和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麂(こびと) (キョン)
こびと ※
麂【音己】
【俗云古比止】
キイ
[やぶちゃん注:「※」=「鹿」の三画目を下に長く垂らし、内側に「旨」を入れたもの。]
本綱麂山中多有之乃麞類也麞似而小牡者有短角黧
色豹脚脚矮而力勁善跳越其行草芬但循一徑其口兩
邊有長牙好闘南人往往食其肉然堅靭不及麞味美其
皮極細膩鞾韈珍之爲第一無出其右者但皮多牙傷痕
其聲如擊破鈸
一種有銀麂白色 一種有紅麂紅色 一種麖【類麂而大者】
*
こびと ※〔(き)〕
麂【音、「己」。】
【俗に云ふ、「古比止」。】
キイ
[やぶちゃん注:「※」=「鹿」の三画目を下に長く垂らし、内側に「旨」を入れたもの。]
「本綱」、麂は山中に多く之れ有り。乃ち麞(くじか)の類なり。麞に似て、小さく、牡には短き角有り。黧〔(きぐろ)〕色[やぶちゃん注:黒みがかった黄色]。豹の脚〔たり〕。脚、矮(ひき)くして[やぶちゃん注:短くて。]、而〔も〕、力、勁(つよ)く、善く跳(と)び越える[やぶちゃん注:跳躍する。]。其の草芬〔(くさむら)〕[やぶちゃん注:叢。]を行くに、但だ、一〔つのみの〕徑〔(こみち)〕を循〔(ゆ)〕く。其の口の兩の邊り、長き牙有り。好んで闘ふ。南人、往往〔にして〕其の肉を食ふ。然れども、堅-靭(じなじな)として[やぶちゃん注:「じなじなと」は副詞で「少しずつ次第に力などが加えられるさま」を意味するが、ここは噛んでも何か噛みきれない感じがあることを言っているものか?]、麞の味の美なるに及ばず。其の皮、極めて細-膩〔(なめらか)にして〕、鞾-韈(たび)[やぶちゃん注:足袋。]〔に成して〕之れ珍とす〔ること、〕第一と爲せり。其の右に出づる者、無し。但だ、皮に牙の傷痕(きずあと)多し。其の聲、破(わ)れたる鈸(どら)を擊つがごとし。
一種、「銀麂」有り、白色。 一種、「紅麂」有り、紅色。 一種、「麖〔(けい)〕」あり【麂の類にして大なる者なり。】。
[やぶちゃん注:これは鯨偶蹄目シカ科シカ亜科ホエジカ族ホエジカ属 Muntiacus 類を指すことが、中文ウィキの「麂」で判る(そこでは同属を「麂屬」とする)。さらにその中でもキョン Muntiacus reevesi(羌:中文名「小麂」「山羌」「黃麂」)をこの時珍の記載本文のタイプ種として挙げてもよいのではないかとも思う。ウィキの「キョン」によれば、『中国東部、台湾に自然分布』し、『日本(房総半島、伊豆大島)やイギリスに移入』されている(本邦では特定外来生物に指定されている。僕等の世代は山上たつひこの漫画「がきデカ」で実物を見知る以前に「八丈島のきょん!」の名文句と言うより名ポーズで刷り込み暗記されてしまっている)。『日本での化石記録はないが、リュウキュウムカシキョン(Dicrocerus sp.)の化石が琉球列島で見つかっている』。体長は七十~一メートル、肩高四十~五十センチメートル、体重は十~十五キログラムで、♂には短い角と牙がある。『目の下方に臭腺(眼下腺)の開口部があり、これがつぶった眼のように見えるため、四目鹿(ヨツメジカ)とも言う』。『森林、低木林に生息し、群れは形成せず』、『単独で生活』し、『草食性で木の葉や果実などを食べる』。一回に一匹の『幼体を出産する。特定の繁殖期はなく、雌は』一『年を通じて繁殖する』。『イヌに似た声で鳴く』とある。You Tube のmayume kamada氏の「キョンが鳴いている」を聴くと、本文のように割れた銅鑼(どら)と形容出来るかどうかはちょっと留保するとしても、なんとも濁った不気味に罅割れたような吠え声であることは間違いない。姿は結構、可愛いくも見えるのだが(グーグル画像検索「Muntiacus reevesi」をリンクさせておく)。キョンの鞣(なめ)し皮は『きめがとても細かく、セーム革』(ドイツ語「Sämischleder」(ゼーミッシュレーダー)由来で、本来はカモシカの皮を植物油で鞣したもの。シカ・ヤギなどのものも言い、手袋や衣料などに用いる)『の中でも最高級品とされる。楽器やカメラ』の『レンズ、骨董品、刀剣などの手入れのほか、理美容用品の素材としても使われている』とあり、さらにキョンの肉は『柔らかく、脂肪も少な』く、『福建料理、台湾料理、安徽料理などの中華料理では、薄切りまたは細切りにして、単独で、あるいは野菜と共に炒め物などにされる』とある(ここでは堅く噛みきれないと言っていて矛盾するものの、不味いとは言っておらず、南方(福建・安徽・台湾で一致)の人は食用とするとも言っている)。幾つかの画像を見るに、体色は黄褐色や赤褐色で、腹部は淡くて黄色味が強く、鼻から頭頂にかけては黒っぽい色をしているから、「黧〔(きぐろ)〕色」と言うのとよく合い、以上の下線太字部は本文の記載ともかなり一致するように思われる。なお、小学館「日本大百科全書」の「牙」によれば、『一般に動物は牙と角の両方を同時にもつことはない。たとえば、ゾウやイノシシは牙をもつが』、『角がなく、シカやウシには角はあるが』、『牙はない。しかし、キョンという小形のシカの雄は例外で、犬歯の発達した牙と、角の両方をもっている』とあるように、キョンは非常に珍しい動物なのである(太字下線は私)。
「麞(くじか)」既注であるが、恐らくは一属一種のシカ科オジロジカ亜科ノロジカ族キバノロ属キバノロ Hydropotes inermis と思われる。朝鮮半島及び中国の揚子江流域で、アシの茂みや低木地帯に棲息する小形のシカ。体高四十五~五十五センチメートル、体重九~十一キログラム。シカの仲間であるが、角はなく、上顎の犬歯が牙状になっており、特に♂では刀状に曲がった犬歯が口外に突き出ている。尾は短く、毛色は黄褐色。蹄の幅は比較的広い。単独又はつがいで生活することが多い。シカ類の中では多産で、五~六月に一産で一~三子を産み、時には七子を産むこともある。子の毛色は暗褐色で、背に小さな白斑がある。発情期は晩秋から初冬で、この時期の雄は牙を振るって闘争をする。アシやその他の植物を食べる。グーグル画像検索「Hydropotes inermis」をリンクさせておく。キョンとは全くの別種であるが、♂の牙や顔の配色など、ちょっと遠目で見た感じはキョンと似ていると言える。但し、キバノロはキョンよりも小さいので、「麞に似て、小さ」いというのは外れる。
「豹の脚〔たり〕」キョンはしっかり鹿の脚である。ただ、キョンはかなりすばしっこいので、それを「豹」のようだと言っているのかも知れない。
「但だ、一〔つのみの〕徑〔(こみち)〕を循〔(ゆ)〕く」これは単独行動をし、縄張り意識が強いキョンと合致する。
「細-膩(なめらか)」音は「サイジ」で「きめ細かい・つるつるしている」の意。
「銀麂」「紅麂」種同定不能。キョンの毛色の変異個体或いは近縁種ととっておく。
「麖〔(けい)〕」キョンよりやや大きい、同じホエジカ属のインドキョン Muntiacus muntjak かではないかと私は思う。インドから中国南部・ジャワ島・ボルネオ島まで広く分布し、肩高は五十~五十八センチメートルで、♂だけに角があり、キョンのうちではもっとも長い。キョンに比べると、角座(角の基部の毛で覆われた部分)が長く、前頭や頭頂の長い毛は見られない。犬歯は同じく牙状を呈し、大きな吠え声を出すので「ホエジカ」の名もあり(解説部は小学館「日本大百科全書」に拠った)、「大なる」のは体だけでなく、声もなのであればこそ、この同定はいい線いってるように思うんだけどなぁ。]
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