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2019/04/03

海の歌 清白(伊良子清白) (初出形に近づくよう合成復元したもの)

 

海 の 歌

 

 

  其一 浦島

 

山幸は山に任せて

海幸は海に任せて

海山の寶集めて

樂しきや浦島の子

流れ藻の磯邊に出でゝ

釣すべく行きにし日より

春と過ぎ秋と暮らせど

音信は絕えてきこえず

 

山幸は山に任せて

海幸は海に任せて

海山の寶集めて

歸りこぬ浦島の子

 

三百の年を經てあと

沖の方音樂(おんがく)起り

珊瑚樹の檣立てゝ

美しき船着にけり

 

山幸は山に任せて

海幸は海に任せて

海山の寶集めて

歸り來る浦島の子

 

 

  其二 鷗

 

磯菜(いそな)に落る滿潮の

開きて白き岩の間(ひま)

架け渡したる巢の内に

海を窺ふ鷗鳥

 

海の景色をたとふれば

八重波續く沖の方

深き碧(みど)りの毛氈に

皺をうたせしごとくなり

 

やをら飛び立つ驕慢(きやうまん)の

羽を恃(たの)みの鷗鳥

海を恐るゝいさり男を

嘲り笑ふ風情あり

 

鳥の中にもかもめ鳥

歌ふは寧ろ叫ぶなり

なほかつ知らず溫き

胸は和毛(にこげ)に隱るゝや

 

脚を休むるひまもなき

苦しき海に浮き乍ら

眠るまねする鷗鳥

飽くまで人を弄ぶ

 

止めよ大(だい)なる小さきもの

天(そら)の風雨(あらし)をしのぐとも

海の怒に坐るとも

つひに强きが餌食のみ

 

眼(まなこ)を舉げよ朗々と

浮雲はるる山の藍

四方(よも)の景色を眺むれば

樂しからずや鷗鳥

 

自由に遊ぶ身なりせば

何物かよく妨げん

白き日靑き空にして

憚る勿れ鷗鳥

 

 

  其三 女護が島

 

魚には魚の棲居あり

人には人の屯あり

飜り行く魚のごと

潮に滑べる海人の舟

 

日每日每に別路(わかれぢ)の

海人の妻こそ悲しけれ

晝はさながら女護が島

行衞も知らぬ思哉

 

見よ海原(うなばら)の湧きかへり

高波白く寄せ來れば

持佛(ぢぶつ)の前にひざまづき

夫(つま)安かれと祈るなり

 

 

  其四 島

 

黑潮(くろじほ)の流(なが)れて奔(はし)る

沖中(おきなか)に漂(たゞよ)ふ島(しま)は

 

眠(ねむ)りたる巨人(きよじん)ならずや

頭(かしら)のみ波(なみ)に出(いだ)して

 

峨々(がゞ)として岩(いは)重(かさな)れば

目(め)や鼻(はな)や顏(かほ)何(な)ぞ奇(き)なる

 

裸々(らゝ)として樹(き)を被(かうぶ)らず

聳(そび)えたる頂(いたゞき)高(たか)し

 

鳥(とり)啼(な)くも魚(うを)群(む)れ飛(と)ぶも

雨(あめ)降(ふ)るも日(ひ)の出入(いでい)るも

 

靑空(あをぞら)も大海原(おほうなばら)も

春(はる)と夏(なつ)秋(あき)と冬(ふゆ)も

 

眠(ねむ)りたる巨人(きよじん)は知(し)らず

幾千年(いくちとせ)頑(ぐわん)たり崿(がく)たり

 

 

  其五 暴風雨の航海

 

醉ひたる人の步むごと

船は烈しくゆらぐなり

怒る牡牛の吼ゆるごと

風は高くも吹き號ぶ

 

熱の限りの火をたきて

釜に蒸氣をみたすべし

滑(な)めりに活くる機械には

油の瀧を流すべし

 

はびこる蔓の麻繩の

亂れを解きて整へよ

梯を下りて船艙(ふなぐら)の

壁(かべ)の裂目を警めよ

 

窓を閉ざせよ客室の

柱に人を結(ゆ)ひつけよ

恐怖を抱くものあらば

何事もまた說く勿れ

 

白きは雨か篠をつき

黑きは風か雲を捲く

雨と風とを排(お)し分けて

乍ち起る波の山

 

筒にあふるゝ黑煙

吹き散らされて空になし

奈落の底を出づる時

波の響に蘇る

 

咽喉(のんど)の渴き堪へざれど

攪拌(かきみだ)さるゝ水槽(みづため)に

ちぎれて浮くや底の澱(おり)

早く濁りに染まりたり

 

飢にせまれど厨より

火を失ふを虞るれば

好み好(ごの)みに赴きて[やぶちゃん注:「好(ごの)」み」は底本では踊り字「〲」。]

食むや生米(なまごめ)肉醬

 

膩と汗を雨風に

乾しつ洗ひつ働けど

高き檣旗の綱

折れてちぎれて飛び狂ふ

 

梶よ鎖よ船脚(ふなあし)の

上下(あがりさがり)に伴ひて

或(あるひ)はゆるみ輕き時

或(あるひ)はしまり重き時[やぶちゃん注:ルビの「あるひ」は孰れもママ。]

 

走せ行く船をたとふれば

秋の木の葉の舞ふごとく

人の魂迷ふごと

行衞も知らず波に漂ふ

 

 

  其六 阿漕が浦

 

松原探し安濃の津の

結城の社伏し拜み

阿漕が浦に來て見れば

白き砂や靑き浪

風にもまるゝ荻の葉に

古き名所の跡もなし

月影暗く雲早み

時鳥なく宵々を

人に知られず網引きて

市に鬻ぎしうろくづの

鱗の目より洩れいでゝ

想も薄く身も薄き

阿漕平治やいづこなる

砂の上に伏し沈み

昔と今をなげく時

こうの阿禰陀の鐘鳴りて

驟雨(ゆふだち)白き伊勢の内海

 

 

  其七 海のなげき

 

傾くる耳の朶には

底深き波を聽くなり

輝ける瞳の色は

漂へる草を追ふなり

 

額を被ふ綠の髮は

初秋の風に散るなり

かぎりなき咽喉の渴きは

海の氣の濃きを吸ふなり

 

力ある兩の腕は

櫓のつかを强く押すなり

嘆息にみつる胸には

流れ藻をあてゝ泣くなり

 

小休なく狂ふ心は

岸を去り沖を漕ぐなり

循りつゝ踴る血潮は

流れいでゝ汗と成るなり

 

或時は夢に微笑(ほゝゑ)み

或時は現になげき

君故に思ひ焦れて

大海の上に漂ふ

 

 

  其八 舟出の歌

 

憚らぬ大步擧げて

眞砂路を步み行くかな

天廣く海はるかなり

鳴呼自由自由なる哉

 

苦しとは人の心のために

心をば使はるゝなり

樂しとはわが身のために

わが身をば働くことぞ

 

行けよ行け海に行く人

貴きは海に來らず

榮ゆるは海に來らず

富みたるは海に來らず

 

なめし草赤きに似たる

額には喜宿り

鐡の如强き腕には

壓制に勝つ力あり

 

差別なく只絕對に

平等の海に浮びて

階級を誇る社會を

罵るも亦面白し

 

行く所行かれざるなく

欲するに來らざるなし

潮は滿ち日は昇りけり

希望ある海の景哉

 

淸く且つ正しく高き

第一の人間として

海士人は舟出するなり

最上の美觀ならずや

 

[やぶちゃん注:この八小篇からなる長詩は、明治三四(一九〇一)年九月発行『文庫』に署名「清白」で発表されたものである。但し、後述するが、今回ここに復元電子化したものは初出のままではない。この内、

  • 「其四 島」を独立させたものが「孔雀船」所収の「島」

であり、さらに、昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」では、

  • 「其二 鷗」を独立させたものが「鷗」
  • 「其三 女護が島」を独立させたものが「海人の妻」

として載っている。

 さて、私の底本としている二〇〇三年岩波書店刊平出隆編集「伊良子清白全集」第一巻の詩篇パートは特殊な(と私は感じている)編集方法を採っており、詩集「孔雀船」の校合本文をまず載せ、次に新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」所収の詩篇の内、詩集「孔雀船」所収の詩篇を除いた詩篇の校合本文が続き、その後にその二冊に所収されなかった詩篇を「未収録詩篇」として載せているのである。「だから? 何?」と言われるか? では言おう。底本は詩篇をダブらせないという原則(そうでないケースもある。次回のここと似た「海の聲山の聲」のケースでは原型全篇が載る)に基づいて編集されているため、則ち、その「未収録詩篇」部では、この「海の歌」は、上記の改作独立させた部分を省略した形でしか載っていないのであり、初出と殆んど変わらない長詩として続けて読むためには、ページを行きつ戻りつしなくては読めないのである。

 私は当初、「孔雀船」所収のものはその初出形を示すことで私の古いテクスト「孔雀船」と差別化しようと考えていたのだが、これに関しては、それ以前に――初出の長詩「海の歌」の通読テクストを再現することが何より肝要――と考えた。校異を用いれば、初出通りのそれも再現出来るのではあるが、例えば「其二 鷗」等では、冒頭からして「磯菜に落つる」が「磯名に落る」で、読むに躓くこと、請け合い物なのである(そうした部分注記を施すのも神経症的に憂鬱なのである)。さればこそ、平井氏が校訂した底本詩篇本文の三箇所をそのままに繋げて再現するのが、読み易い初期形に最も近いものとはなろう、と判断して、そのように繋げた。ただ、例えば、「孔雀船」の「島」は総ルビであるが、この「未収録詩篇」の他のパートと比べるに、初出形の「其四 島」だけが総ルビであったとは考えられず、パラルビであったと思われるけれども、初出誌を見ることは出来ないので、総ルビで入れてある。奇異に感じられるかも知れぬが、そういう仕儀を採った結果なのであることをここにお断りしておく。]

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