やま彥 伊良子暉造(伊良子清白)
や ま 彥
紅葉かつ散る夕まくれ、
谷の細道乙女子は、
夕日せおひて歸り來ぬ。
走りて行きて又ゆきて、
あとなる母をながめつゝ、
かたみにみてる松茸を、
出しては入れつ又出しつ、
かぞヘかぞへてうれしげに、
やさしき歌をうたふなり。
うたひながらも母さまよ、
あれ聞き給へはゝ樣よ、
かしこに聞ゆるうたの聲、
妾のうたににたりけり。
去年の長月あねさまに、
おしへて給ひしこの歌に、
よくもにたりと乙女子は、
手をうち叩きうちたゝき、
いとうれしげに母さまよ、
よびてよよびてかの人を、
よびてよ母よかの人を、
妾のうたふこのうたを、
うたへる人は姉ならむ。
櫻のはなの咲く頃に、
わかれまつりし姉ならむ。
よびてよよびてあね樣を、
あね樣かしこにおはすなり。
呼びて呼びてとむつかるを、
母はすかしつ姉さまは、
追いや遠きいや遠き、
遠き國へと行きましぬ。
遠きくにへと行きまして、
こゝにはたえてあらぬなり。
あらぬをなれはいかなれば、
姉よ姉よとしたふらむ。
されども孃よ姉さまは、
明日にもならばかへりなむ。
明日にもならば土產(ミヤ)もちて、
かへりますらむ姉さまは、
よい子よ孃もひとりして、
あそべといへば乙女子は、
つむりふりつゝ姉さまは、
かしこの谷におはすなり。
かしこの松の下陰に、
きのこたづねておはすなり。
わらはは行かむかの谷に、
この籠もちて姉さまに、
見せなばいかに多(サハ)なりと、
たゞへますらむ母さまよ、
行かむ行かむとむつかるを、
母はとゞめてかなしげに、
かしこに聞ゆる歌聲は、
なれのうたへるうたなれど、
姉のうたへるうたならず、
木魂におとする山彥の、
こたふる聲のひゞくのみ。
まことや孃やが姉さまは、
道いや遠きいや遠き、
遠き國なる久方の、
あまつ國へと行きまして、
天津御神のそのそばに、
その歌うたひておはすらむ。
おはすなるらむうれしげに、
よい子よ孃もひとりして、
あそべといへば乙女子は、
いとあやしげにいく度か、
悲む母を見あげつゝ、
わらはの姉のゆきませし、
天つ御國はいづこかと、
問ひつゝつむり傾けて、
わらはも行かむその國に、
つれてゆきてよ母樣よ、
つれてつれと乙女子の、
せくをすかしつ諸共に、
かなしき歌をうたふなり。
かなしき歌もいつしかに、
遠くなり行く谷陰を、
おくれて歸る村鴉、
時に友やまつならむ、
あとなるものはまた先に、
さきなるものはまたあとに。
[やぶちゃん注:明治二七(一八九四)年十一月の『少年文庫』掲載。署名は本名の伊良子暉造。「たゞへますらむ母さまよ、」の「たゞへ」はママ。]