郭公の歌 伊良子清白 (附初出形)
郭公の歌
莊嚴美麗の夕日影
一ひらの雲羽搏き入らば
極樂鳥と身をかへん
汝は醜き冥府(よみ)の鳥
たとへば蘭の花を啄(ついば)み
巖(いはほ)の上に尾羽を伸す
快樂(けらく)の鳥にくらぶれば
汝は人に馴れ難き
生れて鳥の郭公(ほととぎす)
盲(めしひ)の鳥にあらねども
めしひの鳥のごとくにて
人厭はしき風情(ふぜい)あり
番(つがひ)はなれぬ金絲雀(かなりや)の
人に飼はるる歌鳥は
手にさへのりて囀れど
汝はにくき小鳥かな
汝はにくき鳥なれど
雨にくるひてをやみなく
木かげにさけぶ聲きけば
心は千々にむしられぬ
ああ暗黑と光明の
二つのかげをより交(ま)ぜて
林をゆすり山をとよもし
みち渡り行く夕暮の聲
[やぶちゃん注:明治三四(一九〇一)年八月一日発行の『明星』(第十五号)初出(署名は「伊良子清白」で、底本全集の「著作年表」に載るデータでは、彼がこの署名を用いた最初の公開作品である)であるが、初出形からは大きな改変が行われている。後で初出形を示す。
言わずもがなであるが、標題中の「郭公」は「ほととぎす」と読んでいる。本邦の古文ではこれを「くわくこう」(かっこう)と読むことはなく、あくまでカッコウ目カッコウ科カッコウ属ホトトギス Cuculus poliocephalus を指すのであり、カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus はその棲息域が温暖地の森林であったことから、少なくとも文芸対象としては全く認知されていなかったのである。例えば、同志社女子大学公式サイト内のコラム『「ほととぎす」をめぐって』を見られたい。流石に江戸中期の正徳二(一七一二)年頃成立した寺島良安の画期的な博物学書「和漢三才図会」には、「第四十三 林禽類 杜鵑(ほととぎす)」でホトトギスが、同巻「第四十三 林禽類 鳲鳩(ふふどり・つつどり)(カッコウ)」と「第四十三 林禽類 加豆古宇鳥(かつこうどり)(カッコウ?)」でカッコウ或いはカッコウ類らしきものが分別されて登場するが(リンク先は総て私の電子化注)、後の二者は良安の附言部(△印以降)が短いのを見ても、江戸中期の段階でさえも本草学的(良安は医師)にすこぶるマイナーであったことが判る。
「極樂鳥」これは種としてのそれ(スズメ目スズメ亜目カラス上科フウチョウ(風鳥)科 Paradisaeidae のフウチョウ類の異名。「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 風鳥(ふうちやう)(フウチョウ)」を参照)ではなく、後の「醜き冥府(よみ)の鳥」対として出したに過ぎない。後の「快樂(けらく)の鳥」も同義と採る。
「汝は醜き冥府(よみ)の鳥」先に示した同志社女子大学公式サイト内のコラム『「ほととぎす」をめぐって』にも、『中国の故事に由来するものは「死・魂・悲しみ」のイメージをひきずっているとされています』。ホトトギスの異名の一つの『「しでの田長」は』、『本来』、『身分の低い「賎(しづ)の田長」だったようですが、それが「死出」に変化したことで、「田植え」のみならず』、『冥界と往来するイメージまで付与されました』とあるように、主に中国伝来の不吉な鳥としての文化が纏いついている彼らにとっては不幸な経緯がある。それについては、「和漢三才圖會第四十三 林禽類 杜鵑(ほととぎす)」の本文や私の注を参照されたい。昼夜を問わず鳴くことが、ある種の五月蠅さと冥界との以降的時空間に啼く不吉な鳥と理解された可能性も高いと私は考えている。
「生れて鳥の郭公(ほととぎす)」/「盲(めしひ)の鳥にあらねども」/「めしひの鳥のごとくにて」/「人厭はしき風情(ふぜい)あり」恐らく伊良子清白はここでは知られたホトトギス前世譚として知られる「時鳥(ほととぎす)と兄弟」等と呼ばれる説話を念頭に置いているものと思う。小学館「日本大百科全書」の「時鳥と兄弟」から引く(下線太字は私が附した)。『昔話。鳥の前生が人間であったことを主題にする鳥の由来譚』『の一つ。兄弟がいる。弟が山芋』『をとってくる。兄にはうまい下のほうを食べさせ、自分はまずい上のほうを食べる。疑い深い兄は、弟がうまいところを食べているのではないかと思い、弟ののどを突き切った。山芋のまずいところばかり出てくる。兄は後悔してホトトギスになり、「オトノドツッキッタ」(弟ののどを突き切った)と鳴いている、という話である。弟はモズになり、兄のために虫などを木の枝に挿しておくという伝えが付随している話もある。兄が弟を疑う伏線として、兄は盲目であったとか、異母兄弟であったとか説く例も多い』(私は盲目設定としてこの話を知っている)。『「継子(ままこ)話」の形をとるものもあり、ホトトギスの托卵(たくらん)性から「継子話」として語られた時期がある』の『かもしれない。端午』『の節供に山薬(さんやく)と称して山芋をとってきて食べる習慣があった地方では、それに結び付けて説いている。類話は中国貴州省のミャオ族にもある。「ペェア」(兄さん)と鳴く鳥の由来で、兄は魚をとってくると、弟には身を与え、自分は頭を食べていたが、弟は兄がうまいほうを食べていると思い、兄を川に突き落とす。頭がまずいことを知った弟は兄を探し求めて鳥になったという。日本にも福島県に魚の例があり、注目される。兄弟の葛藤』『を主題にした鳥の由来譚はマケドニアやアルバニアにもある』とある。
「金絲雀(かなりや)」スズメ目アトリ科カナリア属カナリア Serinus canaria。野生種はアゾレス諸島(大西洋の中央部(マカロネシア)にある九つの島からなる群島。ポルトガル領)・カナリア諸島(アフリカ大陸北西沿岸に近い大西洋上の七つの島からなる群島。スペイン領)・マデイラ諸島(ポルトガルの首都リスボンから南西に約一千キロメートルのマカロネシアにある四つの島からなる群島。ポルトガル領)で、名のカナリアは原産地の一つであるカナリア諸島による。
初出形は以下。
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郭公の歌
羽(はね)の和毛(にこげ)に雨うたば
あつき血潮の胸冷えむ
もとより人に隱れゐて
葉陰に洩らす歌の聲
たとへば枇杷を啄みて
上毛(うはげ)の艶(つや)の羽をのす
快樂(けらく)の鳥に比ぶれば
汝(なんぢ)は人に馴れ難き
生れて鳥の郭公
めしひの鳥にあらねども
めしひの鳥のごとくにて
人いとはしき風情あり
巢なき鳥ぞと笑はれて
耻らふらしき雛ならば
手にさへ乘りて囀れど
汝はにくき小鳥かな
逆立つ毛には瀧つ瀨の
雨ふりそそぎ身のうちの
肉ことごとく波立ちて
とまり危き木々(きゞ)の枝
鳥屋(とや)にかくるゝ鷄の
雌(め)にもおとれる小さき身の
闇(やみ)いと深き夕暮も
恐を知らず啼けるかな
汝はにくき鳥なれど
雨にくるひてをやみなく
木かげに歌ふ聲きけば
心は千千(ちぢ)にむしられぬ
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初出の「巢なき鳥ぞと笑はれて」とは托卵の習性を指す。]