明月 伊良子暉造(伊良子清白)
明 月
内日刺(うちびさす)、花の都(みやこ)のたか殿(どの)に、うま酒(さけ)のみて、絲(いと)聞(きゝ)て、秋(あき)の長夜(よなが)をよもすがら、浮(うか)るゝ人も、日(ひ)のもとの御國(みくに)のみ民。眞萩散(まはぎちる)、花野(はなの)の露(つゆ)にぬれぬれて、筒(つゝ)とり持(もち)て、太刀(たち)帶(はき)て、秋(あき)の長夜(ながよ)をよもすがら、守(まも)れる人も、日のもとの御國(みくに)のみたみ。
かくばかり、へだてある世(よ)をへだてなく、うかるゝ人も、守(まも)れるも、ひとつに照(て)らす、秋(あき)の夜(よ)の月の心(こゝろ)やいかならむ。
[やぶちゃん注:明治二七(一八九四)年十二月六日発行の『國民新聞』掲載。署名は本名の伊良子暉造。日清戦争中であることを考えれば、まず、外地で守備兵として徹宵歩哨する日本兵へを想起した慰問詩であろうが、一種の歴史詠の現代風今様として読んでも別段悪くはない。こうした散文形式は伊良子清白の詩篇では異色。「筒」は小銃。当時の陸軍の主力はボルト・アクションの村田単発銃。なお、本篇が底本の「未収録詩篇」の明治二十七年(伊良子清白満十七歳)のパートの最後である。]