太平百物語卷二 二十 本行院(ほんぎやうゐん)の猫女にばけし事
○二十 本行院(ほんぎやうゐん)の猫女にばけし事
洛中に本行院とて日蓮宗あり。
或日、旦那川口甚平(かはくちぢんへい)といふ者、廟參(びやうさん)しけるが、常々、上人としたしかりければ、方丈に通りけるに、折節、上人は他行(たぎやう)にて弟子も見へねば、そこら見廻しけるに、六十斗(ばかり)なる老女、出(いで)て、
「しばらく御待ち候へ。上人、もはや、歸り玉ひなん。」
といふほどに、
「さらば。」
とて、次の間に通りて、しばらく休息しゐけるに、唐紙(からかみ)の一重(ひとへ)あなたに、人のおほく立吟(たちさまよ)ふ体(てい)の聞へしまゝ[やぶちゃん注:ママ。]、甚平、そと、のぞきみれば、若き女、三人、打まじり居(ゐ)たり。
甚平、大きにあきれておもふやう、
『上人は、日比(ひごろ)、佛(ぶつ)ぼさつのやうに沙汰し、われもふかく尊(たうと)みおもひしに、案に違(たが)ひし事哉(かな)。今は、かゝる人に逢(あひ)ても、詮なし。』
とおもひ、立ち歸らんと思ふ所に、上人、歸寺(きじ)ありて、甚平を見給ひ、
「是れは、能う[やぶちゃん注:「よう」。]問(とは)せ給ふ。まづ、是へ御入候へ。」
とて、甚平をいざなひ、彼の女共(ども)が遊び居ける所の唐紙、おしあけ、
「いざ、此方(こなた)へ。」
との給ふに、甚平、あやしみながら、座に付けば、爐(ろ)[やぶちゃん注:火鉢。]のほとりに、猫三疋、うづくまり居(ゐ)しが、上人を見て、裾(すそ)にもつれ、よろこびぬ。
上人、可愛がりて、小僧をまねきて、物、くはせらる。
甚平、此体(てい)をつくづく見て、
『扨は。此猫共が女に化(ばけ)たるならん。』
と、おそろしく思ひければ、上人の耳に口をよせ、有(あり)し次第をかたるに、上人も始(はじめ)て驚きたまひ、やがて、三疋の猫を傍(そば)近く呼寄(よびよせ)、仰(おほせ)けるは、
「汝等、今日(こんにち)、姿を女人(によにん)に化(ばけ)し事を知る。此ゆへに[やぶちゃん注:ママ。]、只今、いとまをとらする也(なり)。はやはや、寺を立去(たちさる)べし。」
と、にがにがしく宣へば、此猫ども、甚平が告(つげ)し事を悟り、ふかく恨(うら)むる氣色(けしき)にて、甚平をにらみ付、いづちともなく、失せにける。
甚平は、夫(それ)より、彼(かの)猫どもが俤(おもかげ)、身にそひて、何となくいと苦しかりけるが、それよりして、ぶらぶらと煩ひ出だし、心力(しんりよく)甚(はなはだ)つかれて、終に、程なく、死(しし)けり。
「これ、偏(ひとへ)に此猫が執心なりける。」
とて、皆(みな)人、おそれ合(あひ)けるとかや。
[やぶちゃん注:「本行院」現在の京都府京都市左京区新高倉通孫橋上る法皇寺町に現存(グーグル・マップ・データ)する。同院は同所の日蓮本宗(現在)の本山多宝富士山要法寺(ようぼうじ)の境内内寺院。要法寺の開基は日尊。彼は延慶元(一三〇八)年に諸国を遍歴し、京都山城で法華堂を建てたのを創始とし、天文一九(一五五〇)年に日辰が上行院と住本寺を統合して要法寺が建立された。日蓮本宗では、宗祖日蓮・二祖日興・三祖日目とし、日尊が第四代とする。市街地の中に一万三千五百平方メートルもの境内を所有し、歴史ある建築が並ぶ、とウィキの「要法寺」にあった。]
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