老人 ツルゲエネフ(生田春月訳)
老 人
陰暗たる荒凉たる日は來つた……その身の衰弱、その愛する者の苦痛、老年の冷索(れいさく)と憂愁。汝が愛したものは、そのために献身的に盡したものは、すべて凋落しては碎け散つてしまふ。道はすべて下り坂である。
今さら何をすべきだらう? 悲むべきか? 嘆くべきか? そんな事をしても自分にも他人(ひと)にも何の益もないであらう。
曲(まが)つた凋(しを)れた樹の葉はだんだんと小さく少(すくな)くはなるけれども、その綠の色はやはり變らない。
いざ、汝もまた縮(ちゞ)かまつて、汝自身のうちに、汝の追想(おもひで)の中に隱れよ。さうすれはその奧底に、汝の心の奧底に、汝の過ぎ去つた生活、汝にのみ理解の出來る生活が、美しい春の力と香ばしい未だなほ鮮かな綠のいろとをもつて、汝の前に輝き出るであらう。
然し氣を附けるがいゝ……哀れなる老人よ、前途を見てはいけない!
一八七八年七月
[やぶちゃん注:「冷索(れいさく)」冷たく、もの淋しいさま。]

