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2019/05/31

さいたづま すゞしろのや(伊良子清白)

 

さいたづま

 

 

  春 の 光

 和鄕ぬしはわが歌の友なり。都におはしゝころ、きみと共に
 紫野の春を尋ねしことありしが、こたび丹後よりふりはへて
 來たまひしかばまたもかの野邊をそゞろありきするとて。

[やぶちゃん注:「さいたづま」は「春に萌え出た若草」を指す古語。

「和鄕ぬし」伊良子清白の「山岳雜詩」(明治三六(一九〇三)年一月一日発行の『文庫』初出。総標題「山岳雜詩」のもとに「陰の卷」「孔雀船」で「鬼の語」と改題して収録)と前の「山頂」及び「淺間の烟」(新潮社刊「現代詩人全集 第四巻 伊良子清白集」に再録するに際して「淺間の煙」と表記を変えた)の三篇から成る)と「漂泊」が収録されている、本詩篇が書かれてより七年後ではあるが、河井酔茗編の『文庫』のアンソロジー「靑海波」(明治三八(一九〇五)年内外出版協会刊)に、木船和郷なる人物の「まつよひ草」が収録されている(しかも伊良子清白の後に配されてある)ので彼であろう。経歴は不詳(「国文学研究資料館」の「電子資料館 近代書誌・近代画像データベース」のこちらの書誌に拠った)。

「ふりはへて」「振り延へて」で「ふりはへ(て)」は平安からの古語の副詞で「殊更・わざわざ」の意。]

 

古京の花にあこがれて、

畫堂の壁にもたれつゝ、

昔をしみしきみをわれ、

また見るべしと思ひきや。

 

海なき園の山中に、

都あるこそをかしけれ、

鴨の川原の漣に、

世に手弱女は生るれど。

 

朱の袂をふりはへて、

若菜摘みけむいにしへの、

紫野ゆきしめの行き、

繪筆なきこそうらみなれ。

 

萠えては靑き春艸を、

若き二人が踏み分けて、

別れし跡を語らへば、

こゝろの花の枯るゝかな。

 

あれ見そなはせ西山の、

峰のいたゞき色染めて、

木立はなれぬ夕雲に、

春の光も沈みたり。

 

 

  水 馴 棹

 

朝雲深き川上の、

森の木末のうす月に、

谷間をくだす筏師の、

歌もほのかにきこえきて。

 

親はへさきに子はともに、

かたみにさすや水馴棹、

馴れてもなやむ早き瀨を、

いざよふ浪も碎けつゝ。

 

削るがごとき岩が根に、

すがりて嘆くや山躑躅、

紅ふかく色染めて、

下行く水に映りつゝ。

 

うたへる唄もをりをりは、

浪のひゞきにうづもれて、

重なり立てる夏山の、

靑葉のひまをめぐり行く。

 

蓑の衣をあふらせて、

谷吹く風のすゞしきに、

親子ふたりが棹とれば、

あやふき瀨々もわすれつゝ。

 

「和子よまだきになが母の

山邊に笹や刈るならむ。

わづかばかりの賣代を、

髮の飾りに代へもせで」

 

「さなり父うへ今朝はしも、

うの花咲ける谷陰の、

月にわかれて下りしが、

一人しませばさびしきに。

 

市の泊にふねはてゝ、

一日の業のをはりなば、

巷に何はあるとても、

とくわが家にかへらなむ」

 

「なれの皈るをまちわびて、

母も門邊に立つならむ。

今宵も裏の瀧津瀨に、

夕涼みせんみたりして」

 

親はわが子を子は親を、

いたはりながらさす棹に、

岩堰く水のせゝらぎも、

たのしき聲や立つるらむ。

 

ほのぼの明くる谷川の

水の面ふかく霧立ちて、

岸の杉村遠こちに、

やまほとゝぎすみだれ啼く。

 

 

 絹繪の鴛鴛

 

西のみやこの寺々の、

鐘に柩を送らせて、

北の山べにをさめては、

夜な夜な月や照しけむ。

 

加茂の川原に冬ざれば、

洒せる布は白かるに、

裁ち縫ふ人のあらざれば、

千鳥啼く夜や寒からむ。

[やぶちゃん注:「洒」には「すすぐ・あらう」の意があるので、「さらせる」(晒せる)と訓じていよう。]

 

墨のかをりもかんばしく、

絹にゑがきし鴛鴦の、

かたをこの世のかたみにて、

ゆきにし人のこゝろはも。

 

百萩咲ける池水の、

さゞ浪靑き下かげに、

羽を並ぶる鳥見れば、

かたとは思へどかなしきに。

[やぶちゃん注:「百萩」「ももはぎ」で沢山の萩の意。

「かた」「形・型」で絵図の意であろう。]

 

こひしき人にわかれては、

獨さびしき小衾に、

夢あたゝかき手枕を、

またまくすべはあらざらむ。

 

玉の小筥の紐ときて、

床のべさらずかゝげても、

とばにきえせぬ色彩の、

千年見るともかたなるを。

 

[やぶちゃん注:明治三一(一八九八)年三月二十日発行の『文庫』掲載。署名は「すゞしろのや」。最終連の「とばにきえせぬ色彩の」の「とば」は不詳。「千年見るともかたなるを」とコーダするなら、「とは」(永久)かとも思ったが、判らぬ。識者の御教授を乞う。]

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