和漢三才図会巻第三十九 鼠類 水鼠(みづねずみ) (ミズネズミ)
みつねすみ ※【音沉】
水鼠
[やぶちゃん注:「※」=「鼠」+(「沉」-「氵」)。]
本綱水鼠似鼠而小食菱芡魚蝦或云小魚小蟹所化也
△按?水鼠也有溪澗狀小色稍白或灰黃赤斑而善走
水食水草魚蝦
著聞集云安貞比豫州矢野保浦有島名黒島離人家凡
一里許有漁人名桂硲大工一日網數百匹之鼠而鼠皆迯
失焉平日彼島鼠多而食瓜菜故無敢作圃是海中之鼠
所爲矣一異也
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氷鼠 東方朔云生北荒積氷下皮毛甚柔可爲席臥之
却寒食之已熱
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みづねずみ ※【音「沉〔(チン)〕」。】
水鼠
[やぶちゃん注:「※」=「鼠」+(「沉」-「氵」)。]
「本綱」、水鼠は鼠に似て、小さく、菱・芡(みづふき)・魚・蝦〔(えび)〕を食ふ。或いは云はく、小魚・小蟹の化する所なり〔と〕。
△按ずるに、※は水鼠なり。溪澗〔(けいかん)〕[やぶちゃん注:渓谷。谷川。]に有り。狀、小さく、色、稍〔(やや)〕白或いは灰黃〔に〕赤斑して、善く水を走る。水草・魚・蝦を食ふ。
「著聞集」に云はく、『安貞の比〔(ころ)〕[やぶちゃん注:一二二八年~一二二九年。鎌倉幕府第三代執権北条泰時の治世。]、豫州矢野保の浦に、島、有り。黒島と名づく。人家を離るること、凡そ一里許り。漁人、有り。「桂硲(〔かつら〕だに)の大工」と名づく。一日〔(あるひ)〕、數百匹の鼠、網〔(あみ)するも〕、鼠、皆、迯〔(に)げ〕失〔せたり〕。平日〔より〕彼〔の〕島に〔は〕鼠、多くして、瓜・菜を食ふ故、敢へて圃(はたけ)を作ること無〔けれど〕、是れ、海中の鼠の所爲〔(しよゐ)〕か。一〔つの〕異なり』〔と〕。
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氷鼠〔(こほりねずみ)〕 東方朔〔(とうばうさく)〕が云はく、『北荒〔(ほくくわう)〕の積氷の下に生ず。皮毛、甚だ柔かなり。席〔(むしろ)〕と爲すべし。之れに臥して、却つて寒〔く〕、之れを食ひて、熱を已(や)む。
[やぶちゃん注:「水鼠」はちゃんと実在し、和名もそのままである。齧歯(ネズミ)目Rodentia の中でも、多くのものが水生に適応しているネズミ科ネズミ科ミズネズミ亜科 Hydromyinae のに属するミズネズミ類で、実に十三属約二十種からなる。オーストラリア・ニューギニア・フィリピンに分布し、体の大きさは変異に富み、体長八~三十五センチメートル、尾長は八~三十五センチメートル、体重は十七グラムから一キロ三百グラムと幅広い。臼歯は単純で鉢形を呈し、上下顎(じようかがく)の第三臼歯はないか或いは痕跡的である。水生に特化した種では後足に蹼(みずかき)が発達している(ここまでは平凡社「世界大百科事典」に拠った)。中でも代表的な種はミズネズミ属オオミズネズミ Hydromys chrysogaster(オーストラリアミズネズミ・ビーバーネズミの別称もある)で、オーストラリア東部・タスマニア及びニューギニアに分布している。ウィキの「オオミズネズミ」によれば、頭胴長二十九~三十九センチメートル、尾長二十三~三十五センチメートル、体重六十五グラムから一キロ二十五グラムにも達する。『幅が広く水かきの発達した後脚、灰色がかった褐色の毛皮、豊かな頬ヒゲ、先端が白い太く黒味がかった尾を持つ。 耳は普通のネズミに比べ、体の割に小さめ』である。『住環境として常に水が豊富にある地域を必要とし、それも完全に手付かずの環境より、ある程度』、『人間の手が入った環境を特に好む』。『巧みに泳ぐ事が出来、その様子から時折』、『カモノハシ』(哺乳綱原獣亜綱単孔目カモノハシ科カモノハシ属カモノハシ Ornithorhynchus anatinus)『と誤認される事がある』。『食性は肉食。主に淡水性の巻貝や小魚、時にカエル、カメ、水鳥やハツカネズミ、コウモリを捕食する。カラスガイ』(斧足(二枚貝)綱古異歯亜綱イシガイ目イシガイ超科イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイ属カラスガイ Cristaria plicata 或いは同属)『などは捕まえた後、陽だまりの岩の上に置いて、太陽光による熱射で殻が開き、中身が取り出しやすくなるのを待つ習性がある』とある。英文ウィキの同種の画像をリンクさせておく。オーストラリアでは「Rakali」(「ラカリ」か)と呼ばれている。但し、本邦には棲息しないので、良安が行っているのは単なるドブネズミ(齧歯目リス亜目ネズミ下目ネズミ上科ネズミ科クマネズミ属ドブネズミ Rattus norvegicus)以外の何者でもない。ドブネズミは下水の周りや河川・海岸・湖畔・湿地など、湿った環境を好む。水中に飛び込んで巧みに泳ぐことも出来る(但し、通常は人家から遠く離れた場所ではあまり見られない)。
「菱」双子葉植物綱フトモモ目ミソハギ科ヒシ属ヒシ Trapa japonica。
「芡(みづふき)」「水蕗」でスイレン目スイレン科オニバス(鬼蓮)属オニバス Euryale ferox の異名。一属一種。ウィキの「オニバス」によれば、『アジア原産で、現在ではアジア東部とインドに見られる。日本では本州、四国、九州の湖沼や河川に生息していたが、環境改変にともなう減少が著し』く、『かつて宮城県が日本での北限だったが』、『絶滅してしまい、現在では新潟県新潟市が北限となっている』。なお、私たちが小さなころから写真で見慣れた、子供が乗っている巨大な蓮は、スイレン目スイレン科オオオニバス(大鬼蓮)属オオオニバス Victoria amazonica で、和名は酷似するが、別種である。
「小魚・小蟹の化する所なり」あちゃあ、時珍先生、やらかっしゃいましたねぇ。
「著聞集」鎌倉時代に伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集「古今著聞集」の別名。以下は最終巻である「巻第二十 魚虫禽獣」の中の「伊豫國矢野保の黑島の鼠、海底に巢喰ふ事」であるが、かなり端折って、自分勝手に纏めてしまった引用である。私は既に「諸國里人談卷之五 黑嶋鼠」で詳細な電子化注をしているので、総てはそちらを参照されたい。
「桂硲(〔かつら〕だに)の大工」う~ん、「古今著聞集」原典では「かつらはざまの大工」なんですけど、良安先生? 上記リンク先でも注しおいたが、新潮日本古典集成の「古今著聞集 下」(昭和六一(一九八六)年刊/西尾・小林校注)の頭注によれば、『島内に住み、大工を兼業していた漁師か。伝未詳』とある。
「是れ、海中の鼠の所爲〔(しよゐ)〕か」上記リンク先の原文にある最後の箇所、『すべて、かの島には、鼠、みちみちて、畠のものなどをも、みな、くひ失しなひて、當時までもえつくり得侍らぬとかや。陸(くが)にこそあらめ、海の底まで鼠の侍らん事、まことにふしぎにこそ侍れ』であるが、言い方がちゃんとした纏めになっていない。「陸にこそ鼠はいるというのは普通のことであるけれども、まさか、海にまで鼠がおるなどと申すことは、これ、まっこと、不思議なことで御座るのじゃて」である。
「氷鼠〔(こほりねずみ)〕」「氷鼠」の標題が大きくもなく、そのまま本文に続いているのはママ。特異点ではある(或いは良安はこの存在を疑問視した可能性もあるか)。以下の「積氷の下」というのを北の氷山のある海域と採り、皮が敷皮となるとするなら、食肉目イタチ科カワウソ亜科ラッコ属ラッコ Enhydra lutris かなぁと私は無責任に夢想するのだが、しかし、「獵虎」(海獺)は既に「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獵虎(らつこ)(ラッコ)」で独立項だし、思うに、宮澤賢治に「氷河鼠(ひょうがねずみ)の毛皮」という童話があり(リンク先は「青空文庫」のそれ)、例の仮想のベーリング行の列車に乗ってイーハトヴを出発した人々の話である。賢治は「銀河鉄道の夜」でラッコを登場させているから、「氷河鼠」はラッコではあり得ないということだ。賢治はラッコを「氷鼠」なんて言わない。だから、ラッコじゃないと言える。……何、笑ってんの?……賢治はあんたより遙かに科学者なんだよ?……そんじゃさ! 因みに、実は「氷鼠」の和名異名を持つ生物が現存するんだけど、知ってた? あんた? 齧歯目ヤマネ科ヤマネ属ヤマネ Glirulus japonicus だよ! こりゃ、私も雪山で逢ったことがあるけれど、これもまた、納得の和名じゃあねえか! それにこれなら、「積氷」を「積もった雪」に読み換えるなら、候補としてもいいじゃないか! だははは! しかし、北方種で毛皮が採取出来るとなると、他の候補も挙げられそうだ。例えば、齧歯目ネズミ科ハタネズミ亜科マスクラット属マスクラット Ondatra zibethicus(アメリカ合衆国・カナダに自然分布。ヨーロッパ・ロシア・日本等に人為移入)や、齧歯目ヤマアラシ亜目テンジクネズミ上科ヌートリア科ヌートリア属ヌートリア Myocastor coypus がいるな(南アメリカを原産地とするが、毛皮を取るために人為移入したものが野生化して北アメリカ・ヨーロッパ・日本を含むアジアに分布)。しかしだ、マスクラットやヌートリアは明代の中国にはおらんし、その周縁にもおらんのや! されば、彼らは退場やて! というわけで、私は「氷鼠」は架空の「鼠」と結論づけたい。大方の御叱正を俟つ、がね。
「東方朔〔(とうばうさく)〕」(紀元前一五四頃~紀元前九二頃)は前漢の文人。字(あざな)は曼倩(まんせん)。平原厭次(現在の山東省恵民県)の人。諧謔・風刺の才に優れたことから、武帝に寵愛されたものの、政治的信頼は得られなかった。西王母の仙桃を盗んで食べ、仙人となって八千年の長寿を得たなど、数々の神仙的逸話で知られる。
「北荒〔(ほくくわう)〕」中国の国境外の未開地。
「積氷」ツンドラか流氷か。
「席〔(むしろ)〕」敷物。
「之れに臥して、却つて寒〔く〕、之れを食ひて、熱を已(や)む」まあ、「氷鼠」だからね……。]