太平百物語卷五 四十二 西の京陰魔羅鬼の事
○四十二 西の京陰魔羅鬼(おんもらき)の事
山城の國西の京に、宅兵衞といふ人、有(あり)。
折しも、夏日(がじつ[やぶちゃん注:ママ。])のたへがたき比(ころ)、其近邊成(なる)寺に行(ゆき)て、方丈の緣にいで、しばらく納凉(なうりやう/すゞみ)してゐけるに、いと心能(こゝろよく)して、眠りを催しける時、俄に物の聲ありて、
「宅兵衞。宅兵衞。」
と、呼ぶ。
宅兵衞、おどろき覚(さめ)て、起(おき)あがり、みれば、鷺(さぎ)に似て、色黑く、目の光る事、灯火(ともしび)の熾(さかん)なるが如くにして、羽をふるひ、鳴(なく)聲、人のごとくなり。
宅兵衞、恐れて、法緣を退(しりぞ)き、窺(うかゞ)へば、翼をひろげて、羽(は)たゝきす、と見へし。
頭(かしら)より、次第次第に消(きへ[やぶちゃん注:ママ。])て、終に、形は、失(うせ)けり。
宅兵衞、奇異のおもひをなし、則(すなはち)、此寺の長老に語りて、樣子をとひけるに、長老、答へて、
「此所に、今迄、さやうのばけ物、なし。此比(このごろ)、死人をおくり來(きた)る事ありしが、假(かり)に納めおきたり。おそらくは、それにてやあらん。されば、始(はじめ)て新たなるしかばねの氣、變じて、如此(かくのごとき)もの、あり。是を名付けて『陰魔羅鬼(おんもらき)』といふよし、藏經(ざうきやう)の中(うち)に、のせ侍る程に。」
と仰せければ、宅兵衞、此よしを聞(きゝ)、
「さも侍る事にや。」
とて、いよいよ、あやしみ、おもひける。
[やぶちゃん注:「陰魔羅鬼(おんもらき)」「陰摩羅鬼」とも書く。ウィキの「陰摩羅鬼」によれば、『中国や日本の古書にある怪鳥』で、経典「大蔵経」(本篇最後の「藏經」はそれを指す)に『よれば、新しい死体から生じた気が化けたものとされる』。『充分な供養を受けていない死体が化けたもので、経文読みを怠っている僧侶のもとに現れるともいう』。『古典の画図においては鳥山石燕の画集』「今昔画図続百鬼」(安永八(一七七九)年刊)にも『描かれており、解説文には中国の古書』「清尊録」(宋の廉宣撰撰になる志怪小説集)からの『引用で、姿は鶴のようで、体色が黒く、眼光は灯火のようで、羽を震わせて甲高く鳴くとある』。この「清尊録」には『以下のような中国の陰摩羅鬼の話がある。宋の時代のこと』、『鄭州の崔嗣復という人物が、都の外の寺の宝堂の上で寝ていたところ、自分を叱る声で目を覚ました。見ると、前述のような外観の怪鳥がおり、崔が逃げると』、『姿を消した。崔が寺の僧侶に事情を尋ねると、ここにはそのような妖怪はいないが、数日前に死人を仮置きしたという。都に戻って寺の僧に尋ねると、それは新しい死体の気が変化して生まれた陰摩羅鬼とのことだった』とあり、本話はその全くの(捻りなしの)翻案であることが判る』(原文が「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の陶宗儀纂の「説郛」正篇巻第三十四の画像のこちらで読める)。『陰摩羅鬼の名の由来は、仏教で悟りを妨げる魔物の摩羅(魔羅)に「陰」「鬼」の字をつけることで鬼・魔物の意味を強調したもの、もしくは障害を意味する「陰摩」と「羅刹鬼」』(もとは破壊と滅亡を司る神であったが、仏教に取り入れられ、四天王の一人多聞天(毘沙門天)に夜叉とともに仕える護法善神となった)『の混合されたものとの説がある』とある。]