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2019/04/26

巖間の白百合 すゞしろのや(伊良子清白) 原本底本電子化版・附オリジナル注

 

巖間の白百合

 

  

 

波の穗あかく海燃えて、

 西にくづるゝ夕雲の、

  名殘はまよふ岩の上、

   今日の別を告ぐるらむ。

南の洋にたゞよへる、

 百千の島は一つらの、

  潮のけぶりやつゝみたる、

  うかぶ翠も見えわかず。

[やぶちゃん注:「洋」はここは「うみ」と読んでおく。]

晝は光におほはれて、

 さやかにめにも入らざりし、

  火を吐く峯のひらめきは、

   闇の沖べをぞ照したる。

岬の岩にくだけ散る、

 浪のしぶきは高けれど、

  翅休めぬ大鳥の、

   歸るを追はむ力なし。

大龜うかぶ湊江の、

 陰に散りうく花片は、

  浪に環をつくれども、

   またみだれ行く潮の泡。

イヤライ草の漂ふを、

 摘む兒の影も見えざれば、

  下に群れよるうろくづの、

   鰭こそ水をさわがすれ。

[やぶちゃん注:「イヤライ草」不詳。「下に群れよるうろくづの」とあるから、海面に普通に浮遊しているのを見かける海藻と思われるが、異名としても海藻フリークの私でさえ聴いたことも見たこともない。翻って、塵(ごみ)のように漂う、人の「嫌らふ」或いは「居遣(や)る」(そこにあるのを押し遣る)ような役立たずの雑藻のことかとも考えたが、それでは次行の「摘む兒の影も見えざれば」が齟齬する。「イヤライ草」は食用や藻塩用に「摘む」(但し、海面を漂う海藻を「摘む」とは言うのは不適切な表現と思う)海藻だということになる。これらの条件を最もよくクリアー出来るのは、不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科 Sargassaceae のホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum やホンダワラ属アカモク Sargassum horneri であるが、伊良子清白は後の明治三七(一九〇四)年一月発表の「海の聲山の聲」では、それを、万葉以来の美しい異名「莫告藻(なのりそ)」を用いている。「イヤライ草」とは如何にも厭な響きの語であるが、或いは「言ひやる」ことを「嫌(いや)がる」の謂いと解するなら、「名乗りそ」の意と妙に繋がるような気がしないでもない。ただ、しないでもないと消極的に思うだけで、それを執り立てて主張したくもない。お手上げ。識者の御教授を乞う。]

胡沙吹く風を葉に浴びて、

 玉を累ぬる香蕉の、

  このみは莢をはしりけむ、

   こぼれし豆の色ぞ美き。

[やぶちゃん注:「胡沙」中国で塞外の胡国から来る砂塵の意であるが、ここは大陸の砂塵でよかろう。「香蕉」「かうせう(こうしょう)」と読み、バナナ(単子葉植物綱ショウガ目バショウ科バショウ属 Musa の内で果実を食用とするもの)の漢名。]

橫たふ幹はをろちなす、

 パンダナの樹のうねれるが、

  潮にひたりてあまたゝび、

   貝の住處(すみか)となるやらむ。

 

橫たふ幹はをろちなす、

 パンダナの樹のうねれるが、

  潮にひたりてあまたゝび、

   貝の佳處(すみか)となるやらむ。

[やぶちゃん注:「パンダナの樹」「パンダナス」で、単子葉植物綱タコノキ目タコノキ科タコノキ属 Pandanus のタコノキ類を指すが、同属タコノキ Pandanus boninensis、或いは同属で葉の鋸歯が小さいアダン Pandanus odoratissimus を挙げておけばよかろうとは思うのだが、どうも気になるのは、伊良子清白が「潮にひたりてあまたゝび」「貝の佳處(すみか)となるやらむ」と続けていることで、これは私はどうも、清白は、海岸沿岸の陸地に植生するタコノキ類と、マングローブを形成する、潮間帯に植生して板根を広げる汽水域を好む耐海水性のヒルギ類(双子葉植物綱キントラノオ目ヒルギ(蛭木)科 Rhizophoraceae:例えば、メヒルギ属メヒルギ Kandelia obovata・オヒルギ属オヒルギ Bruguiera gymnorhiza等)を一緒くたにして誤認しているように思われてならない。タコノキ類は実を好物とする、ほぼ完全な陸棲性甲殻類(成体は産卵時以外は水に入らない)であるヤシガニ(甲殻綱 十脚(エビ)目エビ亜目異尾(ヤドカリ)下目ヤドカリ上科オカヤドカリ科ヤシガニ属ヤシガニ Birgus latro)の根の周囲が棲み家にはなり得るが、貝のそれにはなり得ないし、後者はパンダナスとは縁もゆかりもなく、「パンダナ」とは決して呼ばないからである。

凉しき暮を一しきり、

 飛魚の群飛びめぐる、

  珊瑚の礁の水底に、

   低く映れる棕櫚の影。

なみほの白き磯際に、

 獨木の舟をつなぎすて、

  かこは家路に歸りけむ、

   たゞ棹のみぞのこりたる。

[やぶちゃん注:「獨木」「まるき」(丸木)と当て訓していよう。]

深き林は紫の、

 うすき烟にとざされて、

  聲を競ひし百鳥の、

   白日の歌はすぎにけり。

[やぶちゃん注:「白日」「まひる」と読んでおく。]

塵だにすゑぬ眞砂路の、

 翠の陰をとめくれば、

  新芽は枝をうちたれて、

   老木をつゝむ葉のしげみ。

[やぶちゃん注:二〇〇三年岩波書店刊平出隆編集「伊良子清白全集」第一巻では「つゞむ」であるが、「約む」で「縮めさせるようにする」の謂いでは無理がある。原本(後注参照)に拠った。]

池に臨める椰子葺の、

 軒端のすだれ風見えて、

  欄干による嶋の王、

   夕立つ雲を仰ぐらむ。

[やぶちゃん注:「欄干」「おばしま」。]

白き小石を並べたる、

 床には布ける新筵、

  皿にあふるゝ野のこのみ、

   山のこのみぞ珍らしき。

夕げをよぶや女の童、

 肩にかけたる花束の、

  花ひそやかにうちそよぎ、

   媚ぶるに馴れしうしろ影。

[やぶちゃん注:「媚ぶる」「こぶる」。]

水草かくれにひそみたる、

 池のうろくづ尾を赤み、

  玉も拾はむ砂の上に、

   人なつかしく來るかな。

母なる君と手をひきて、

 岸邊をあゆむ姬皇子の、

  たけなす髮にこゝろなく、

   はらりと散りし花一瓣(よ)。

[やぶちゃん注:「よ」は万葉語で「花びら」。]

拂ひし花は池水に、

 たゞよひうかぶ一葉舟、

  二人の君は凉しさを、

   語らひながらかへりけむ。

折しも近き高峰より、

 たちまち雨の篠つきて、

  木々の梢を洗ひ去り、

   浴びをいづる森の花。

[やぶちゃん注:「をいづる」不審。「生ひ出づる」か。だとしたら「おひいづる」でなくてはおかしい。]

名殘の雫陰におち、

 眞砂にまろぶ露の珠、

  あたりをぐらくなるまゝに、

   かはほり飛ぶや羽廣き。

森の遠近かゞり火の、

 ほのめきわたる木下闇、

  吹なす笛の聲きけば、

   しらべゆかしき暮の歌。

 

 みどりのかげに

    かくれすみ

 夕手まねく

    人はたぞ

 白雨もりを

    あらふとき

[やぶちゃん注:「白雨」は明るい空から降る雨・俄か雨のこと。「はくう」では韻律が崩れるので「ゆふだち」と当て訓しているか。]

 花のをだまき

    散るらんか

 草にこやせる

    あだ人の

 ざれしかうべを

    ふまんより

 かゞりに燒ける

    ニーの實の

[やぶちゃん注:「ニー」不詳。但し、南洋諸島ではココヤシ(単子葉類植物綱ヤシ目ヤシ科ココヤシ属ココヤシ Cocos nucifera をニウ(Niu)と呼ぶから(アメリカ人の方の日本語による個人サイト「マウイ島からアロハ」のこちらを参照)、それではなかろうか?]

 はしりいでゝも

    きたりなむ

 あつくももゆる

    手のひらを

 きみのうなじに

    われはまかせむ

 

   

 

クンナツト花手にまきて、

 くちを漱がむ池水に。

[やぶちゃん注:「クンナツト」不詳。先のココヤシは英語で「Coconut palm」で音が近くはある。]

谷かけくだる白玉は、

 を指にさむく觸るゝかな。

分髮肩をすぐればか、

 おぞや浪間にひたりたり。

神にさゝぐる菓を、

 供へまつらむ夕なれば、

いはほの前にぬかづきて、

 所のうたをことあげむ。

[やぶちゃん注:「菓」の読みは「くだもの」か。]

 

 島のさつをら

    さきくあれ

[やぶちゃん注:「さつを」は「猟男・猟夫」で漁師のこと。]

 海のいさり男

    やすけかれ

 棕櫚の林に

    風ふきて

 夢路すゞしき

    あしたより

 大蟹のぼる

    白濵の

 月たゞ細き

    夕まで

 谷の小川の

    せゝらぎを

 絃なき琴と

    きゝなして

 ふかき林の

    山陰に

 かれずも神よ

    まもりませ

[やぶちゃん注:「かれずも」は「離(か)れずも」か。]

 夜ざりくれば

    やわらかき

[やぶちゃん注:ママ。]

 草のしとねを

    ふみわけて

 風はふかねど

    おのづから

 木々よりおつる

    露にぬれ

 かの新しく

    咲きいでし

 花のかをりを

    なつかしみ

 胡桃みのれる

    山裾の

 うす紫の

    のべをこえ

 老葉若葉の

    かさなれる

 椰子の林に

    あそびませ

 朝は鮮きを

    たてまつり

[やぶちゃん注:前行は「あさはあざきを」と読んでおく。]

 夕はニーを

    供ふれど

 われをとめこの

    﨟げて

 あまりに面

    なまめけば

 まつりのころも

    まとへども

 かしこき神の

    みまへかな

 山の端うすく

    黑ずみて

 光をまとふ

    笹緣の

[やぶちゃん注:「ささへり」「ささべり」で、本来は、衣服の縁や袋物・茣蓙の縁(へり)を補強や装飾の目的で布や扁平な組紐で細く縁取ったものを言うが、ここは山の端の夕景の換喩。]

 色こまやかに

    そめなすは

 今月影や

    いづるらむ

 虹のうき橋

    とだえして

 森より森に

    雨はれぬ

 つゆあきらかに

    みえそめつ

 ひかり仰ぐも

    ちかからし

 誰が吹く笛ぞ

    さはやかに

 をりにあひたる

    しらべなり

 風の千條の

    細絲の

[やぶちゃん注:「千條」「ちすぢ」。]

 みだれてなびく

    峯の雲

 底湧き回る

    千々の浪

 碎けて空に

    うつるかな

 山の彼方の

    かゞやきは

 玉の梢や

    匂ふらむ

 藐姑射の宮の

    み園生の

[やぶちゃん注:「藐姑射」は「はこや」と読み、小学館「日本国語大辞典」によれば、「藐」は「邈」と同じで「遙か遠い」意、「姑射」は山の名。元来は「遙かなる姑射の山」の意であるが、「荘子」の「逍遥遊」によって、合わせて山名の如く用いられるようになったもので、中国で不老不死の仙人が住むとされた想像上の山を指すこととなった。]

 七つの寳

    八重垣の

 花の臺や

    そびえたる

 天のうき舟

    かぢとりて

 はつるよしもが

    よもぎ島

[やぶちゃん注:「果つる由もが」か。「行き着いた果てのところが所謂」の意か。「よもぎ島」は蓬莱山のこと。]

 尾上の木立

    あざやかに

 巖のうへに

    あらはれて

 百たび鍊れる

    久方の

 月の鏡は

    かゝりたり

 靜かにのぼる

    影見れば

 下づ枝は橫に

[やぶちゃん注:「づ」はママ。]

    中つ枝は

 幹をかすめて

    すぢかひに

 また直くのみ

    のぶれども

[やぶちゃん注:「またますくのみ」(再びひたすらに真っ直ぐに)か。]

 千枝にわかるゝ

    上つ枝は

 月の桂の

    陰さして

 風にもまるゝ

    葉のそよぎ

 一つ一つに

    てらすめり

 今やはなれん

    木々のうへ

 小さくなり行く

    月影の

 めぐりはうすき

    色の彩

 霓ぞたまきを

    ゑがきたる

[やぶちゃん注:「霓」は龍の名で音「ゲイ」であるが、ここは古来、それと認知された虹を指し、「にじ」と訓じているように思われる。]

 月のみ神の

    みめぐみの

 光あまねき

    島のうへ

 高きみ影に

    ぬかづきて

いざやいのりの

    うたををはらん

 

女蘿にとざす岩穴の、

 白晝のごとくかゞやきて。

[やぶちゃん注:「女蘿」「ぢよら(じょら)」は、樹皮に附着して懸垂する糸状の地衣類の一群の総称である猿麻桛(さるおがせ:菌界子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目ウメノキゴケ科サルオガセ属 Usnea)の漢名。]

本は一本枝ごとに、

 七百咲くてふ百合の花。

花のうてなの紫の、

 色うつぐしみ來る鳥の、

五彩(ごさい)の翅しをるゝは、

 神こそ天降りゐますらめ。

[やぶちゃん注:「うづくしみ」の濁音はママ。]

 

白玉なせる房ごとに、

 つゆこきみだるよのゆるぎ。

[やぶちゃん注:「露放(こ)き(或いは「扱(こ)き」)亂る節(よ)の搖ぎ」か?]

洞にひそめる遠つ世の、

 黑き風もや通ふらむ。

手をだにふれなば祟るべき、

 花は一瓣もちらねども、

少女さびすとわが胸に、

 さゝば大神やどりなむ。

[やぶちゃん注:「一瓣」は前に出た。「ひとよ」と読む。]

二つの翼生ふるれば、

 虹のみ橋に袖ふりて。

櫻八重咲く敷島の、

 五百重の浪に嘯かむ。

[やぶちゃん注:「五百重」は「いほへ」。「嘯かむ」は「うそぶかむ」。]

老いぬ藥を授からば、

 牡丹匂へるもろこしの、

大城の庭のあし鶴を、

 友にや雲に乘りてこむ。

[やぶちゃん注:「大城」「おほき」と読んでおく。「あし鶴」は仙界に相応しい脚のごくほっそりした鶴のことか。少なくとも、その和名を持つツルはいない。]

こは仙人の夢ににて、

 神さびたりなあまりにも。

長き裳裾は曳かねども、

 われ姬皇子の玉簪。

[やぶちゃん注:「玉簪」「たまかざし」であろう。]

足乳の母の御手にだに、

 ぬかせまつるはまれらなる。

[やぶちゃん注:「形容動詞「稀らなり」の連体形。]

大宮内にうまれては、

 產衣ゆたかにはぐくまれ。

現女神とめでられて、

 いつき少女となりぬるを。

[やぶちゃん注:「現女神」韻律から「あらひとがみ」と読んでおく。]

黃金花咲く西島の、

 王子のみもとにかしづきて。

珊瑚の舟の纜を、

 さゝらぐ浪に解き放ち。

[やぶちゃん注:「纜」「ともづな」。]

瑠璃なす海にこぎいでゝ、

 桂の棹をさしぬとも。

太刀とりなるゝをのこゞの、

 强きかひなにいだかれて。

頸環の玉のくだけなば、

 かよわき胸のたへざらむ。

舟のへさきをめぐらして、

 椰子のこかげにかへる時。

しだり尾長き赤はしの、

 鳥の囀いたましく。

[やぶちゃん注:「はし」は「嘴」。]

面そむくる宮ぬちに、

 羅の袖ぬれもせば。

[やぶちゃん注:「羅」「うすぎぬ」。]

風の一葉とうらぶれて、

 寢覺の床やつらからむ。

母のかふこのまゆごもり、

 つまれぬ花とみををへば。

[やぶちゃん注:「こ」は「蠶」。「みををへば」は「身を負へば」。]

鮫に槍うつあらし男の、

 淺き思にをしまれて。

深山のこのみあだにのみ、

 おちてくちぬといはれんも。

百合のうてなの室ごとに、

 かくれましぬる大神の、

ひろきこゝろにかなひてぞ、

 幸長しへに盡きざらむ。

[やぶちゃん注:「室」読みはいろいろ考えられるが、私は「へや」と読む。「長しへに」「とこしへに」。]

さばかり神のまもります、

 われは思へばいつの夜か、

分髮祝ふさかもりの、

 うたげのともし輝きて、

父がしたしく銀の、

 環をうでにかけしをり。

なれは年月大神に、

 いのりてこそはうまれしか。

月影白きさむしろに、

 椰子は繪のごと影を曳き、

星あまたゝび空を行く、

 夜半に產聲あげしなり。

ゆめおろそかに思ふなと、

 をしへたまひしこともあり。

さらば神の子わが衣に、

 百合の花ひらさしぬとも。

[やぶちゃん注:「花ひら」の清音はママ。]

すがたよそほふためならば、

 とがめたまはじ大神も。

こゝろおちゐてひそやかに、

 女蘿の隙ゆ二ひらを、

摘みとりてこそ柔かき、

 乳房のうへにかざしけれ。

淸きかほりは龍のすむ、

 宮居の壺の酒ならむ。

ましろの色は織女が、

 たちし千ひろのきぬならむ。

雲の夕凝るいたゞきに、

 よろづの山を見るごとく。

みかどの位さづかりて、

 冠戴く朝のごと。

戰の庭に笛吹きて、

 城にをのこをよぶがごと。

望はるけき天地に、

 あやしくあがるわが心。

御空仰げば七星は、

 紫金の色をあらためて、

芭蕉の幹の廣き葉の、

 かさなるうへに影をなげ。

西にかたぶく明星は、

 寂しき天の戶をいでゝ、

沈める船の帆ばしらを、

 うちてくだくる浪にすみ。

雲にまよへる三つ星は、

 若き光を包めども、

岬を洗ふ黑潮の、

 うづまくうへやてらすらむ。

戀草茂る天上の、

 銀河の水に風立ちて、

深き泉の濃紫、

 流るゝ星の花を吹き。

紅葉の渡狹霧こめ、

 つらき別の朝のごと。

步は遲き彥星の、

 錦の衣ほころびて、

高き通路牽く牛の、

 はづなは浪にぬれにけり。

夜のみ神の月影は、

 こよひ圓かにみちたらひ、

ほがらほがらと大空の、

 風にのりてや渡るらむ。

雲の浪間にたゞよひて、

 夜すがら西に流れたり。

ひろき光のはろはろと、

 千里の色ぞ輝ける。

[やぶちゃん注:「はろはろと」清音はママ。]

白き翼に弓ひきて、

 誰か國土(くぬち)に射おとさむ。

森の木の間の葉を茂み、

 影こそ近くさまよへれ。

月の光を身にあびて、

 星の雫を袖にうけ、

わけ髮ながくなびかせて、

 高くかゝれる空の海の、

はてなき橋の下かげに、

 男神女神の名をよべば。

晝の男神の行く道の、

 村立つ雲に弦伏せて、

紅の目の浪間より、

 光の白箭放てども、

星の炬火たきすてゝ、

 夜は獵夫のかへりこず。

[やぶちゃん注:「炬火」は「たいまつ」。松明。「獵夫」は前に従い、「さつを」と読んでおく。]

萬の光衰へて、

 炎はきゆる流れ星。

照せる月にくらぶれば、

 塵ひぢにだにまさらんや。

[やぶちゃん注:「ひぢ」は「泥」。]

こよひみ神のうてなより、

 白百合の花二よこひ。

さやけき影を前にして、

 まほにむかへばをみなごの、

あがるこゝろをおさへかね、

 胸の波こそたちまされ。

みどりのかげにいこふとも、

 白日の夢をむすぶとも、

白雨森をあらふとも、

 いそべの浪にかつぐとも、

海に立ちたる紅の、

 火柱の火をさけえんや。

朝は東に羽をふり、

 夕は西に勝鬨の、

豊旗雲をなびかせて、

 休む時なき日の軍。

天の炎をなげかけて、

 やきはらへども椰子の原。

廣き葉裏に月さゝば、

 よみがへるらん島と海。

み神のおはす望月の、

 かゞやく宮ゆ吹きおちて、

夕ざりくれば遠近の、

 百千の小枝うちそよぎ。

この島國もをしからぬ、

 涼しき風はたちぬめり。

あゝ電のびらめきて、

 いかづちのなる天雲の、

上に烈しき火柱の、

 たけき力にくらべ見て、

雲井冴やけく照りわたる、

 月のみ神のたゞへごとせむ。

[やぶちゃん注:「たゞへごと」「稱(ただ)へごと」。讃辞。祝詞に濁音で出る。]

 

   

 

朝の月のほのぼのと、

 棕櫚の葉末に白む時、

  塒はなるゝ鳥の歌、

   別の袖のつらき哉。

石を拾ひて夕月の、

 沈める池になげやれば、

  一つ一つに輪をまして、

   果(はて)は岸邊にきえにけり。

夜渡る月の夜を寒み、

 八重の照妙かさぬれど、

  朝吹く風にぬぎ去れば、

   白日の月やのこるらむ。

[やぶちゃん注:「照妙」は「てるたゑ」で、「一本に繋がった輪状の綱」を指し、ここは言わば、神に捧げる幣帛の一種であろう。]

弓張月をたとふれば、

 水草に伏す鰐ざめの、

  鱗の銀をふるふごと、

   光は雲を破るかな。

望の月夜に舟うけて、

 月の鏡をのせ行くに、

  汐馴衣袖びぢて、

   月も島根をめぐりけり。

下弦(げげん)の月の弦にふれ、

 潮は岩に響けども、

  岩燕飛ぶ曉を、

   驚きさむる人ぞなき。

[やぶちゃん注:「げげん」のルビはママ。]

椰子の林の葉のかげに、

 よるよる沈む月影は、

  珊瑚の磯の波間より、

   さしのぼりたる月ならむ。

宿る陰なき洋に、

 ひとり漂ふ月なれば、

  かぢをたえたる大空を、

   ほがらほがらとわたるらむ。

[やぶちゃん注:「洋」ここは「おほうみ」と読んでおく。]

紅淡き東雲の、

 產湯の上にうつれども、

  砂をおほへば夢もなき、

   廣野の墓をてらすなり。

かけたる月も來ん夜の、

 滿ちくる影の月なれば、

遠き昔も今の世も、

 月こそとはにさやかなれ。

 

 *  *  *  *

   *  *  *  *

 

 かゞみととげる

    おもてより、

 ほそきけぶりの

    たなびきて、

 ひかりかくさふ

    つきのみや。

 花の香たへに

    咲きにほふ、

 大木のかつら

    みきさけて、

 みるみる月は

    かけにけり。

 月のみうたを

    とのふれど、

[やぶちゃん注:「となふ」(唱ふ)の音変化であろう。]

 たかきみやゐに

    かよはねば、

 くらくなり行く

    天地や。

 天の河瀨の

    夕波は、

 みふねのともに

    かゝれども、

 八重のさぎりの

    ひらかんや。

 あかがねなせる

    あらがねの、

 こりてはながれ

    ながれては、

 うづまきかへる

    月のおも。

 かゞやきわたる

    もちづきの、

 花のみやゐは

    とこやみの、

 よみぢの水に

    沈みたり。

 月の底より

    わきいづる、

 くろき炎は

    ときのまに、

 千尺の上に

    もえあがり。

 火を吐く山の

    いただきの、

 洞よりのぼる

    こむらさき、

 むらさきうすき

    色なせり。

大綿津見の

    なみのうへに、

 影をやどしゝ

    もち月も、

 み空の月と

    わかれけむ。

 たつのみやこの

    たかとのゝ、

 とばりをまける

    乙姬の、

 袂の玉と

    かくれけり。

 七百の百合の

    花をだに、

 むねにさゝずは

    をとめごの、

 ひめにかくまで

    たゝらんや。

 いたくにごれる

    人のよを、

 にくみたまひて

    とこしへに、

 月はきえさせ

    たまひけむ。

 星のひかりの

    夕より、

 つゆおきまさる

    あしたまで、

 椰子のこかげを

    もるゝとも。

 百千のかゞり

    あつめたる、

 焰の花の

 flame tree

    山陰に、

 夜すがらさきて

    もゆるとも。

[やぶちゃん注:ブログでは上手くゆかぬが、「焰の花」三字の左に英文「flame tree」がルビ大で記されてある。わざわざかく振ったのは、異国シークエンスの篝火の換喩であると同時に、伊良子清白は実在するflame tree」、オーストラリア原産の双子葉植物綱ビワモドキ亜綱アオイ目アオギリ科ブラキキトン属ゴウシュウアオギリBrachychiton acerifolium をも、出来れば、読者にイメージして貰いたかったからではなかろうか? 個人サイト「GKZ植物事典」の「ゴウシュウアオギリ」によれば、『花茎も真っ赤であり、花も真っ赤』で、『ベル型の小花を見せる』とあり、さらに『我が国への渡来時期不詳』とする。但し、国内では温室でしか見られないようだが、一目見ると、その鮮烈な赤さに忘れ難い木ではあるのだ。グーグル画像検索「Brachychiton acerifoliusを見られたい。]

 月なき園の

    山河は、

 繪にかく花の

    色香にて、

 活きたる泉

    わかざらむ。

 みそらの海の

    星くづの、

 よろづの光

    あらはれて、

 かくれし月をや

    たづぬらん。

 漣しげき

    白はまの、

 玉採小舟

    籠をおもみ、

 水に沈みし

    玉のごと。

 天の河原の

    かつぎ女は、

 髮を結びて

    かつげども、

 浪の五百重の

    底深み。

 うき藻みだるゝ

    あじろ木に、

 かゝれる月の

    鏡こそ、

 影もとゞめず

    碎けけれ。

 

 *  *  *  *

   *  *  *  *

 

島のかゞりは雲をやく、

 焰俄にもえあがり、

  空にうつりて金粉を、

   散らす火の子のしげき哉。

織るがごとくに火の影は、

 東に西にはせみだれ、

  亡び行く夜の俤を、

   さやかに見する凄じさ。

こゝらの臣を引き具して、

 こゞしき岩根ふみさくみ、

  島の岬にこゝろざす、

   王の姿ぞ雄々しかる。

誰か贈りし束總の、

 綠の紐のはし長く、

  鞘は黑ざや燒太刀を、

   今もはかせと帶びにたり。

鞘を拂へば拂ふ每、

 千度八千度よろづたび、

  見るとも朱の血汐には、

   あくを知らざる業物も。

[やぶちゃん注:「業物」「わざもの」。]

み空の闇をきり開く、

 降魔の劍にあらざれば、

  紫電みだるゝ太刀の面、

   匂ふみだれもなにかせむ。

白き珊瑚を織りにたる、

 祈の庭の冠は、

  紅き珊瑚の緣とりて、

   輝く珠もちりばめず。

花鳥の影草の像、

 ところせきまでゑらせたる、

  常のよそひににざればか、

   いと淸げにも見えにけり。

前に後に列なめて、

 王に從ふ兵者は、

  生れぬさきに勝つといふ、

   敎をうけて來りけり。

いくさの庭に旗樹てゝ、

 鬨をつくれば谷答へ、

  山鳴り蛟龍舞ひいでゝ、

   靡かぬ草もなかりけむ。

[やぶちゃん注:「蛟龍」は「みづち」と訓じておく。]

並めたる槍の穗先より、

 白き光芒の湧きいでゝ、

  くらきみ空に入る見れば、

   小さき星ぞきらめける。

[やぶちゃん注:「光芒」は二字で「ひかり」と読んでよう。]

千々のかゞりの紅は、

 吹きくる風を火に帶びて、

  森の木立の一面を、

   燒き拂へるにことならず。

かゞりの下にゆきなづみ、

 險しといふな兵者よ、

  幼き折におぼえたる、

   ざれ歌一つうたへかし。

 

 大蟹小蟹

    谷のこ川におりてきて

 甲はぬがれず

    ぬがねばならず

 橫に這ふたが

    落度で御座ろ

 をしへて下され

    すぐな道

 どうせうぞいな

    泡もふかれず

 めもたてられず

    瀧は千丈

 壺は藍

    岸の椰子の木

 ねいろとすれば

    波が洗ふて

 ゆりおこす

    ゆりおこす

 おこすのが

    とんと面白う御座る

 椰子ぢやなし

    口に善惡ない

 大蟹小蟹

    發矢とあたる

 椰子の實で

    大事な甲を

 わつたげな

    われたと思ふたら

 ぬげたげな

    大きな甲は石に成れ

    小さな甲は貝になれ

 

つゞらをりなす山越の、

 椰子の枯葉を分けくれば、

  ふむに音なき夜の道、

   たゞかゞり火ぞおつるなる。

山を下りれば荒磯の、

 きり岸高く海見えて、

  かさなり伏せる岩の上、

   水鳥の糞(まり)たゞ白き。

幾百年の大濤や、

 破りすてけむ巖の門、

  くゞるにかづらとざせるを、

   かゞりにやきてすぎ行きぬ。

半ばたふれし木々の幹、

 石より石に根は匍ひて、

  洗ふにまかす磯の浪、

   いつまですがる危さぞ。

人は通はぬわだなかの、

 潮の滿干にたゞよひて、

  沈むともなき島の群、

   根は奈落より生ふるらん。

末をひたせる大空に、

 たけりてのぼる沖つ浪、

  嵐に迷ふ舟人は、

   棹をとゞむるひまやなき。

岬に着けば兵者は、

 ひとしく岸になみ立ちて、

  王をめぐらす圓陣を、

   最とおごそかに築きたり。

[やぶちゃん注:「最と」は韻律から「もと」と訓じていよう。]

冠をぬぎて岩におき、

 祭の檀設(つくゑ)設へつ、

  新菰の上をおもむろに、

   王は正しく進みけり。

[やぶちゃん注:「設へつ」は韻律から「こしらへつ」と訓じているように思う。「新菰の上を」は韻律から「あらこものへを」であろう。]

東の方をおろがめば、

 輝ぎわたる星の群、

  並めたる槍の穗を拂ふ、

   沖つ汐風ほの白し。

赤きかゞりをうちふりて、

 荒ぶる浪にさしかざし、

  繡身したるあらし男は、

   あたりの闇を警めぬ。

[やぶちゃん注「繡身」「いれずみ」であろう。「警めぬ」「いましめぬ」。]

とり帶く太刀を兩の手に、

 高く捧げて禮ををへ、

  王まづ歌をとのふれば、

   つゞきて合す兵等。

[やぶちゃん注:「帶く」「はく」(佩く)。]

壇の上は山の花、

 野の鳥海の白玉の、

  こゝろこめたる齊物(いつきもの)、

   めづらかなるを陳ねたり。

[やぶちゃん注:「齊物」は供物。「陳ね」「つらね」。]

谷の八谷の奧ふかく、

 潜める風も吹きくらん、

  坂の七坂未遠く、

   おりゐる雲も舞ひいでむ。

天にとゞかば天の果、

 地にひゞかば地の底、

  とよもしふるふ祈歌、

   祭の御庭開かれぬ。

  ○

谷のかゞりは遠近の、

 塒の鳥をおどろかし、

  たぎつ早瀨にうつろひて、

   炎ぞおつる靑き淵。

森の木の間の縵幕の、

 火影を帶びて張られしは、

  かくれし月をいさめんと、

   少女が舞の庭ならむ。

[やぶちゃん注:「縵幕」岩波版全集は『幔幕』としているが、これは誤字ではない。]

瀧のながれに身をひたし、

 肌を淨むるをとめらが、

  花のたまきに小夜風の、

   しつかに來てはさはるなり。

林の奧のやかたにて、

 舞の衣をよそほへば、

  耳輪の金に後れ毛の、

   二すぢ三すぢ迷ひつゝ。

椰子の枯葉をたきくべて、

 かゞり色ます火の影や、

  木の下闇のくまぐまの、

   小草の露も見ゆるなり。

笛は林の風と吹き、

 皷は岸の浪とうち、

  かくれし月もあこがれて、

   迷ひいでなむしらべあり。

舞の少女のいでたちは、

 かしらにかざす忍草、

  長き若葉は肩に垂れ、

   みどりの髮をかくしたり。

[やぶちゃん注:本邦でなら、樹木の樹皮上に植生する着生植物のシダ植物門シノブ科シノブ属シノブDavallia mariesii でよいが、仮想される南洋なので、シノブ属にとどめておく。]

たけの袂を飾へし、

 一さし舞へば舞ふごとに、

  玉うち觸れて黃金を、

   つちに擲つ響あり。

環の花の白玉は、

 木の間の螢とちりばめて、

  紅皮の靴のまさごぢを、

   ふむに輕くも見ゆるかな。

[やぶちゃん注:「環」「たまき」。「まさごじ」は「眞砂路」。砂地の道。]

火影に背き歌謠ひ、

 裳裾を曳きて露にぬれ、

  空より峯に白鳥の、

   舞ふが如くに舞ひ遊ぶ。

淸けきまみも輝きて、

 花の面は朱を帶び、

  かつらの草のゆるびては、

   白き眞砂におつるかな。

破れよ皷とうちしきり、

 管もさけよと笛を吹き、

  林の奧の山彥の、

   答ふる聲に競ひけり。

舞へば流るゝ流るれば、

 淚にけがす花の面、

  あつき血しほは身にもえて、

   狂ひもいでむこゝろかな。

羽しもたねば大空に、

 のぼりもえせずうろくづの、

  鰭しなければ海底に、

   潜みもあヘず月影を、

    いかなる鄕に探るべき。

天に沖りしかゞり火も、

 さすが焰の衰へて、

  一つ消ゆればつきづきに、

   見えずなり行く島の陰、

    夜の光の亡ぶべき、

     終の時は來りけり。

[やぶちゃん注:「沖りし」は「ひひりし(ひいりし)」と読み、「ひらひらと舞い上がる・高く飛び上がる」の上代からの古語。]

仰げば遠き久方の、

 雲の通路風死して、

  草木は萎へ葉は黃ばみ、

   谷の峽に危くも、

    黑き月たゞかゝりたり。

  ○

 群たつ雲の

    廣ごりて、

 墨をながせる

    天つそら、

 ほしのひかりも

    きえにけり。

 ひらめきわたる

    稻妻は、

 裂けし雲間を

    彩りて、

 奇しき形を

    あらはしぬ。

 あやめもわかぬ

    闇路より、

 けたゝましくも

    聲たてゝ、

 林をよぎる

    何の鳥。

 きりをふくめる

    小夜風の、

 いとひやゝかに

    吹きくれば、

 おのゝきふるふ

    松の枝。

 闇とこしへに

    とざしては、

 はるゝ時なき

    月の蝕、

 夜の光は

    ほろびたり。

 沖つ藻邊つ藻

    なびきよる、

 島の岬の

    うへにして、

 かくれし月を

    おろがみし。

 王もいまはや

    みまつりの、

 にはをけがすに

    たへかねて、

 宮居にかへり

    たまひけり。

 東にひかり

    西宮に、

 ひらめきかへし

    稻妻の、

 すさまじくのみ

    なりぬれば。

 夜は小夜中と

    更け行けど、

 ねぶるともなき

    島人の、

 むねはおそれに

    おほはれぬ。

 白くのこれる

    炬火を、

 かこみてたてる

    人のおも、

 うなだれてのみ

    かたらはず。

 天の河原に

    沈みてし、

 月の光は

    さながらに、

 夜の電と

    なりにけり。

 芭蕉の廣葉に

    うつりては、

 くだけてはしる

    白光の、

 行衛や人の

    世にあらず。

 高くたちたる

    岩が根を、

 ひらめきくだる

    幾千條、

 海の底にや

    入りぬらむ。

 すさまじかりし

    稻妻も、

 たゞ一しきり

    をさまれば、

 こたびはさらに

    色深く、

 開かぬ闇に

    襲はれぬ。

 

   

 

 一葉のふねを

    海にうけ、

 神の御贄と

    たゞよへる、

 姬の袂や

    ぬるゝらん。

 櫂とり馴れで

    白浪の、

 立つをおそれん

    くらき夜に、

 珊瑚のしまを

    さまよふか。

 岬をあらふ

    黑潮の、

 渦まくうへに

    ながされて、

 千尋の底に

    しづみなば。

 月の光は

    さゝずとも、

 さめぬねぶりの

    とこしへに、

 破れぬ夢を

    結びつゝ。

 靡く玉藻の

    影見えて、

 梅の花貝

    みだれ散る、

 錦の床に

    こやすらむ。

[やぶちゃん注:「梅の花貝」私の守備範囲なので注せずにはおられない。本邦に和名として実在する二枚貝である。斧足綱異歯亜綱ツキガイ科ウメノハナガイ亜科 Pillucina属ウメノハナガイPillucina pisidium。殻長六・五ミリメートル、殻高六ミリメートル、殻径五ミリメートルの小型種。殻は球状で、やや堅固。殻表は白色又は淡黄色で、殻頂より腹縁へ分枝状の放射肋があるが、中央部が滑らかになっていることもある。殻内面も白色で、外套線は彎入せず、腹縁は細かく刻まれている。北海道南部から朝鮮半島南部に分布し、内湾の潮間帯の砂泥底に普通に見られる。但し、英文サイトの生物データサイトの採集箇所を調べてみると、フィリピンやニューギニアの西方の島で見つかっているから、南洋でも問題ない。ただ、名前の割に如何にも小さくえ地味な貝ではある(私は形状が好きだが)。グーグル画像検索「Pillucina pisidiumをリンクしておく。]

 二つの百合の

    花びらの、

 しつかにむねを

    はなれては、

 かたみを

    うみにのこすとも。

 ねみだれ髮を

    かゝぐとて、

 紅潮しゝ

    かほばせの、

 花なる君は

    かへらじな。

 土星(ほし)が省くてふ

[やぶちゃん注:「ほし」は「土星」二字へのルビ。]

    帶解きて、

 日の行く道を

    東より、

 西に橫ぎる

    天津風。

 千里の旅を

    夜もおちず、

 月のみ舟に

    うちのりて、

 きみがころもを

    なびけんに。

 海の香たかく

    星とびて、

 南にきゆる

    天の花、

 わがたましひの

    こゝちせむ。

 さすが少女の

    父をこひ、

 母を慕ひて

    あくるまで、

 舟になくとも

    潮けぶり。

 曉深く

    とざしこめ、

 かゞり火きゆる

    島陰の、

 しるしの椰子も

    見えざらむ。

 綾の袴も

    みだれずに、

 蟬の羽袖も

    やれずして、

 知らぬ浦曲に

    舟はてば。

[やぶちゃん注:「浦曲」は「うらわ」。海岸の湾曲した所。浦廻(うらみ)のこと。上代語で「み」とよむべき「廻」を旧訓で「わ」と誤って読んだために生じた語である。]

 玉の小筥の

    ひめごとを、

 知らぬをのこは

    おどろきて、

 龍のしろをや

    たづぬらむ。

 さもあらばあれ

    ひとみなの、

 なみだは海に

    ながれいで、

 安けき里に

    おくりなむ。

 いそべに立ちて

    手をあげよ、

 手はあぐれども

    八重の浪、

 舟の帆影は

    かくれたり。

 

 *  *  *  *  *

   *  *  *  *

 

[やぶちゃん注:明治三三(一九〇〇)年七月十五日内外出版協会刊になる河井酔茗編の『文庫』派のアンソロジー「詩美幽韻」の巻頭に配された伊良子清白の長詩(元の物語性を全く排除してしまった小唄風の蟹のパートが「大蟹小蟹」の標題で昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」に改題収録されているのは、これを読んでしまうと、何かひどく哀しい気持ちがしてくる)。

 なお、本詩篇に限っては、今までの底本である、二〇〇三年岩波書店刊平出隆編集「伊良子清白全集」第一巻をOCRで読み込んで、加工用データとしては使用させて貰ったものの、底本としては、「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」にある「詩美幽韻」原本の画像を視認して電子化した。表記は漢字字体や記号を含め、岩波版全集ではなく、原本に拠った(同じ底本のはずであるが、電子化して見ると、異なる箇所が複数あった)。但し、原本は画像を見て戴くと一目瞭然であるが、各パート間を空けずに、太字やポイント違いや字間空けを施す形を採っており、しかも二段組であるために、一部の行の頭の揃えが異なっていたりする。その辺りは岩波版全集を参考に補正を加えてある。また、一部に私のオリジナルな注を挟んでおいた。【2019年6月9日追記:注の一部を改稿した。】

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