エゴイスト ツルゲエネフ(生田春月訳)
エ ゴ イ ス ト
彼はその家族を責め苛(さいな)むあらゆる性質をそなへてゐた。
彼は生れて健康であり富裕であり、またその長い一生涯富裕で健康で通して來て、たつた一つの罪も犯さす、たつた一つの過失(あやまち)もせず、また曾て心得違ひも遣り損(そこな)ひもしたことはなかつた。
彼は一點難の打ちどころもない、堅實な人間だつた!……そして自分の堅實なことを誇りにして、彼はそれに依つて、家族であれ友達であれ知人であれ、凡ての人を壓服してゐた。
彼の堅實さは彼の資本であつた……そして彼は此の資本から放外な利息を收めてゐたのだ。
此の堅實さが彼に無慈悲であり、また法律の命じない善事をしないと云ふ權利を彼に與へた、そして彼は無慈悲であり、何等の善事もなさなかつた……何となれば命じられてなす善事は少しも善事では無いからである。
彼は彼自身の模範的の自我を除いては、いかなるものにも興味を有しないで、しかも若し他人がそれに同じやうに、深い興味を有たなければ本氣(むき)になつて怒(おこ)るのであつた!
その癖彼は自分を主我主義者(エゴイスト)だとは思つてゐなかつた。そして主我主義者(エゴイスト)を非難する事は特別過酷で、それを見附け出す事は鋭敏なものであつた。云ふ迄もなく、他人の主我主義(エゴイズム)は彼自身の主我主義(エゴイズム)の邪魔になるものである。
彼は自分には些かの弱點も認めないで、他人の弱點は理解もしなければ容赦もしなかつた。まつたく彼は何人も何物も理解しなかつた、と云ふのも、彼が上下前後、あらゆる方面からすつかり自分と云うもので取圍まれてゐたからである。
彼は寬容の意義さへも理解してゐなかつた。彼は自分自身を赦(ゆる)さねばならぬ必要を持たなかつた……どうして他人を赦さねばならぬ必要があらうぞ?
彼自身の良心と云ふ判官の前に立つて、彼自身の神の面前に於いて、彼は、此の驚くべき人物、此の德の怪物は、その眼を空に向けて、確乎たる明晰な聲で公言した、『然り、自分は模範的人物である、眞個の道德的人物である!』と。
彼はこの言葉をその臨終の床でも繰返すであらう、そしてその時でさへも、此の石のやうな心は何等の動搖をも來さないであらう――缺點も汚點も無いその心は!
ああ、廉價に購(あがな)ひ得たる德の頑迷な自己滿足のその醜惡よ。汝は惡德のおほつぴらな醜惡よりもより惡(にく)むべきものである!
一八七八年十二月
【エゴイストは、主我主義者、利己主義者、自分の事ばかり重んじて他人の事は顧みない人間。】
[やぶちゃん注:「眞個」「しんこ」。「真箇」とも書く。真実であること。真正。これで「まこと」と当て訓することも可能だが、今までの生田のルビの振り方から見て、その可能性はゼロである。]