生物室の髑髏
先日来の報道を聴きながら、思い出すことがある。私が最初に勤務した学校の(別に言っても構わないが、それが下らぬ官庁の大騒ぎになってあの校長やらが大騒ぎをすると……♪ふふふ♪……困るかも知れぬから……言わぬこととしよう)生物教官室にあった頭骨標本は、インドの女性の実物標本であった(報道ではインドから輸入された標本が多数あったとあった)。私の尊敬した甲殻類を専門で学ばれた生物教師(故人)は、その頭蓋骨の人物の名前も教えてくれた。合宿でその部屋に泊まる時は、その標本に蔽いをかけて見ないようにしていると言われておられたのを思い出す。私はそれを聴きながら、梶井基次郎の「愛撫」を思い出していたことも遠い昔に呼び返したことも(リンク先は私の古い電子テクスト)。
私は醫科の小使といふものが、解剖のあとの死體の首を土に埋めて置いて髑髏を作り、學生と祕密の取引をするといふことを聞いてゐたので、非常に嫌な氣になつた。何もそんな奴に賴まなくたつていいぢやないか。そして女といふものの、そんなことにかけての、無神經さや殘酷さを、今更のやうに憎み出した。しかしそれが外國で流行つてゐるといふことについては、自分もなにかそんなことを、婦人雜誌か新聞かで讀んでゐたやうな氣がした。――
……高等學校の……生物學教室に……印度の女性の頭蓋骨が……ある…………ああ……さても「此の世のものでない休息が傳はつて來る」ではないか…………