太平百物語卷五 四十四 或る侍猫またを切りし事
○四十四 或る侍猫またを切りし事
或侍【ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]ありて其名をしるさず。】朋友の方へ夜會(やぐはい[やぶちゃん注:ママ。])にゆかれけるに、樣々武邊の咄(はな)しをして後(のち)、厠にゆかれけるが、出(いで)んとするに、四方、皆、壁となりて、出口、なし。
『こはいかに。』
と思ひ、空を、
「きつ。」
と見るに、眼(まなこ)の光り、水晶のごとくなる者、此侍の頭(かうべ)を、
「しか。」
と、とらへて、虛空に上(あが)りぬ。
されども、此侍、したゝか者にて、頓(やが)て、刀をぬき放し、
「はた。」
と、切付(きりつけ)たりければ、其儘、地にぞ落(おち)たり。
あるじを始め、ありあふ人々、此音に驚き、出(いで)てみれば、侍、既に絕入(ぜつじゆ)しゐたりければ、急ぎ、顏に水を濯(そゝ)ぎて、呼起(よびおこ)しけるに、やうやう人心地つけば、
「いかゞし給ひける。」
と尋ぬるに、「しかじか」のよしをかたり、打(うち)もらしける事を無念がれば、人々、其邊(そのあたり)をうかゞひみるに、おほく、血(ち)、ながれたり。
「扨は。」
と、是を慕ひ求むれば、床(ゆか)の下に、血(のり)を引けり。
頓て、床をこぢ放し搜しみるに、となり屋敷に久しく飼置(かひおかれ)たる古猫(ふるねこ)なり。
「扨こそ。此(この)『猫また』が所爲(しよゐ)。」
とぞ、人々、申合(あひ)けるとぞ。
[やぶちゃん注:【 】は底本では二行割注。本文同ポイントで挿入した。挿絵は例の通り、国書刊行会「江戸文庫」版(国立国会図書館蔵本)を用いたが、この絵には猫又をひしぎ込んだ侍の上部の庭の部分に、
おのれ
生ては
おか■
物を
(三行目は「おかす」(おかず)か「おかさぬ」の「ぬ」の脱字か? 「■」は「ミ」(み)のようにしか見えず、上手く判読出来ない。識者の御教授を乞う)という、侍のオリジナルな台詞(本文にはない)があるのであるが、「底本の「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の原板本の当該挿絵には、これはなく、空白である。再版で後から追刻したものか、或いは、旧蔵の持ち主が書き入れたものかは定かでない。
既に「太平百物語卷四 卅二 松浦正太夫猫また問答の事」に「猫また」が出たが、余りにオーソドックスなので、つい注を忘れた。というより、猫又或いは猫の妖異や奇談については、私のブログでは無数に電子化注しているため、私の意識の中では猫の変化(へんげ)は余りに親し過ぎて注を必要としない状態なのである。ここでは改めて、総合的に纏まった注がしっかり出来ていると自身でも思い、話柄としてもよく結構されてある、「想山著聞奇集 卷の五 猫俣、老婆に化居たる事」及び「宿直草卷四 第一 ねこまたといふ事」の二例を挙げて、不親切のお詫びとしておく。]
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