ユウ・ピイ・ウレフスカヤの記念のために ツルゲエネフ(生田春月訳)
ユウ・ピイ・ウレフスカヤの
記念のために
荒凉たる勃加利(ブルガリヤ)の村、急に野戰病院にされた傾きかゝつた小舍のあまり賴りにならぬ屋根の下、汚い濕つぽい惡い臭のする藁蒲團の上に、彼女は二週間の其上(そのうへ)も窒扶斯(チブス)で死んだまゝ橫たへられてゐた。
彼女は人事不省であつた、それに一人の醫者も彼女を見舞はなかつた。彼女が自分の動くことの出來る間看護してやつた病兵達が、代る代るその臭氣を放つ病床から起き上つて、こはれた土瓶の破片(かけら)に入れて水の數滴を彼女の乾いた脣に注ぎ込んだ。
彼女は若くて美しかつた。上流社會にもてはやされて、高位高官の人達すら心を寄せた。婦人達は彼女を嫉み、男子達はその機嫌を取つた……その中幾人かは心の底から彼女を愛してゐた。人生は彼女に微笑を見せた。然し世には淚よりも惡い微笑がある。
素直(すなほ)な優しい心……しかもかばかりの力、かばかりの献身! 助けを要する者を助けること……彼女はその外に幸福を知らなかつた……それを知らなかつた、決してそれを知らなかつた。その外のあらゆる幸福は彼女の傍を通り過ぎた。然し彼女は疾(と)くに心を決して、消し去る事の出來ない信仰の熱に燃えて、隣人のために身を献げたのだ。
いかなる不滅の寶が彼女の胸深く、その心の奧底に藏(かく)されてあつたか、誰一人知る人はなかつた。今ではもとより誰も知る人はないであらう。
あゝ、然しそれが何であらう? 彼女の犠牲は献げられた……彼女の事業は
完うされた。
然し彼女の遺骸(なきがら)にさへも誰一人感謝の言葉を俸げなかつたことを考へると傷(いたま)しい思ひがする、彼女自身はすべての感謝の言葉を恥ぢ斥けてはゐたけれども。
彼女が在天の靈よ、希(こひねがは)くは此の時を失したる花をその墓の上に置く私の大膽を許せ!
一八七八年九月
【ウレフスカヤ、一八七七年―七八年の露土戰爭中の出來事。健氣な露西亞の少女に對する讚美である。この篇は「その前夜」のエレナを思出[やぶちゃん注:「おもひだ」。]させる。】
[やぶちゃん注:生田の注記は余りに簡略に過ぎる。以下に私の一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」の注を含む注を引く(「〔は〕」は私が脱字と断じて補ったもの)。
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『ヴレーフスカヤ夫人をしのんで』 原稿には單に『ユ・ぺ・ヴェをしのんで』とあつて、發表の際にも遠慮して名は伏せられた儘であった。すなはちこの一篇は、男爵夫人ユリヤ・ペトローヴナ・ヴレーフスカヤ(J. P. Vrevskaja, 1841―1878)の思出に捧げられたもの。早く夫と死別した夫人は、一八七七年の夏折柄の露土戰爭に慈善看護婦を志願して戰地におもむき、翌七八年舊一月の末、ブルガリヤで病死した。トゥルゲーネフ〔は〕夫人と親しく、彼の氣持は次の手紙からも明らかである。――「お眼にかかってからといふもの、あなたが心から親しいお友達と思へてなりません。それに貴女と御一緒に暮したい氣持が、拂つても拂つても消えないのです。とは申せわたしのこの願ひは、思ひきつて貴女のお手を求めるほどに抑制のないものではありませんでしたし(さう、わたしももう若くはないし――)、その他にも色々なことが妨げになりました。そのうへ貴女が、フランス人の言ふ une passade(出來心)に心を許される方ではないことも、私はよくよく承知してゐましたから。」(一八七七年二月七日附)二人が最後に會つたのは、その年の夏にトゥルゲーネフが歸國した時で、すでに夫人が慈善看護婦を志願した後であつた。ちなみにこの作の日附も、從來四月と誤讀されてゐた。
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後の中山省三郎氏訳の註にも、『ツルゲーネフとは昵懇の間柄であつた。ツルゲーネフの郷里スパッスコエを訪れたり、互ひに文學を語つたりするほどであつた』とある。因みに、二人は、二十七歳違いで、この書簡の一八七七年当時で、ツルゲーネフは六十三、ヴレーフスカヤは三十六歳であった。な彼女の名前のロシア語表記は Юлия Петровна Вревская(ラテン文字転写:Yulia Petrovna Vrevskaya)で、カタカナ音写するなら、「ユリア・ペトローヴナ・ヴレフスカヤ であろう。グーグル画像検索「Юлия Петровна Вревская」をリンクさせておく。
「その前夜」一八六〇年に発表されたツルゲーネフの長編小説(原題:Накануне: Nakanune)。友人同士の二人の青年、彫刻家のシュービンと将来の大学教授ベルセーネフは、ともに金持ちの貴族令嬢エレーナ(Елена:Elena)を恋している。彼女も二人に好意をもっている。ある日、ベルセーネフがロシアの大学に学ぶブルガリア独立運動の志士である友人インサーロフを連れてくる。インサーロフを知るに及んで、エレーナは彼を自分の夫に選ぶ。日常的な家庭生活の幸福を捨て、敢えて茨の道を選んだのであった。ブルガリアへの帰国の途中、インサーロフはイタリアで病死するが、彼女は夫の遺志を継ぎ、亡夫の祖国に赴いて独立運動に身を投じる。エレーナは行動的・情熱的な、来たるべき時代のロシア女性の理想像として描かれている。題名は農奴解放(一八六一年)の「前夜」の意である(ここは主文を小学館「日本大百科全書」に拠った)。]
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