和漢三才図会巻第三十九 鼠類 火鼠(ひねずみ) (幻獣)
ひのねすみ 火浣布【用皮作之】
火鼠
本綱火鼠出西域及南海火州其山有野火春夏生秋冬
死鼠產于中甚大其毛及草木之皮皆可織布汚則燒之
卽潔名火浣布
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ひのねずみ 火浣布〔(くわくわんぷ)〕
【皮を用ひて、之れを作る。】
火鼠
「本綱」、火鼠、西域及び南海〔の〕火〔の〕州〔(しま)〕に出づ。其の山、野火、有り、春夏、生じ、秋冬、死〔(や)む〕[やぶちゃん注:終熄する。]。鼠、〔その〕中に產す。甚だ大きく、其の毛及び〔かの地の〕草木の皮、皆、布に織るべし。汚(よご)れるときは、則ち、之れを燒けば、卽ち、潔〔(きよ)〕し。「火浣布」と名づく。
[やぶちゃん注:南方の火山中に棲息するとする鼠の幻獣。「火浣布」は「火で浣(あら)う布」の意で、中国で石綿(オランダ語 asbest(アスベスト)/英語 asbestos(アスベストス:蛇紋石や角閃石が繊維状に変形した天然の鉱石で無機繊維状鉱物の総称)のことを、この火鼠の毛で織った布と称して名づけたもの。お馴染みの「竹取物語」にも「かくや姫」が「右大臣あべのみむらじ」に出す難題として「もろこし」にあるという「火鼠(ひねずみ)の皮衣(かわごろも)」を要求して、怪しい中国人に依頼して大金を以って手に入れるも、「かくや姫」の目の前で美事に焼けて灰となっている。中国では、周の穆(ぼく)王(紀元前九七六年~紀元前九二二年)が西戎(せいじゅう)を征伐した際、西戎がこの布を献上したという話が「列子」(戦国時代の道家の思想家列子(名は禦寇(ぎょこう))作とされる書であるが、現行本は前漢末(紀元前後)から晋代(二六五年~四二〇年)にかけて書かれた偽作と考えられている)に見え、後漢の政治家梁冀(りょうき ?~一五九年)は火浣布の衣装を着けて宴席に臨み、わざと酒で汚したうえ、火に投げこませ、衆目を驚かせたという。しかし、魏の文帝(曹丕(そうひ)/在位:二二〇年~二二六年)は「そのようなものが存在するはずはない」と自身の文学書「典論」の一節に記し、「典論」は次代皇帝の明帝(曹叡/文帝曹丕長男/在位:二二六年~二三九年)によって石に刻まれたが(石本と呼ぶ)、数年経って、西域からこの「火浣布」の献上があったため、天下の笑いものとなったという。本邦では、平賀源内が明和元(一七六四)年に石綿で同様な織物を製して「火浣布」と名づけた(以上は複数の百科事典他を参考にした。因みに本「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年の成立で、源内のそれは五十二年後のことである)。]
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