醉茗ぬしに贈る 伊良子暉造(伊良子清白)
醉茗ぬしに贈る
磯打つ浪も靜かにて、
光長閑き春の日に、
君が菴を訪ひ來れば、
門邊の柳ふしなびき、
まねく姿ぞなつかしき。
茅渟の浦曲をそこはつと、
こゝやかしこの名所に、
昔のあとを尋ねつゝ、
ふみゆくまゝに打とけて、
語らふ夜半の樂しさよ。
君と一目は見つれども、
十年の友の心地して、
さながら明す眞心を、
誰にか見せむ梅の花、
色をも香をも君ぞ知る。
橋のやなぎの打そよぎ、
糸にひかるゝたび衣、
顧盻(かへりみ)がちにとめくれば、
君の姿も見えなくに、
へだつ霞ぞうらみなる。
[やぶちゃん注:明治二八(一八九五)年六月の『少年文庫』掲載。署名は本名の伊良子暉造。「淸きながれ」で注したように、伊良子清白が初めて大阪府堺市北旅籠町に住んでいた河井酔茗を訪問したのは、実にこの年の五月のことで、これはその忘れ難き邂逅へのオードである。
「茅渟」「ちぬ」。「茅渟の海」は「古事記」に既に登場する古語で、和泉・淡路の両国の間の海の古名。則ち、現在の大阪湾一帯を指す。当時、酔茗のいた堺市北旅籠町はこの附近(グーグル・マップ・データ)。
「浦曲」「うらわ」或いは「うらま」で海岸の湾曲した所。「うらま」という読みは「万葉集」で「うらみ(浦囘)」を表記した万葉仮名「宇良未」の「未」が後世になって「末」と誤写され、それを「うらま」と訓じてしまって生じた読みであるから、「うらみ」がよい。
「そこはつと」不詳。しかし、これは後の続きから見て、副詞の「あれやこれやと」の意の「そこはかと」の誤字・誤植ではなかろうか。
「顧盻(かへりみ)」音「コケイ」でこれは、「顧眄」(こべん・こめん)と同じで(「盻」は「振り返る」、「眄」「見回す」の意)、振り返って見ることを謂う。]