小蝶 伊良子暉造(伊良子清白の本名)
小 蝶
有明月の影きえて、
ほぼのあくる園のうち、
いづこにかげを休らへん、
董のとこも散りうせぬ。
垣根をつたふ小流の、
音も細りてたえだえに、
なり行くさまのさびしさよ。
おもへばかなし過ぎし夢、
花にうかれし其頃は、
溢るゝこびをうつたふる、
乙女のゑみもみしものを。
日影てりそふ前の園、
かすまぬ歌もきゝつるに、
今はそれさへよそにして。
友とむつみし唐猫も、
見すてゝ今はよりもこず。
やどゝ定めし野べの花、
散りてむかしのあともなし。
ときどきすぐるうなゐ子が、
蝶こよこよと招くのみ。
かなしきものぞおのがみは。
見渡すかぎりわかみどり、
おふるばかりに成にけり。
あれあれ見ゆるあの梢、
むかしとまりしあとなるを、
今はあだなる鳥のこゑ、
友よびかはしうたふなり。
うらやましきはよその空。
されどうらまじうらむとも、
かへらぬものをいかにせん、
榮花のゆめはいつしかに、
すぎゆくものといにしへの、
かしこき人ものたまひき。
めぐるははやし風ぐるま、
風にまかせてわれいなん。
朝日はいでぬいざいなん、
ふりにしあとはしたはじよ。
野べはにほひぬいざゆかん、
いかで榮華をうらむべき。
われをむかふる久方の、
天津御空の神にます、
ものあるべきやいざや人。
[やぶちゃん注:明治二七(一八九四)年三月『少年園』(日本最初の本格児童雑誌とされる雑誌。創刊は明治二一(一八八八)年)掲載。署名は本名の伊良子暉造。伊良子清白十七歳。年譜によれば、この発表の三月に京都の清浄華院(しょうじょうけいん:現在の京都市上京区にある浄土宗の寺。ここ(グーグル・マップ・データ))に独りで下宿を始め、翌月四月に私立医学予備校に入学している。]
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