(しなひ)うちあふ
音もする
村の娘は
皆藁仕事
草履千足
夜業(よなべ)につくり
春の宮建(みやだて)
寄進の料(しろ)よ
[やぶちゃん注:初出未詳。しかし、創作時期については一つの限定推定が可能かとも思われるのである。則ち、既に考証した通り、この大パート「笹結び」の「七つ飛島」以降が総て、伊良子清白が鳥羽に移ってからの作であることは、最早、疑いがなく、それは大正一一(一九二二)年九月十二日から、ここの底本親本である新潮社版「伊良子清白集」刊行の昭和四(一九二九)年十一月以前が閉区間となる。ところが、この詩の最後の部分の「夜業(よなべ)」仕事で作った「草履」(ぞうり)「千足」が「春の宮建(みやだて)」の「寄進の料(しろ)」だと言っている、この「春の宮建(みやだて)」なるものが、もしかすると、伊勢神宮遷宮の起工を指すものではないか? ということに思い至ったのである。そこで、調べて見たところ、原則で二十年毎にしか行われない遷宮が、まさにこの閉区間の最後の年、則ち、昭和四(一九二九)年十月二日(内宮)と同月五日(外宮)に第五十八回式年遷宮が行われていたのである。而して、その起工がこの年の春にあったと仮定すれば、本詩篇の作品内時制は、その前の年、昭和三(一九二八)年の暮れの冬場の景と採れるのである。大方の御叱正を俟つものではあるが、この「笹結び」の小唄や労働歌風のそれらの初出が殆んど判らないのは、それこそ新潮社版「伊良子清白集」の刊行に際して、近々で詠みためてあった未発表のそれらを、謂わば、清白が自身の近作として読者に掲げようという意図があったことを示すのではないかと私は思うのである。
なお、本詩篇を以って大パート「笹結び」は終わっている。]