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2019/04/09

柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(6) 「毛替ノ地藏」(2)

 

《原文》

 一體馬ノ毛色ト云フモノハ如何ナル程度ニ迄變化シ得ルモノナルカ、自分ハ聊カモ之ヲ實驗シタルコトハ無ケレドモ、葦毛ハ兎ニ角黑ヤ栗毛ノ類ノ馬ガ一朝ニシテ白馬トナルト云フニ至リテハ、之ヲ傳說ト見ルノ外無キナリ。藝州嚴島ノ神馬ハ平日ハ厩ニ繫ギ明神遊幸ノ折ハ之ヲ儀杖ノ列ニ加フルモノナリ。此神馬ハ如何ナル毛色ノ馬ヲ獻納シテモ、次第ニ毛ヲ替ヘテ一二年ノ間ニハ必ズ純白トナルト信ゼラレタリ〔藝藩通志〕。此等ハ特ニ此宮ノ神德ニ由リテノミ說明スルコトヲ得べキ話ナリ。之ト近キ一例ハ尾張國ニモアリキ。【熊阪長範】愛知郡天白(テンパク)村島田ノ東方ナル定納山(ヂヤウナウヤマ)ト云フニ、熊阪長範ノ厩ノ跡ト云フ處アリテ、今モ其小字ヲ厩内(マヤノウチ)ト呼べリ。【地藏】古クハ程遠カラヌ路傍ニ有名ナル地藏堂アリ。長範ガ白キ馬ヲ盜ミ來レバ、一夜ノ中ニ之ヲ黑馬ニシテ本ノ主ノ眼ヲ暗マス。此地藏ヲ毛替地藏ト稱ヘシハ此ノ如キ不名譽ナル靈驗アリシ爲ナリト云フ。【雨乞】或ハ又雨地藏トモ名ヅケテ能ク雨乞ノ祈願ヲ容レタリトモ傳ヘタリ〔尾張志〕。熊阪長範ハ謠ニテハ越前ノ人ト稱スレドモ或ハ又信州上水内郡信濃尻(シナノジリ)村大字熊阪ヲ以テ其鄕里トスル說アリ。野尻ノ湖水ノ岸ヨリ見ユル峠ヲ長範阪ト云ヒ、其山ヲモ今ハ長範山ト云フ。長範ハ此山中ニ隱レ住ミ夜ハ里ニ出デテ馬ヲ盜ム。其馬ヲ月毛ハ栗毛ニ染メ栗毛ハ黑ニ塗替ヘテ、再ビ市ニ曳出シ之ヲ賣飛バス。其染場ノ跡ト云フ地アリテ礎永ク殘リタリ。【盜泉】多分ハ隣村ナドヨリノ惡評ナランモ、野尻ト熊阪トノ間ヲ流ルヽ關川ノ水ハ、之ヲ飮メバ盜心ヲ生ズべシト唱ヘラレテアリキ〔眞澄遊覽記三〕。但馬養父郡大藏村大字堀畑ニモ長範屋敷ト云フ小字アリ。長範曾テ此地ニ住ムト傳ヘテ泉アリ。此ニハ染物ノ口碑ハ存セザルモ、此水ヲ飮ム者ハ盜心ヲ生ジ、馬牛ニ飼ヘバ性惡シクナルト云フ俗信アリテ、今モ之ヲ用ヰル者ナシ〔但馬考〕。長範ホドノ大盜人ガ刷子ヲ持チテ内職ヲシタリトモ思ハレザレドモ、兎ニ角馬ノ毛ヲ替フルト云フ話ハ彼ト何カノ因緣アルべシ。【染屋】或ハ一種ノ染工ヲ賤シキ部落トシテ取扱ヒシ遺風ナルカモ測リ難ケレド、之ヲ神佛ノ力ニ基クトスルモノニ至リテハ、恐クハ亦彼ノ七驄八白ノ思想ト關係アルべク、兼テ又神馬ノ毛ノ色ヲ選ビタリシ大小ノ神社ノ古例ヲ說明スルモノトモ見ルコトヲ得べキナリ。【田村將軍】磐城田村郡小野新町東遠山萬福寺ノ觀世音ハ、カノ田村將軍ノ祈願ニ因リ千ノ矢ヲ放チタマヒシ本尊ト云ヘリ。十四五里四方ノ人民牝馬ヲ牽來リ、其牝馬ノ生ム駒ノ牝牡毛色ヲ此靈佛ニ祈願スレバ、願ノ通リノ駒ヲ得ル奇瑞アリ。凡ソ此邊ヨリ出ル駒ニハ良馬多シトノコトナリキ〔行脚隨筆上〕。

 

《訓読》

 一體、馬の毛色と云ふものは如何なる程度にまで變化し得るものなるか、自分は聊かも之れを實驗したることは無けれども、葦毛は兎に角、黑や栗毛の類いの馬が、一朝にして白馬となると云ふに至りては、之れを傳說と見るの外、無きなり。藝州嚴島の神馬は、平日は厩に繫ぎ、明神遊幸の折りは、之れを儀杖(ぎじやう)の列に加ふるものなり。此の神馬は、如何なる毛色の馬を獻納しても、次第に毛を替へて、一、二年の間には必ず純白となると信ぜられたり〔「藝藩通志」〕。此等は特に此の宮の神德に由りてのみ說明することを得べき話なり。之れと近き一例は尾張國にもありき。【熊阪長範(くまさかちやうはん)】愛知郡天白(てんぱく)村島田の東方なる定納山(ぢやうなうやま)と云ふに、「熊阪長範の厩の跡」と云ふ處ありて、今も其の小字を「厩内(まやのうち)」と呼べり。【地藏】古くは、程遠からぬ路傍に有名なる地藏堂あり。長範が白き馬を盜み來たれば、一夜の中に之れを黑馬にして本の主(あるじ)の眼を暗(くら)ます。此の地藏を「毛替(けがはり)地藏」と稱へしは、此くのごとき不名譽なる靈驗ありし爲めなりと云ふ。【雨乞】或いは又、「雨地藏」とも名づけて、能く雨乞の祈願を容(い)れたりとも傳へたり〔「尾張志」〕。熊阪長範は謠(うたひ)にては越前の人と稱すれども、或いは又、信州上水内郡信濃尻(しなのじり)村大字熊阪を以つて其の鄕里とする說あり。野尻の湖水の岸より見ゆる峠を「長範阪」と云ひ、其の山をも今は「長範山」と云ふ。長範は、此の山中に隱れ住み、夜は里に出でて、馬を盜む。其の馬を、月毛は栗毛に染め、栗毛は黑に塗り替へて、再び、市に曳き出だし、之れを賣り飛ばす。其の染場の跡と云ふ地ありて、礎(いしづえ)、永く殘りたり。【盜泉】多分は隣村などよりの惡評ならんも、野尻と熊阪との間を流るゝ關川の水は、之れを飮めば盜心(たうしん)を生ずべしと唱へられてありき〔「眞澄遊覽記」三〕。但馬養父(やぶ)郡大藏村大字堀畑にも「長範屋敷」と云ふ小字あり。長範、曾つて此の地に住むと傳へて、泉あり。此(ここ)には染物の口碑は存せざるも、此の水を飮む者は盜心を生じ、馬牛に飼(か)へば[やぶちゃん注:牛馬の飲用水として与えると。]、性(しやう)惡しくなると云ふ俗信ありて、今も之れを用ゐる者なし〔「但馬考」〕。長範ほどの大盜人が、刷子(はけ)を持ちて内職をしたりとも思はれざれども、兎に角、馬の毛を替ふると云ふ話は彼(かれ)と何かの因緣あるべし。【染屋】或いは、一種の染工(せんこう)を賤しき部落として取り扱ひし遺風なるかも測り難けれど、之れを神佛の力に基づくとするものに至りては、恐らくは亦、彼(か)の「七驄八白」の思想と關係あるべく、兼ねて、又、神馬の毛の色を選びたりし大小の神社の古例を說明するものとも見ることを得べきなり。【田村將軍】磐城田村郡小野新町東遠山萬福寺の觀世音は、かの田村將軍の祈願に因り千の矢を放ちたまひし本尊と云へり。十四、五里四方の人民、牝馬を牽き來たり、其の牝馬の生む駒の、牝・牡・毛色を此の靈佛に祈願すれば、願ひの通りの駒を得る奇瑞あり。凡そ此の邊りより出づる駒には良馬多しとのことなりき〔「行脚隨筆」上〕。

[やぶちゃん注:「愛知郡天白(てんぱく)村島田」現在の愛知県名古屋市天白区島田はここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で、その東に少し離れた「天白公園」も天白町大字島田とあるので、この周辺だろうと思われるが、既に市街地化が進んでおり、山らしいものは見えない。愛知県名古屋市緑区定納山があるが、位置がずっと南方で違い過ぎる。検索ワード「定納山 長範」で調べても掛かって来ない。但し、天白区島田には曹洞宗地蔵寺があり、熊坂長範所縁として、毛替地蔵が現存する。同寺公式サイトによれば、嘉吉二年(一四四二)年に福井の大本山永平寺から樵山和尚が当地に来て、島田山広徳院として建立した寺とし、「毛替地蔵(けがえじぞう)」は、『昔、このあたりに熊坂長範(くまさかちょうはん)という大泥棒がいたそうです。ある日、金持ちの馬を盗み、売ろうと馬市に出掛けましたが、見つかって売れません』。『そこで、お地蔵様に「この馬を何とか売らせて下さい」と一心に願ったそうです』。『すると』、『一夜にして馬の毛色が変わり、売れども』、『人に怪しまれません。恩義を感じた長範はこのお金を貧しい人に分け与えました。それ依頼、この地蔵様は「毛替地蔵」とよばれるようになったそうです』。『今も美しい髪を願う人はもとより、子供さんのこと、仕事のことで悩む人々が、このお地蔵様のもとへ数多く訪れています』とある。小学館「日本大百科全書」の「熊坂長範」によれば、『生没年不詳。平安末期の大盗賊。実在の人物として証拠だてるのは困難であるが、多数の古書に散見し、石川五右衛門と並び大泥棒の代名詞の観がある。出身地は信州熊坂山、加賀国の熊坂、信越の境(さかい)関川など諸説ある。逸話に』よれば、七『歳にして寺の蔵から財宝を盗み、それが病みつきになったという。長じて、山間に出没しては旅人を襲い、泥棒人生を送った』が、承安四(一一七四)年の『春、陸奥(むつ)に下る豪商金売吉次を美濃青墓(みのあおはか)の宿に夜討ちし、同道の牛若丸に討たれたとも伝わる。この盗賊撃退譚』『は、義経』『モチーフの一つではあるが、俗説の域を出ない。謡曲』「烏帽子折(えぼしおり)」や「熊坂」、能狂言「老武者」、歌舞伎狂言「熊坂長範物見松(ものみのまつ)」は『長範を扱って有名』とある。なお、この毛替地蔵は「往生要集」で知られる恵心僧都源信(天慶五(九四二)年~寛仁元(一〇一七)年)の作とされる。

『「熊阪長範の厩の跡」と云ふ處ありて、今も其の小字を「厩内(まやのうち)」と呼べり』池田誠一氏の「名古屋幻の古代道路/歴史紀行9」(PDF)の「(3)古代駅家の跡?」に、『島田の少し東、鳴海丘陵のふもとの天白公園の北に、奈良から平安時代の中頃までの陶器がたくさん散布していた遺跡があります。石薬師 B 遺跡と名付けられたこの遺跡は、散布している大量の平安時代陶器の中に緑釉陶器が含まれていたため、古代の公的な施設の跡ではないかと推定されています。『尾張志』では、島田村の項に、「此厩之内という地名は上古駅家のありけむ旧地にやあらむ…」と、地名の「厩(うまや)」からいうと古代の道路の駅家だったのではないかとし、現地の広さもそれに当たるとしているのです』。昭和5七(一九八二)年、『この地を発見、調査した三渡俊一郎氏(その後名古屋考古学会会長)は、この遺跡からは平安時代後期に大量に流通した山茶碗が出土しないことに注目しました。出土物が奈良から平安中期という古代幹線道路が維持されていた時期に当てはまることからも、ここは山田郡の両村駅に比定できると考えたのです。島田は、古渡と推定した新溝駅の次の駅家の候補地として、名古屋の古代道路を考える上での重要な地点になりました』とあることで、この旧地名を確認出来る

「信州上水内郡信濃尻(しなのじり)村大字熊阪」現在の長野県上水内(かみみのち)郡信濃町(まち)大字熊坂国土地理院図で見ると、この熊坂の南方直近、野尻湖北方に「長範山」を確認出来、そのすぐ南が現在の野尻峠(こちらはグーグル・マップ・データ。以下同じ)であるから、この別称か、その北方に連なる峠を「長範阪」と呼んだものかも知れない。

「野尻と熊阪との間を流るゝ關川」地名と川名の両方で残る

「但馬養父(やぶ)郡大藏村大字堀畑」現在の山陰本線養父駅のある兵庫県養父市堀畑(ほりはた)であろう。

『「長範屋敷」と云ふ小字あり』確認出来ない。

「長範ほどの大盜人が、刷子(はけ)を持ちて内職をしたりとも思はれざれども」南方熊楠ばりのおちゃらかしの洒落である。

「染工(そめこう)を賤しき部落として取り扱ひし遺風」藍染め業者は「青屋(あおや)」「藍染め屋」「紺掻(こんかき)」等と呼んだが、中世以降から江戸中期まで、関西地方、殊に京都に於いて差別視されていた。京都町奉行は当初はこの青屋に牢番や死刑囚の処理などの「青屋役」を課していたのである(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「磐城田村郡小野新町東遠山萬福寺の觀世音」これは現在の福島県田村郡小野町(おのまち)小戸神日向(おとかみひむき)にある浄土宗東堂山満福寺の誤りである(本尊は阿弥陀如来であるが、脇侍が観音菩薩と勢至菩薩で、本堂と別に観音堂があり、観音信仰の霊場でもある次注参照)。ここ

「かの田村將軍の祈願に因り千の矢を放ちたまひし本尊と云へり」「小野町史 民俗編」PDF)の六〇〇~六〇一ページに同寺の記載があり、その「縁起」の部分に、開山伝承として、平安初期の延暦二〇(八〇一)年に坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征伐の際、『霧島岳(大滝根山)を根城として悪逆非道の限りを尽くしていた悪党大多鬼丸一味の退治に先立ち、日頃』から『信心』していた『観音菩薩に「能救世苦」の祈願をし、出陣したところ』、たちどころに、『全山鳴動』して『士気百倍』、『連戦連勝した』とあり、『戦死した将兵』や『愛馬の追善供養と観音さまへの感謝の心から、法相宗』の『高僧徳一を勧請して大同二年(八〇七)』、『榧(かや)の木の一木彫りの観音像を作り』、『開山したと伝える』とある。さらに、『馬の守護神として、東堂山は県内各地から信心され、絵馬なども沢山奉納されたであろう。中でも洋人曳馬図は、県の重要文化財にも指定されている立派なものである』とあり、馬との強い親和性のある寺であることも判った(太字下線は私)。]

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