楊貴妃櫻 蘿月(伊良子清白)
楊貴妃櫻
霞も匂ふみよし野の、
よし野の奧を分け入れば、
おぼろ月夜にあこがれて、
散り行く花もしづかなり。
五百重しきたつ白雲は、
おのづからなる戶ざしにて、
人は通はぬ岨かげを、
谷水のみやもるならむ。
[やぶちゃん注:「五百重」は「いほへ(いおへ)」で「幾重にも重なっていること」を意味する万葉語。]
神さびたてる神杉の、
こずゑの靑もしづかにて、
菅生をわたるやま風も、
すゞろにさむくひゞくなり。
たな引く雲のたえまより、
あらはれわたる山ざくら、
たわゝに咲けるひと本に、
あたりの風もむせぶなり。
千年五百とせむかしより、
花の色香のかはりなく、
峯のかすみと匂ひては、
谷間のゆきと消えにけむ。
尾の上ににほふ曙も、
入日にくるゝ夕ばえも、
吹くやあらしの五日ならで、
尋ぬるものもなかるらむ。
あはれと手折る人もなく、
たをりてめづるものもなき、
この一もとはなかなかに、
匂ふさくらの幸ならむ。
深山のはるとにほひつゝ、
ちりもかゝらぬ一もとよ、
世をはなれにし仙人の、
あそぶ陰とや咲きぬらし。
谷の小川よこゝろあらば、
花なさそひそ塵のよに、
ながるゝ色にあこがれて、
人やとひこむ花見にと。
こむる霞の色深く、
さかりに匂ふ花の雲、
木かげにたちてながむれば、
空行く月もかげうすし。
蔦にうもるゝ岩が根の、
苔のむしろをふみわけて、
おりしく露をみだしつゝ、
しづかにあゆむ手弱女は。
花の心をぬけいでゝ、
しばしは月にうかるらむ、
玉ともまがふおもばせに、
かざす袂もにほふなり。
やなぎの糸のうち垂れて、
雲にもにたる黑髮に、
匂ふ一枝をたをりつゝ、
簪花とかざす﨟たさは。
[やぶちゃん注:「簪花」は「かざし」と当て訓していよう。]
月の宮ゐのをとめ子も、
たつの都のたをやめも、
おもてやさしと思ふらむ、
おのが姿にくらべ見て。
[やぶちゃん注:「たつの都」言わずもがな、「竜宮」。]
霞吹きとく山風に、
つもるも惜しき袖の上の、
花の吹雪をはらひつゝ、
にほふ木かげをさしよりぬ。
「思へば久し八百とせの、
むかしの夢をさながらに、
花のうてなのうたゝねに、
今宵も見つるやさしさよ。
散り行く花もとゞまりて、
しばしは聞きねわが夢を、
塵うちたえて天地の、
ひゞきもねぶる頃なれば。
雲のころもをぬぎかへて、
月のみやこをたちはなれ、
もろこし人とみをかへて、
ちりのうき世にまじりけむ。
御庭になびく靑柳の、
いとながき日もあかなくに、
秋の長夜をあかつきの、
星のひかりにうらみけむ。
梶の葉風の吹きたえて、
棚機のよの靜けきに、
たかきうてなに居ならびて、
二人ちかひし言の葉よ。
「天にありなばいかで君、
翼ならぶる鳥となり、
地にありなばいかでわれ、
枝さしかはす木とならむ。」
夢のうき世のゆめさめて、
玉の宮居にちりたてば、
暮るゝ日影を慕ひつゝ、
蓬がしまにいそぎけむ。
[やぶちゃん注:「蓬がしま」海上上空に浮かぶ仙界島「蓬萊山」のこと。]
幾はる秋の月はなに、
ふりし昔を忍びつゝ、
遠くうな原見わたせば、
雲と水とをはてにして。
常世のくにの年長く、
月日はこゝら積れども、
君にわかれし夕べより、
音信たえて聞えこず。
結びし夢をさながらに、
ふたゝび見つるこゝちして、
君のつかひと聞くからに、
はふりおつるは泪なり。
いとまをつぐる仙人に、
かたみとかざす黑髮の、
黃金のかざし半より、
折りてあたへついひけらく。
「契かたくばもろこしと、
遠きとこ世とへだつとも、
相見る折のなくてやは、
まちてと君にことづてよ。」
汐みつ磯に舟出して、
よもぎが島をたちはなれ、
ゆくへいづこと白雲を、
こぎ分けて行くわだの原。
落る夕日におくられて、
さし出る月をむかへつゝ、
しほの八百路の八汐路も、
浪にまかせてわたりきぬ。
田子の浦曲に船はてゝ、
大和島根を見わたせば、
春やきぬらしうらうらと、
天津御空もかすむなり。
髙みかしこみ天雲も、
いゆきはゞかる不二のみね、
ふもとに立ちてながむれば、
千とせの雪に田鶴ぞなく。
春長閑なる東路の、
八十の里わを行き行けば、
雲雀は空にさへづりて、
こてふは野邊にあそぶなり。
人こそ知らね久方の、
天つ少女のおとしけん、
琵琶の水海そひくれば、
浪は絲ともきこゆなり。
袂をはらふ風かろく、
志賀の山越こえくれば、
柳さくらをこぎまぜて、
都ぞ春のにしきなる。
若艸もゆる春日野の、
飛火ののべを朝たちて、
鈴菜すゞしろ分けくれば、
大和國原見ゆるなり。
天の香久山うね火山、
神代のまゝに霞みつゝ、
かすみの奧にほのぼのと、
匂ふよし野のやまさくら。
大和心と咲きいでゝ、
世にふたつなき花さくら、
一枝折らむと分け入れば、
月は霞みて花ぞ散る。
やがて一夜を旅まくら、
いは根の苔をむしろにて、
匂ふ木陰の思ひねは、
夢も花をやめぐりけん。
蓬がしまももろこしに、
歸らむこともわすられて、
花のうてなにやどらむと、
塵のころもをぬぎすてつ。
國てふくにはさはあれど、
日本にまさるくにやある、
花てふはなはさはあれど、
さくらにまさる花やある。
匂ふさくらの花のごと、
たぐひまれなる敷島の、
大和島根はむかしより、
神のつくりし國ならじ。
神よりうけしこの國の、
神の御末のすめらぎは、
かしこき稜威萬代に、
とつくにかけてかゞやかむ。
幾千代かけて住まばやと、
花の梢にことどへば、
吹きくる風におのづから、
うなづく花もうれしくて。
咲き散る春のかはりなく、
花のこゝろとみをかへて、
月のみやこをいでしより、
年の八百年すぎにけり。
ちかひしことばなになりし、
折りたる簪花なになりし、
まちてといひてことづてし、
こゝろぞ今は恨なる。
今宵も見つるこの夢よ、
ふりし昔の忍ばれて、
花にもかたる一ふしは、
やさしき思きはひなり。
[やぶちゃん注:最終行の「きはひなり」は意味不明。識者の御教授を乞う。]
うき世の塵にあこがれて、
うつろふ色も知らざりき。
神のみくにのこの月よ、
さやかに心てらせかし。」
語りをはりて靜にも、
匂ふ木陰をたちまへば、
天の羽衣耀ぎて、
月の散りくるごとくなり。
妙なる聲を谷間より、
いらふ木魂の聲遠く、
おのづからなる八重垣を、
おりゐる雲ぞつくるなる。
世にしづかなる三吉野の、
よし野の奧の春のよは、
花の木の間にあこがれて、
空行く月もやどるなり。
苔のむしろにおくつゆに、
ぬれて立舞ふ﨟たさを、
うらむか峯の夜嵐も、
花の吹雪に吹きとぢて。
つらなる星の影きえて、
月のひかりもうすれつゝ、
花より白むあけぼのゝ、
天の戶遠くあけそめぬ。
花のこゝろにかへるらし、
妙なる聲のうちたえて、
おりゐる雲もわかれつゝ、
たち舞ふ影もきえにけり。
さへづりかはす百島の、
聲をちこちにきこえ來て、
花のこずゑをさし昇る、
ひかりも高し朝日影。
[やぶちゃん注:明治二九(一八九六)年六月『靑年文』掲載。署名は蘿月。楊貴妃伝説を元に恐らくは徐福伝説などをハイブリッドし、またしても自在に空想を本邦に取材し、変わった幻想抒情詩に仕掛けているのだが、私は詩句自体の響きに酔っている嫌いが強過ぎて、今一つ。しかも展開自体にどうも破綻があるように思う。なお、「楊貴妃櫻」はサトザクラ(日本の固有種であるバラ目バラ科サクラ属オオシマザクラ Cerasus speciosa を主種として交配改良されたした品種原型と思われる)の園芸品種の和名ではあり、花は淡紅色で外部は色濃く、花は直径五センチメートルほどの八重咲き、先端は濃紅色で、奈良興福寺の僧玄宗が愛でたことからの名という(「同盟だからって、何? 僧侶でこれって何よ?!」って感じで、この坊主には私は興味はない)。芽は淡茶色を呈する種の和名ではあるが、ここでそれに限定する必要を私は感じない。]
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