淸きながれ 伊良子清白
淸きながれ
(をこがましけれど醉茗ぬしに倣ひて)
たにの細道とめくれば、
松のした陰ゆく水の、
岩が根づたひさらさらと、
たゆまずやまず流るなり。
苔よりそゝぐこゝちして、
しづくしたゝる谷かげの、
いはが根づたひさらさらと、
たゆまずやまず流るなり。
松のあらしにうづもれて、
こゑはをりをりたえぬれど、
水のこゝろは一すぢに、
にごれるときもなかりけり。
嵐ふきたつあしたにも、
あめふりそゝぐゆふべにも、
水のこゝろはさらさらと、
おとににごりもなかりけり。
松葉かく子のうた聲も、
つま木おふ子の笛の音も、
水のこゝろはへだてなく、
ともにひゞきていと淸し。
まつの嵐や散しけむ、
水のこゝろやさそひけむ、
描きながれをそひゆけば、
流れぬ花もなかりけり。
行きてかへらぬま淸水も、
やどりて去らぬ夕月も、
きよき心はなかなかに、
ひとつなるらんとこしへに。
あはれ濁れる世の人よ、
きてもとはなむ深山なる、
岩が根づたひさらさらと、
松のした陰ゆくみづを。
[やぶちゃん注:明治二七(一八九四)年八月『少年文庫』掲載。署名は本名の伊良子暉造。満十七歳。「醉茗」は河井酔茗(明治七(一八七四)年~昭和四〇(一九六五)年:本名は又平。大阪府堺市生まれ)で、伊良子清白より三つ年上であったが、同じ投稿仲間で、やはりこの年に詩「亡き弟」が『少年文庫』に掲載され、以後、『文庫』(『少年文庫』の改題)の記者として、明治四〇(一九〇七)年に退くまで詩欄を担当した。酔茗を清白が初めて訪問したのは実にこの翌年の五月のことであった。河井酔茗・横瀬夜雨・伊良子清白という『文庫』派の前史の一齣とも言うべき一篇である。]