さゞれ石 しづ子(伊良子清白/女性仮託)
さゞれ石
ゆ め
浮世の中の物ことを、
さやかに見する夢こそは、
浮世の中を隈もなく、
うつせし神のうつしゑを、
示すしはしの業ならめ。
犯せる罪も祕事も、
さながら見ゆるかしこさよ。
闇とは云へとなかなかに、
あやめも分かぬ夜半こそは、
心をてらす光なれ。
梅の一枝
餘りにいものこひしきに、
軒端の梅の一枝を、
手折りて贈るわりなさよ。
いはぬはいふにいやまして、
深きおもひのあるものを、
戀とはいもの知らさらむ。
ほの見しかげ
ほの見し影のしたはれて、
かくまで人のこひしきは、
いかなる故の在やらむ。
をかしきおのが心かな。
こひしきからにこひしきを、
何今さらにあやしまむ。
おのが心
かなしと君はの給へど、
つらしと君はの給へど、
うらむ君よりうらまるゝ、
おのが心のくるしさを、
あはれと君もくめよかし。
あ ざ み
神より享けしそのまゝの、
わが眞心をいつはりて、
ゑまひの色に咲きもせば、
針ある草と知らずして、
人やつむらん花あざみ。
別れのあと
わかれのあとのさびしさは、
よそへて何を君と見む。
園生の花を君と見ば、
つれなき風にちりもせむ。
空行く月を君と見ば、
あへなく雲にかくるらむ。
君のこゝろのやさしさは、
よそへむものもなきものを、
なにおろかにも思ひけむ。
櫻とすみれ
おつれば一つ土なるを、
さくら董と花ゆゑに、
へだてあるこそうらみなれ。
夜すがら何をかたるらむ、
野川に星のかげ見えつ。
ひゞきは松の音にかよふ。
[やぶちゃん注:明治二九(一八九六)年四月『靑年文』掲載。署名は特異的に女性仮託で「しづ子」である。]