處世法 ツルゲエネフ(生田春月訳)
處 世 法
『若し君が敵を手ひどく苦しめ、迫害してやらうと思ふなら』とある狡獪な老漢が私に言つた、『君は君自身の持つてゐると思ふ缺點や惡德を以て罵つてやり給へ……大に憤慨して、罵つてやり給ヘ!
『さうすればまづ君がその惡德を有つてゐないと思はせる。
『次ぎには君の憤慨は噓(うそ)でなくてすむ……且つまた君は自分の良心の的(まと)となるのを避け得られる。
『たとへば、君が變節者ならぱ、君の敵を信念の無い奴と罵り給ヘ!
『若し君が卑屈な性質(せいしつ)なら、口を極めて、彼は奴隷だ……文明の、歐羅巴の、社會主義の奴隷だと罵つてやり給へ!』
『非奴隷主義の奴隷とも言へるか知ら』と私は氣を引いて見た。
『左樣(さやう)、さうも言へる』と老獪な奸物はうなづいた。
一八七八年二月
【文明の奴隷云々、西歐主義者は露西亞の國粹主義者によつて排斥された。彼等は自國を又なきものに思つて、丁度我國の靑年會の會員等が一等國だとか東洋の盟主だとか云つて誇るやうに、未開の自國を尊しとし、反つて文明を排斥した、そして歐羅巴から來るもの凡てを拒んだ。ツルゲエネフ自身は西歐主義者、文明の使徒として終始した、彼が故國の人望を恢復するに長年月を要したのはその爲めである。】
[やぶちゃん注:「狡獪」は「かうくわい(こうかい)」で、「狡猾」に同じく、悪賢いこと・ずるく立ち回るさまの意。]