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2019/05/16

熱血餘韻 伊良子(伊良子清白)

 

熱血餘韻

 

凱旋門とは、

何事ぞ。

戰勝會とは、

なに事ぞ。

凱旋あげて、

謳ふべき、

時は來らず、

國民よ。

凱旋あげて、

謳ふべき、

時は來るらむ、

言はずとも。

今日しも謳ふ、

その歌よ、

今年も暮れて、

また暮れて、

また來む春は、

その歌も、

いかなる歌に、

かはるらむ。

うれしかるらむ、

今日の日は、

しかはあれども、

國民よ。

うれしき事は、

なかなかこ、

悲しき事と、

知らざるか。

遼東千里、

武夫の、

かばねはいかに、

朽つるらむ。

勃海灣外、

ますらをが、

功績はいかに、

のこるらむ。

山川草木、

かはらねど、

かはりしものは、

世のさまよ。

かはりし樣は、

誰がためぞ。

いつか忘れむ、

忘るべき。

恨ぞのこる、

あるたい山、

黑龍江を、

さかのぼり、

しべりやかけて、

ひたぜめに、

攻めて進まむ、

遠くとも。

花さきにほふ、

その春も、

秋と荒さむ、

時のまに、

敵の城樓に、

朝日子の、

御旗をたてゝ、

その下に、

まこと謳はむ、

凱旋を。

まこと祝はむ、

戰勝を。

死ぬも生くるも、

國のため、

よしや死ぬとも、

益荒雄が、

千度百度、

いきかはり、

護國の鬼と、

あらはれて、

雨に嵐に、

荒浪に、

碎きて見せむ、

敵の城。

刀はよしや、

持ずとも、

こゝろの劔、

とぎすまし、

日本をのこと、

知らざるか。

枕を蹴て、

おきたてば、

夢なりけりな、

思ひ寐の、

さめてあとなき、

その夢も、

夢と思ふな、

國民よ。

今日しも謳ふ、

凱旋門、

今日しも祝ふ、

戰勝會。

夢にあらずや、

これこそは。

軒にかゝげし、

日の丸の、

御旗の風の、

聲を聞け、

「血汐に染まで、

止むべしや、

その血しほこそ、

北極の、

深雪を染むる、

血汐なれ。」

鍊兵場の、

かなたより、

ひゞく喇叭の、

こゑを聞け。

「火にも水にも、

氷にも、

いかでかはらむ、

このしらべ、

進軍喇叭、

その外に。」

凱旋門とは、

何事ぞ、

戰勝會とは、

何事ぞ、

凱旋あげて、

謳ふべき、

時は來らず、

國民よ。

凱旋あげて、

謳ふべき、

時は來るらむ、

言はずとも。

 

[やぶちゃん注:明治二八(一八九五)年十月二十五日の『もしほ草子』掲載。署名は姓のみの「伊良子」。前の『文庫』の「暉造の詩」発表から十日後の別雑誌への投稿であるから、やはり相応の自信作の愛国憤激の叙事的詩篇として読める。「日清戦争」は、この年の三月上旬に日本が遼東半島全域を占領して実質上の日本の勝利となり、三月三十日に「日清休戦条約」が、四月一七日に「日清講和条約」が調印(五月八日発効)したが、四月二十三日にロシア・フランス・ドイツが清への遼東半島返還を要求(所謂、「三国干渉」)、五月四日に伊藤内閣が遼東半島返還を閣議決定し、翌日に三国へ通達した。五月二十九日、日本軍が割譲された台湾北部への上陸を開始し、六月十七日、日本は台湾に台湾総督府を設置、八月六日、「台湾総督府条例」によって台湾に軍政が敷かれていた。本篇には欧米列強の圧力に対する憤り、特に北の遠望にロシアへの敵愾心を剥き出しにしている。十八歳の熱血日本浪漫主義者の面目というところだが、どうも憤怒の言葉ばかりが上滑りし、「暉造の詩」の闡明を意識し過ぎ、気張り過ぎて却って中身が羅列の空という感じがする。

「凱旋門」この年の五月下旬に「日清戦争」勝利を祝うために日比谷に巨大なハリボテの「凱旋門」が建造されている。長さ約百十メートル、中央に三十メートル越えの塔が立ち、前後に貫通門のアーチが付随するが、木造の基礎に全体を杉の葉で覆ったチャチなものであった。サイト「日本の凱旋門 ハリボテの帝国」の「日比谷の凱旋門(日清戦争)」に写真と絵がある。建造計画を伝える『東京日日新聞』の記事が同年五月二十一日で、リンク先の最後にある、作家『樋口一葉も、凱旋門を取り壊す当日、慌てて見学に行きました。しかし、たまたま天皇の還御の行列に当たり、ようやくたどり着いところ』、「やがて凱旋門ちかく來れば、もはや取崩しに取かゝれりとおぼしく、取おろしたる杉の葉など、こゝかしこに山とつまれぬ。さしも大きなるものを、時のまにいかで取づし得べき。櫻田門に向ひし方(かた)計(ばかり)は杉の葉なごりなく成て、組あげたる材木のみいと高々とあほがれる」(日記「水の上」同年六月一日の条。所持する小学館の全集を参考に独自に引いた)『という状況で、ほとんど木材しか見られませんでした』とあるから、実際に建っていた期間は十日未満であったと思われる。

「あるたい山」西シベリアとモンゴルに跨るアルタイ山脈。モンゴル語で「金の山」を意味する。

「敵の城樓に」「かたきのしろに」と読んでいるか。]

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