うきをこめたる 伊良子清白 (ハイネ訳詩/附・生田春月訳)
うきをこめたる
うきをこめたる物語
夏の夜更けて語らへば
艶(えん)にかなしく戀人は
悌(おもかげ)にして來りけり
「魔術の國を默(もだ)しつつ
たどるは二人妹と背よ
月の光はさやかにて
鶯の歌ひびくなり
をとめうごかずなりぬれば
ひざまづきたりもののふも
やがて巨人はあらはれぬ
をとめは怯(は)ぢてのがれけり
手負ひて騎士はたふれたり
巨人は蹌踉(よろほひ)かへり行く」
仇になききそ物がたり
根無草にはあらずかし
[やぶちゃん注:明治三六(一九〇三)年五月発行の『文庫』初出(署名「清白」)であるが、総標題「夕づゝ(Heine より)」の下に、「さうび百合ばな」・「きみとわが頰の」・「頰は靑ざめて」・「使」・「老いたる王の」・「墓場の君の」・本「うきをこめたる」・「戀はれつこひつ」・「夕となりぬ」・「なれをこひずと」の十篇からなる、ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine 一七九七年~一八五六年)の翻訳詩群である。本篇は一八二三年刊の詩集“Tragödien, nebst einem lyrischen Intermezzo”(「抒情的間奏曲附きの、悲劇」)の“Lyrisches Intermezzo”(「抒情的間奏曲」)の第XLVII歌(第四十七歌)である。原詩はこちら(リンク先はドイツ語の「ウィキソース」)。初出は第二連初行が、「魔術の國」が「魔術の園」となっていること、第三連初行が「をとめうごかずなりつれば」であること以外は有意な異同(掲げた後者は朗読上から)のを認めない。但し、前者は原文の単語が“Zaubergarten”(ツァウバーガルテン)であるから、「呪術の園(庭)」「魔術の庭(園)」が相応しく、以下に示すように生田春月もそう訳している。しかし「國」とスケールを大きくしたのは伊良子清白の確信犯であろう。後の巨人の出現は「庭」や「園」より「國」が相応しいから。
前に倣って、生田春月(明治二五(一八九二)年~昭和五(一九三〇)年)の訳を国立国会図書館デジタルコレクションの大正一四(一二五)年春秋社刊生田春月訳「ハイネ全集 第一巻」(「詩の本」)の「抒情插曲」パートから示す。春月のそれは第「四十六」歌とする)。
*
四十六
わたしの戀はあはれつぽく
くらい光をはなつてゐる、
夏の夜かなしいしんみりした
昔話を聞くやうに。
『魔法の園にただふたり
戀人同士がさまようてゐる、
夜鶯(うぐひす)たちは歌うたひ
月の光りはかゞやいてゐる。
處女は石像のやうに靜かに立つてゐる
騎士はその前に跪いてゐる、
その時曠野の巨人がやつて來て
處女はおそれて逃げてしまふ。
騎士が血みどろになつて斃れた時に
巨人は家(うち)へよろよろ歸つて行く』――
わたしが葬られてしまふとき
この昔話は終るだらう。
*]
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