太平百物語卷四 卅十五 三郞兵衞が先妻ゆうれいとなり來たりし事
○卅十五 三郞兵衞が先妻ゆうれいとなり來たりし事
河内の國に三郞兵衞とて、家、冨(とみ)さかへたる百姓あり。夫婦(ふうふ)の中もむつまじく、心豐かにくらしけるに、此女房、風の心地と煩ひ出(いだ)し、次第次第に重くなり、既に危(あやう[やぶちゃん注:ママ。])かりければ、三郞兵衞、かぎりなくかなしみ、枕下(まくらもと)に寄(より)て、口說きけるは、
「御身、若(も)し世を、はやふし玉はゞ、一人の幼子(やうじ/いときなき[やぶちゃん注:後者左ルビはママ。])、たれありて、養育せん。然(しか)れば、いかなる所へも遺(つかは)し、我は髻(もとゞり)を切(きり)て、世を遁(のが)れん。」
とぞ、かこちける[やぶちゃん注:「託ちける」で「嘆き訴えた」の意。]。
女房、苦しき床(ゆか)の上に、目をほそぼそと開き、三郞兵衞が顏を、つくづぐうち守り、
「実(げに)や。うき世の習ひながら、假初(かりそめ)にやまふ[やぶちゃん注:ママ。]の床にふし、御身に先達(さきだち)まいらする事の淺ましさよ。去(さり)ながら、愛別離苦の理(ことはり[やぶちゃん注:ママ。])は、知識(ちしき)の御身にも遁(のが)れ玉はぬと聞(きく)なれば、必ず、なげかせ玉ふなよ。我を不便(びん)と思召(おぼしめさ)ば、其御心を改め給ひ、後(のち)の妻を御入(いれ)ありて、跡に殘りしうなひごを守立(もりたて)、此家を續きさしめたび給へ。穴(あな)かしこ、忘(わすれ)させ玉ふな。」
と、是れを此世の限りにて、朝(あした)の霜と消(きへ[やぶちゃん注:ママ。])うせり。
三郞兵衞は、妻が遺言の不便さに、取分(とりわき)、一子をいたはり育(そだて)けるが、其年も、いつしか暮(くれ)て、明(あけ)の年にもなりければ、一家(け)の人々、打寄(うちより)、とかく、後妻をすゝめける。
三郞兵衞も、始めのほどは承引もせざりしが、
『一子の爲。』
と思ふより、ぜひなく、後妻を定めける。
扨、吉日を擇(ゑら)み、一家(いつけ)の人々、打集(あつま)り、祝言(しうげん)の儀式を取り行ひけるが、三郞兵衞、
「用事をかなへん。」
と緣に出で、扨、内に入(いら)んとせし時、ふと、軒の方を見やれば、死失(しにうせ)たりし女房、窓の透間(すきま)より、座敷の体(てい)を、ながめ、ゐける。
三郞兵衞、大きに驚き、思ふ樣、
『扨は。先妻、未(いまだ)成仏をなさで、中有(ちうう[やぶちゃん注:ママ。])に迷ひけるかや。末期(まつご)に後妻を入れよと勸(すゝめ)しを、誠の心ぞとおもひの外(ほか)、嫉妬の一念、はなれやらず、今宵の祝言をねたみ來たりし淺ましさよ。』
と思ひながら、さあらぬ体(てい)にて内に入しを、先妻のゆうれひ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、これを夢にも、しらず。
さて、ことぶき[やぶちゃん注:祝言の本式。]も濟(すみ)て、皆々、私宅(したく)に歸れば、三郞兵衞も、後妻もろ共、ふしどに入て、私(ひそか)に後妻に語りけるは、
「我、此度、おことをむかへし事、先妻がわすれ記念(がたみ)の一子、いはけなければ、御身を賴み參らせんと、かくは招き侍りぬ。是、わが心ばかりにもあらず、先妻、すでに遺言せり。然るに、今宵、御身と夫婦の語らひをなす事、眞実(しんじつ)は亡妻(ぼうさい[やぶちゃん注:ママ。])、恨みおもふやらん、宵より、外緣(そとゑん)に彳(たゝずみ)て、此座敷を見入(いれ)しを、我、慥(たし)かに、見屆けたり。然れば、御身の爲(ため)も、よろしからず。御痛(いた)はしく侍(さぶら)へども、今宵、すぐに御いとまを參らするなり。此事、穴(あな)かしこ、人に語り給ふな。」
と、泪(なみだ)にくれて申しければ、此女も三郞兵衞が餘儀なき物語に、いひ出(いだ)すべき言葉なく、さしうつぶひてゐたりしが、俄に氣色(けしき)かはりて、
「のふ[やぶちゃん注:ママ。]、いかに、三郞兵衞殿、只今の御言葉こそ、かぎりなく恨(うらめ)しけれ。我等、末期に申せしごとく、『後妻をはやく入れ給へかし』と、おもふ日數も移り行く。御心ざしは有難きに似たれども、一子が母のなき事をおもへば、悲しくさふらひて、うかびもやらず、夜每(よごと)には、此座敷の緣先まで愛子(いと)が安否を窺ひ來(く)る。然るに、今宵、後妻を迎へ玉ふ有りさま見參らせ、心の内の嬉しさ、なかなか、言葉に盡されず。もはや、此世のおもひ、はれ、速(すみやか)に成佛せん事、うたがひなし。何しに、嫉妬の心を懷き申べき。必(かならず)しも、此女性(によしやう)と夫婦になり、愛子(いと)を守立(まもりたて)たまふべし。わが爲には、月每(つきごと)の忌日(きにち)をとひてたび給へ。さらば、さらば。」
と、いふかとおもへば、後妻は、かしこに倒れふす。
三郞兵衞は隨喜の泪にくれけるが、臥(ふし)たる女を呼(よび)おこし、有りし次第を語り聞(きか)せ、先妻が願ひに任せ、再び夫婦の酒、酌(くみ)かはしけるに、後妻の心、貞節にて、繼子(まゝこ)を、能く[やぶちゃん注:「よく」。]いたはり、育(そだて)けるほどに、其後は、亡妻がゆうれひも、きたらず、一子も、年經て、成長しければ、跡式(あとしき)を讓り与へ、わが身は、後妻諸共に隱居し、目出度く、世をぞ辞しけるとかや。
[やぶちゃん注:「河内の國」現在の大阪府の東部。
「はやふし玉はゞ」この「はやふし」はママだが、「早くす」の連用形の「早うす」の転訛表現であろう。「早々に去る」で「死ぬ」の忌み言葉として用いていると私はとる。「はや/ふす」で「早臥す」「早伏す」、同じく「早々に死ぬ」の忌み言葉とも考えたが、「伏す・臥す」にそうした「死ぬ」の一般的な換語用法を見出し得なかった。
「かこちける」「託ちける」で「嘆き訴えた」の意。
「知識(ちしき)」仏道に教え導く優れた導師たる名僧を指す。
「用事をかなへん」厠へ行ったのである。
「中有(ちうう)」既出既注。
「いはけなければ」「幼(稚)け無し」は年端がゆかず、頼りない感じの意。
「今宵、すぐに御いとまを參らするなり」初夜の晩にこのような異常な理由から、彼女に非常に悪いが、一方的に離縁を申し渡すこととなったため、「參らす」という「やる」の謙譲語を用いて異例に表現しているのである。
「のふ」正しくは「なう」或いはそれの発音通りを表記した「のう」。感動詞で感嘆の声を示す語。「ああっ!」。
「いかに」感動詞で呼びかけの語。「もしもし!」。
「うかびもやらず」成仏することも叶わず。
「愛子(いと)」愛児の意の「愛(いと)し子(ご)」の約。広くは後に専ら「お嬢さん」の意で用いる、主に大坂言葉と認識されている「いとさん」「いとはん」(但し、後者の使用は明治以降であり、古くは男の子にも用いた)の原型であろう。寛政年間(一七八九年~一八〇一年まで)の並木五瓶一世・並木正三二世合作の「色盛八丈鏡(いろざかりはちじょうかがみ)」に使用例がある(一九八四年講談社学術文庫刊の牧村史陽編「大阪ことば事典」に拠る)が、本書は大坂心斎橋の書林河内屋宇兵衛を版元とする享保一七(一七三三)年の新刊であるから、それより五十年以上も前に、既にこの「愛児」の意味の「いと」はあったことが判る。
「必(かならず)しも」「しも」は副助詞で、ここは単に特にその事柄を強調するために附したもの。
「跡式(あとしき)」「後職(あとしき)」。先代の家督・財産を相続すること、又は、その家督や財産。「跡目(あとめ)」に同じ。鎌倉時代以後に生まれた語である。]