和漢三才圖會卷第三十八 獸類 黒眚(しい) (幻獣)
しい
黒眚
震澤長語云大明成化十二年京師有物如狸如犬倐然
[やぶちゃん注:「大明」は原典では「太朋」であるが、流石に訂した。]
如風或傷人靣噬手足一夜數十發負黒氣來俗名黒眚
△按元祿十四年和州吉野郡山中有獸狀似狼而大高
四尺長五尺許有白黒赤皂彪班之數品尾如牛蒡根
鋭頭尖喙牙上下各二如鼠牙齒如牛齒眼竪脚太而
[やぶちゃん注:「喙」は「啄」であるが、おかしいので訂した。東洋文庫訳も「喙」とする。]
有蹼走速如飛所觸者傷人靣手足及喉遇之人俯倒
則不噬而去用銃弓不能射之用阱取得數十而止【俗呼
名志於宇】蓋黒眚之屬乎
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しい
黒眚
「震澤長語〔(しんたくちやうご)〕」に云はく、『大明の成化十二年[やぶちゃん注:一四七六年。]、京師[やぶちゃん注:当時の明の首都は既に南京から北京に移っている(遷都は一四二一年)。]〔に〕物有り、狸のごとく、犬のごとし。倐然〔(しゆくぜん)〕として[やぶちゃん注:忽ち。]、風のごとく〔來たりて〕、或いは人靣を傷(きずつ)け、手足を噬〔(か)〕む。一夜〔にして〕數十、發〔(おこ)〕る。黒〔き〕氣を負ふ。〔故に〕俗に「黒眚」と名づく』〔と〕。
△按ずるに、元祿十四年[やぶちゃん注:一七〇一年。]、和州吉野郡〔の〕山中〔に〕獸有り、狀〔(かたち)〕、狼に似て、大きく、高〔(た)〕け四尺、長さ五尺許り。白黒〔(びやくこく)〕・赤皂〔(あかぐろ)〕・彪班〔(ひようまだら)〕の數品〔(すひん)あり〕、尾、牛蒡〔(ごばう)の〕根のごとく、鋭き頭、尖れる喙〔(くちさき)〕、牙、上下各二つ〔ありて〕鼠の牙のごとく、齒は牛の齒ごとく、眼〔(まなこ)〕、竪〔(たて)〕にして、脚、太くして蹼(みづかき)有り。走-速(はし)ること飛ぶがごとく、觸るる所の者、人靣・手足及び喉〔(のど)〕を傷つくる。之れに遇ひ、人、俯〔(うつむ)〕き〔て〕倒〔(たふ)〕るれば、則ち、噬まずして去る。銃・弓を用ひて〔も〕之れを射ること能はず。阱(をとしあな[やぶちゃん注:ママ。]を用ひて、數十を取り得て、止む【俗に呼びて「志於宇〔(しおう)〕」と名づく。】。蓋し、黒眚の屬か。
[やぶちゃん注:幻獣。挿絵を見てもモデル動物も思い浮かばない。良安の附言に挙げるものは、ごく直近(本書は正徳二(一七一二)年頃成立であるから、僅か十年前の事件である)の出現と捕獲事例であって、それは明らかに実在する獣として述べられているのであるが、当該し得る動物も私には浮かばない(狼の特殊な毛色の個体群にしてもバラエティに富み過ぎていて実在感がない)。但し、私は一読、銃や弓で狙撃出来ない点(落とし穴で獲れるというのは除外する)、人の顔面・手足・頸部前面等を傷つける点、疾風のように敏捷である点から、
「鎌鼬(かまいたち)」
を第一に、次いで
「頽馬(だいば)」
を想起したことを述べておきたい。それぞれ、さんざん電子化したし、私の見解も語ってきた。まんず、概要なら、「柴田宵曲 續妖異博物館 鎌鼬」を読まれたく、続いて「想山著聞奇集 卷の貮 鎌鼬の事」を、また、後者については「想山著聞奇集 卷の壹 頽馬の事」を見られんことを強くお薦めしたい。但し、「鎌鼬」も「頽馬」も落とし穴で捕えることが出来る実在獣ではない。因みに、ウィキの「シイ(妖怪)」があるので以下に引用はしておくが、この内容は私にとっては(珍しく)散漫な印象で頗る不満足なものである。『シイ』(引用元には漢字で「青」及び、原文部分で字注として述べた、上が「生」で下が「月」の字を表示してあるが、後者は私の現在のブログでは文字化けして表示出来ない)『は、日本の妖怪。和歌山県、広島県、山口県、福岡県に伝わる。姿はイタチに似ており、牛や馬などを襲うという』。「日本国語大辞典」「広辞苑」の『記述によると、シイは筑紫国(福岡県)や周防国(山口県)などに伝わる怪獣で、その姿はイタチに似ており、夜になると』、『人家に侵入し』、『家畜の牛や馬を害する存在であるという』。江戸時代の本草書「大和本草」や本「和漢三才図会」、随筆「斎諧俗談」等には、『シイに「黒』(上記下線で説明した漢字)『」という漢字表記をあてている』。貝原益軒の「大和本草」の『解説によると、周防国(現・山口県)や筑紫国(現・福岡県)におり、やはり牛馬に害をなすもので、賢い上に素早いので』、『なかなか捕えることはできないとある』(「中村学園大学」公式サイト内の同大「図書館」の「貝原益軒アーカイブ」の「大和本草」の「巻之十六」(PDF)の十二コマ目から十三コマ目にかけて載る。良安と同じく完全に実在する害獣として記載しており、益軒は筑紫にも所々でこの獣がいると断言している(彼は生涯の殆どを福岡で過ごした)。しかし同時に近年までこの動物がいることを知らず、最近になって狩りするようになったと言っている、正直、「なにこれ?」って感じ。益軒は「養生訓」で有名だが、本草家としては杜撰が多く、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」は実はこの「大和本草」が誤りだらけであることに腹を立てた蘭山がそれを批判する目的をも以って作られたものである)。「斎諧俗談」では『奈良県吉野郡にいるものとされ、人間はこれに触れただけで顔、手足、喉まで傷つけられるとある』(「斎諧俗談」のそれは巻五に載るが、「和漢三才図会」の記載を順序を入れ替えて剽窃したものでしかない。同書は引用元を伏せてしばしばそうしたことをやらかす要注意の作品である)。『和歌山県有田郡廣村(現・広川町)や広島県山県郡では、シイを「ヤマアラシ」ともいって、毛を逆立てる姿を牛がたいへん恐れるので、牛を飼う者は牛に前進させる際に「後ろにシイがいるぞ」という意味で「シイシイ」と命令するのだという』。山口県『大津郡長門市では田で牛を使う際』、五月五日に『牛を使う、田植え時期に牛に牛具を付けたまま川を渡す、女に牛具を持たせる』五月五日から『八朔』(旧暦八月一日のこと)『までの間に』、『ほかの村の牛を率いれるといった行為がタブーとされており、これらを破ると』、『シイが憑いて牛を食い殺すといわれた』(この事例は私にはすこぶる「頽馬」との親和性がある内容と考えている)。福岡県『直方市にある福智山ダムには、地元に伝わるシイ(しいらく)の伝承を伝える石碑が建てられている』。『この』幻獣は、『本来は中国の伝承にある怪物の名であり、宋時代の書』「鉄囲山叢談」によると、その『一種として「黒漢」というものが』北宋の『宣和年間』(一一一九年~一一二五年)『の洛陽に現れ、人間のようだが』、『色は黒く、人を噛むことを好み、幼い子供をさらって食らい、その出現は戦乱や亡国の兆しとして恐れられていたとある』、また、明代の「粤西叢戴」では、『この類として「妖』(同前の字)『」というものが、夜になると』、『人家に侵入して女を犯し、時に星のごとく、黒気のごとく、火の屑のようにもなるとある』。『江戸期の書物にある』それ『は、日本の正体不明の怪物に』、『この中国の』その『名を』ただ『当てはめたに過ぎないとの説もある』とある。
「震澤長語〔(しんたくちやうご)〕」明の王鏊(おうごう)撰。東洋文庫の書名注によれば、『十三項目に分けて事物を考訂したもの』とある。中文サイトでやっと見つけた。上巻の以下。
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成化中。京師黑眚見、相傳若有物如狸或如犬、其行如風、倐忽無定、或傷人面、或嚙人手足。一夜數十發、或在城東、又在城西、又在南北、訛言相驚不已。一日上御奉天門、視朝、侍衛忽驚擾、兩班亦喧亂、上欲起、懷恩按之、頃之乃定。自是日、遣内豎出詗。汪直、時在遣中、數言事、由是得幸。遂立西廠、使偵外事廷臣、多被戮辱、漸及大臣、大學士。商輅兵部尚書項忠皆以事去都。御史牟俸亦被逮、或徃南京、或徃北邊、威權赫奕倐忽徃來不測人、以爲黑眚之應也。
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よく判らないが、ともかくも神出鬼没であることは取り敢えず判るわな。]