太平百物語卷五 四十五 刑部屋敷ばけ物の事
○四十五 刑部(ぎやうぶ)屋敷ばけ物の事
但馬の國に化者屋敷ありと專ら沙汰して、此家(いへ)に住む人なかりしが、木戶(きど)刑部と云(いふ)浪人、此よしを聞(きゝ)、
「我、行(ゆき)て住(すま)ん。」
とて、主從二人、住けるが、如何樣(いかさま)、人のいふに違(たが)はず、每夜每夜、一時(いつとき)[やぶちゃん注:二時間。]斗(ばかり)づゝ、家内(かない)震動して、偏(ひとへ)に大地震のごとし。
刑部、心は武(たけ)しといへ共、其正体を見屆(みとゞけ)ざれば、力なく日を送りけるに、或夜、刑部が常に尊(たうと)みける智仙といふ僧、訪(とふら)ひ來(きた)られける。
此僧は、道德、目出度(めでたき)人なりしかば、刑部、幸(さいはひ)と悅び、「しかじか」のよしを語る。
智仙、聞玉ひて、
「いか樣、不審(いぶか)しき事にて侍る。我、今宵、此所に滯留して、樣子を見るべし。」
とて、一宿し玉ひけるが、每(いつも)の刻限にもなりしかば、刑部がいふに違はず、震動する事、冷(すさま)じかりし。
智仙、つくづくこゝろを付て見給ふに、座(ざ)しゐられし所の疊、うねりしかば、其[やぶちゃん注:「その」。]高く疊の上(あが)る所を、
「じつ。」
と、おさへ玉ふに、さしも、今迄、騷(さはが)しかりしも、忽ち、治まりたり。
時に智仙、小刀(こがたな)をとりて、疊をさし、刑部にむかひ、仰(おほせ)けるは、
「今宵は、はや、動くまじ。夜明(よあけ)てこそ樣子を正(たゞ)し玉へ。」
とて、其夜の明(あく)るを待ち、翌(あけ)の日、刑部、家來と共に、疊を上(あげ)、床(ゆか)の下を搜しみれば、數年(すねん)を經たる古墳(ふるづか)あり。
洗ひてみれば、
『刄熊靑眼㚑位(じんゆうせいげんれいゐ』
といふ文字、幽(かすか)にありて、「眼」の字より、新(あらた)なる血、こぼれ居(ゐ)たり。
『扨は。夜前(やぜん)、智仙ひじりの小刀をさし玉ひける跡にや。』
と、刑部も奇異の思ひをなし、所に久しき百姓を招きて、此事を語るに、此者のいはく、
「むかし、此所に外記(げき)といへる人、住(すむ)で、人の爲に熊(くま)を、生(いき)ながら、血をしぼり取、殺しけるが、後難(こうなん)を恐れて、骸(なきがら)を土中(どちう[やぶちゃん注:ママ。])にうづみ、私(ひそか)に墳(つか)を築き吊(とぶ)らはれしに、猶も、其恨み、はれやらず、終に、外記を取殺(とりころ)しぬ。されば、其執心、此屋敷に留(とゞま)りて、夜な夜な、出(いづ)るといひ傳へしより、人、恐れて住(すま)ざりしが、ちか比(ごろ)、御身、住給ひしに、げにも。噂に、違ひ侍らず。」
と、委(くはし)く語れば、智仙、始終を聞玉ひ、
『不便(ふびん)の事。』
に、おぼして、則(すなはち)、二夜(や)三(さん)日が間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])、外記と熊の遠忌(ゑんき)を吊らはれければ、其後は、家鳴(やなり)・震動もやみて、何の事もなかりければ、此屋敷、永く、刑部が有(う)となりにけり。
[やぶちゃん注:「但馬の國」現在の兵庫県北部。
「遠忌」通常は「をんき(おんき)」没後に長い期間を経て行われる年忌。五十年忌以降の法会供養を指す。
「有(う)」所有。持ち分。]
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