昔物語 伊良子清白 (附 清白(伊良子清白)「柑子の歌」初出形推定復元)
昔 物 語
花橘(はなたちばな)の香をかげば
昔めかしき紋所
築地(ついぢ)の瓦古寺に
藤原の繪卷ありやなし
落花をふみてとひよるに
今をさかりの深見草(ふかみぐさ)
傘を立てたる振舞は
心憎くも見えにけり
九十九(つくも)に近き枯尼(かれあま)の
草を毮(むし)りてありけるが
春暮れ方の絲遊(いという)に
まぎれも入らん風情(ふぜい)なり
市の子ならぬ髮形
高貴の姬のあらはれて
﨟(らふ)たき姿輩(ともがら)の
若き心を壓したり
五月(さつき)の沼の苅菰(かりごも)と
亂れし時世の事なれば
都を避けて里住みの
やんごとなきもおはしけむ
今其寺は跡もなく
わらびに添へて嵯峨人の
うまれをほこる筍(たかんな)の
名所となりて候ひぬ
[やぶちゃん注:初出は明治三六(一九〇三)年五月発行の『文庫』であるが、そこでは総標題(校異の解説から推定)を「柑子の歌」とし、その中に本「昔物語」を含めた二部(同前の推定)一篇として構成されたものであった。署名は「清白」。その「柑子の歌」の部分を独立させたものが前に電子化した「柑子の歌」である。
「深見草」ここでは、ユキノシタ目ボタン科ボタン属ボタン Paeonia suffruticosa のこと。
「絲遊(いという)」ルビ表記はママ。「陽炎(かげろう)」の古い異名 。小学館「大辞泉」によれば、『語源未詳で、歴史的仮名遣いを「いとゆふ」とするのは、平安時代以来の慣用』とし、さらに本語は、『晩秋の晴天の日にクモが糸を吐きながら空中を飛び、その糸が光に屈折してゆらゆらと光って見える現象が原義で、漢詩にいう遊糸もそれであるという』とある。
前の「柑子の歌」も含めた完全初出形は以下。底本校異に従い復元したが、標題「柑子の歌」及び「昔物語」の配置位置が校異では分らないので、差別化するために、相互の題の位置とポイントを意図的に変えておいた。実際にはこうではない可能性が高いので注意されたい。
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柑子の歌
媼(おうな)市路(いちぢ)に鬻ぎよる
手藍(てかご)のこのみ手にとれば
千重の敷浪(しきなみ)末遠く
こは常春(とこはる)の百濟物
一日柑子(かうじ)の山に入り
草のふき屋に摘みためし
年のみのりに驚きて
南の國の富を見き
霜月鯨(いさな)よりそめて
湊々(みなとみなと)の潮高く
曉闇(くら)き荒灘を
みだれて浮ぶ寶船
花の都の商人(あきびと)が
千函(ちばこ)の玉を開きては
巷に糶を競(きそ)ふ時
山はみのりに輝かん
色と彩(あや)との天(てん)にして
染むるこのみを見渡せば
霞かぎらふ南(みんなみ)の
黃金(こがね)の國は冬もなし
直(たゞ)さす日影美しき
光や凝(こ)りて實(みの)るなる
陰ほの白くうなゐらが
柑子採るてふ紀路の山
昔 物 語
花橘(はなたちばな)の香をかげば
昔幽しき紋所
築地くずれし古寺に
小町の繪卷ありやなし
落花をふみてとひよるに
今をさかりの深見草(ふかみぐさ)
傘を立てたる振舞は
心憎くも見えにけり
九十九(つくも)に近き枯尼(かれあま)の
草を挘りて候が
春暮れ方の絲遊(いという)に
まぎれも入らん風情(ふぜい)なり
市の子ならぬ髮形
高貴の姬のあらはれて
﨟(らふ)たき姿輩(ともがら)の
若き心を壓したり
五月(さつき)の沼の苅菰(かりごも)と
亂れし時の事なれば
都を避けて里住みの
やんごとなきもおはしけむ
今其寺は跡もなく
わらびにそへて嵯峨人の
產(うまれ)をほこる筍(たかんな)の
名所と成りて候ひぬ
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初出の「柑子の歌」の「糶」は恐らく「せり」と訓じている。この漢字は原義は「うりよね」「だしよね」で「売りに出す米」又は「穀物を売り出すこと」の意であるが、ここはそこから派生した広義の問屋や市での「競(せり)」「競売(せりうり)」で、その声の意である。また、「うなゐ」は「髫」「髫髪」で、元は「項 (うな) 居 (ゐ) 」の意かと推定され、昔、七、八歳の童児の髪を項(うなじ)の辺りで結んで垂らさせた髪型或いは女児の髪を襟首の附近で切り下げておいた「うない髪」のことで、本来は転じて「幼女」を指すが、ここはその上限を遙かに延ばした少女・乙女・処女の謂いで用いている。
同じく初出の「昔物語」の「幽しき」は「かそけし」と読む。]