太平百物語卷一 五 春德坊狐に化されし事
○五 春德坊狐に化されし事
下京に順光寺といへる寺あり。
或る夜、下男(しもおとこ[やぶちゃん注:ママ。])とおぼしき者壱人(いちにん)、挑灯をともし來たり、
「某(それがし)は久㙒(ひさの)屋可十郞方より參り候。主人、『召使ひの女、相果(あいはて)申すに付(つき)、今夜の内、㙒送り仕り度(たき)儘(まゝ)、御弟子の内、御壱人、御越(おんこし)下さるべし。則(すなはち)、御迎(むかひ)の爲、私を指越(さしこし)候ふ。」
と申しければ、住持、此よしを聞(きゝ)、
「心得候。」
とて、春德といへる弟子をつかはしけるが、子の刻も過ぎ、丑の刻になりても、春德、かへらず。
住持、ふしぎにおもひ、彼の久㙒屋へ人をつかはし、樣子を尋(たづね)させけるに、可十郞、此よしをきゝ、おどろき、申しけるは、
「此方(このほう)には死人なし。元來、家來もつかはさず。若(もし)、所たがひ侍るにや。」
といひければ、
「こは、ふしぎ。」
とて、急ぎ、寺に歸り、住持に「かく」と告ければ、
「さればこそ。」
とて、さはぎ立(だち)、手分けをして方々と尋步(たづねあり)きけるに、夜明の比(ころ)ほひ、五条西洞院にて見付出(みつけいだ)し、頓(やが)て連れ歸りけるが、住持、あきれて、
「何國(いづく)へ行きし。」
と尋ねられしかば、
「さん候、未(いまだ)可十邸宅に行つかぬうちに、夜(よ)明(あけ)候ひける。」
といひければ、
「扨は。きつねの所爲(しわざ)ならめ。」
と、はては、大わらひになりて、はたしぬ。
[やぶちゃん注:「順光寺」不詳。
「五条西洞院」この辺り(グーグル・マップ・データ)。
「はたしぬ」「果たしぬ」で「お終(しま)いとなったのであった」の意。]
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